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詳報・講演「山の手入れはなぜ必要なの?」里山継承3rd企画 対談「台峯の歴史・現状・将来」 梅沢徳夫・台峯緑地保全会代表(鎌倉市大船地区社会福祉協議会会長) 川上克己・台峯の生き字引(北鎌倉湧水ネットワーク里山インストラクター) 司会 野口稔・北鎌倉湧水ネットワーク代表 (写真は:左から野口稔、梅沢徳夫、川上川上克己) 野口 これからわたしの司会で、梅沢さんと川上さんの元ガキ大将のお二人に台峯の歴史、現状、どうやって台峯を里山的に残していくかについて、ざっくばらんにお話を伺いたいと思います。第2部から入場された方は、ご存知ないかもしれませんが、台峯保全に貢献されました作家で精神科医のなだ いなださんが、6日に亡くなりました。第1部の冒頭でこのことをお知らせし、般若心経を参加者全員で読んで、なださんのご冥福をお祈りしました。わたしはなださんが代表をされていたNPO法人・北鎌倉景観を後世に伝える基金(台峯トラスト)の創設にかかわりました。かれこれ、15年前になりますか。いろいろ思い出があります。その台峯ですが、2004年12月に保全が決定したことはとてもいいことなんですが、里山である台峯の自然は、15年前に比べて明らかに劣化しています。台峯の生命線といもいうべき谷戸の池が大変なことになっています。蓮田、泥池になっています。こうした現実も踏まえて、台峯がどういう場所だったか、まず梅沢さんからお話していただきたいと思います。 陸地化した谷戸の池(撮影:2013・4) 陸地部分ははかつては池だった(撮影:1974年) ▽いまだに「のりちゃん」「かっちゃん」と呼び合う仲 梅沢 始めまして。鎌倉市大船地区社会福祉協議会の会長など、いろいろな役をやらされて辛いところがありますが、今回、川上大先輩の方から、台峯緑地保全会の代表になってもらえないかと要請されました。わたしは7人兄弟の末っ子でございまして、甘えてばかりの生活を台という地区でしていました。私の兄弟はほとんどが、台に生れ住んでおります。わたしの兄の中には、わたしの実家から150メートルほど離れた小野田家に養子に行った者もございます。わたしの叔父の中にも台から出て行った者がいます。これが山崎の内海家に婿入りしました。偶然にも兄も叔父も養子ということです。それから台峯の位置ですが、山崎小学校の左側に台があって、その先に北鎌倉女子学園のグランド、奥が台峯です。山ノ内配水池の辺りまでです。それでわたしども子どもの時、台峯の緑地での遊びもさることながら、谷戸田に谷戸の池という用水池があり、こちらでもよく遊びました。これは今、鎌倉市が管理しております。昔、谷戸田で遊んだということでもあり、台峯の保全に関して、何かお話ができないかということで、野口さんの方からお話しがありまして、今日、この席でお話しするわけです。子どもの頃を思い出しながら川上さんとお話していきたいと思っております。よろしくお願いいたします。 野口 梅沢さんのお兄さんは、台峯の地権者の代表でした。台峯保全をめぐる市民への公開説明会の時でしたか、「わたしのご先祖様は、源頼朝が鎌倉幕府を作る前から住んでいた」とおっしゃったのを今だに覚えています。では次に川上さんの方から台峯の歴史についてお話してください。 川上 今、隣に梅沢徳夫さんがおりますが、わたしは幼馴染なもので、梅沢さんだとか、梅沢君だとか呼べないのです。この歳になってもいつものりちゃん、のりちゃんと呼んでいます。狭い小さな谷戸の中で家族のように子どもたちが暮らしていました。だから親しみがあります。のりちゃんは今、大船では名の知れた肩書きがあります。わたしはそういうものはありません。木を伐ったり、笹を刈るのが仕事と思って頑張っております。わたしも先祖代々、台に住んでおります。わたしは頼朝よりずっと後です。大体400年位前に、この土地に住み着きました。のりちゃんの兄貴が、わたしのガキ大将だったのです。ガキ大将はあまり「良いこと」を教えてくれないのですね。「悪いこと」ばかり教えてくれました。ただ「悪いこと」というのは、今考えてみると、わたしたちが子どもたちに伝えなければならないことだと思います。わたしは今、山崎小学校や富士塚小学校などから呼ばれて話しをしています。今の子どもに接しますと、わたしたちの子ども時代とはずいぶん違うな、何か子どもがぎすぎすしているというか、そんな印象を受けます。地域の人間だから、もっと親しくなっていいのにと思うんですが、そうではありません。昔は連帯感がありました。今は地域の子どもでありながら、連帯感があまりありません。というのはガキ大将がいないからで、ガキ大将がいたほうが良かったかなと思います。遊びについてもいろいろな知識が身に付きました。今、山仕事をやっていても、ガキ大将から教わったことが非常に役立っています。木の伐り方一つにしてもそうです。山で木を伐り、小屋を作ったりしました。今で言うツリーハウスを作る技能も、ガキ大将から伝わっているのです。こうした技能は、これからの子どもたちに絶対に伝えたいと思いますし、のりちゃんと楽しかったことを台峯に戻せば、子どもたちが台峯とか裏山に帰ってきてくれるのではないか、帰ってきてほしいと考えたわけです。だからわたしは子どもが帰ってきてくれるような昔のような、明るい野山に戻したいと願っています。本当に今みたいに鬱蒼とした真っ暗な感じではなかったのです。明るい野道でした。今は子どもに山に入ってほしいと思っても鎌倉の山は、アズマネザサが一面に生えており、立ち入ることが出来なくなっています。わたしたち子どもの頃は、のりちゃん、俺たち履いていたのは、わら草履か下駄だったよね。 ▽台峯はかつて子どもたちが楽しんだ場所 梅沢 そうね、ゴム草履がはやったんですよね。学校とかは、下駄かゴム草履で通いましたよね。あの頃、ゴム草履が意外に高かったんですよ。 川上 わたしなんか自家製のわら草履を履いていました。そういうわら草履でも裏山を歩ける、そういうような状態だったですよ。今はわら草履なんかで入れるようなところはないですね。やはり、環境を整えてやれば、子どもたちが帰ってくれるのではないかと考え、仲間と手入れをしています。少し大げさでいうとボランティアですかね、わたしはボランティアをやっているつもりはありません。自分の好きなことをやっているだけで…。人様が喜んでいただければ、それが張り合いになって頑張っています。台峯は子どもたちが楽しんだところだったんですね。 梅沢 わたしから言えば、ガキ大将は、こちらさんでした。わたしなんかは舎弟で、何もできなかったんです。学校へ行く時は必ず、先輩方が連れて行ってくれたんですよね。われわれ通った小学校は、小坂小学校でした。県道に出て横須賀線の踏み切りを渡らねばならなかった。必ずガキ大将がいて誘導してくれたんですね。縦のつながりで、先輩が引き連れてくれたんですよ。だからガキ大将のかっちゃんがいうように、「悪いこと」は何でも早く覚えました。はっきり言って懺悔の気持ちがたくさんありますね。思い出すとよその家のカキ、カキはまだいいのですが、トマト、キュウリ、ナス、トウモロコシ、ありとあらゆる台峯の畑で出来たものは盗みました。これ、言っていいのかな。谷戸田の池で泳いで帰ってくると、喉が渇くわけですよね、キュウリ、トマトをいただいちゃんですよ。自分の家の兄貴なんかが作ったものを盗むんですよ。でも、ちょっとはみ出してよその家のも盗むんですよ。 川上 誰かしら畑の持ち主の仲間がいたからね。 梅沢 いたいた。どこの地主さんの畑の野菜か、必ず分かるんですよ。町内、人が少ないから。 川上 今の子どもは、つまらない子に育っているなと思うんですよ。本当に子どもたちが伸び伸びと楽しく台峯で遊んでくれたら、情操豊かな子に育つんですよ。 梅沢 本当ね。 川上 その証拠にわたしなんかいい子に育っている(笑い) 野口 本当かな? 梅沢 先輩、ひげ面で仙人かと思っているんですが。 川上 わたしの「悪さ」は、のりちゃんの兄貴から全部受け継いだんだから。 梅沢 じゃー、後輩がいないといけないですね。わたしの後輩が1人、2人いましたが。かっちゃんの弟さんなんかは、わたしの舎弟になるんですけれど。その後、ガキ大将はいなくなってしまいましたね。 川上 わたしがガキ大将をやっている時に、子ども会ができたんだよね。その子ども会がね、台の子どもたちの遊びをしたら、けが人がでるし、もしかしたら死人が出るということで、高等小学校2年、今の新制の中学校2年がガキ大将だったですね。ガキ大将は小学生の面倒を見てくれた。さっきから言っている「悪さ」も教えましたね。今考えてみると、大したことではないと思うんですよ。戦後、東京とか横浜とかから、台に移り住んできた人が、どんどん人が増えてきたんです。都会育ちの人が、わたしたちの遊びを非常に危険だということになったんですよ。わたしを仲間外れにして子ども会を作ったんです。仲間にされたら大変なことになるということで、わたしは除外されたんですよ。今だったら大変なことですよね。しかし、実際そうでした。わたしに付いてきてくれたのは、ここにいるのりちゃんとか、わたしの弟とか、限られた5、6人のメンバーだったですよ。 梅沢 今回、わたしも久しぶりにかっちゃんの写真を見ましたが、けっこうわたしが写っているんですよね。今日、写真展があると息子に言ったら、「是非、見に行きたい」と言うんですよ。写真見たら、昔のわたしがすぐ分かったと。それは仕様がないですよ。親子だから。キュウリを噛んでいる変な写真があったりね。そのほとんどが、かっちゃんが撮った写真です。かっちゃんは写真が好きだったんですよ。 川上 わたし、社会人になっていたから。中学校を出てすぐ働きました。当時は裕福な家庭でないと、あまり進学しなかったですね。わたしたちの頃は、半分が中学で卒業して社会人になりました。今はまごまごしていると、高校まで無料になるとか。何を言ってんだ、甘ったれるのもいい加減しろ、とわたしは思いますよ。15歳にもなれば働けるんです。力もあります。だから子ども扱いすることなく、家が貧しかったら親を助けろよと。わたしはそう言いたいですね。あっ、ごめんなさい。勝手なことをしゃべってしまったようで。 ▽悔しい、谷戸の池が壊されてしまった! 野口 別に構いませんよ。聞きたいのはそれだけ子どもたちが楽しく、今でいうと親から見て危ないかもしれないが、そういう場所が台峯にあったということですよね。冒頭に言いましたように、今の泥だらけの谷戸の池では、泳ぐことはできないですよね。 川上 ちょっといいですか。今日、古い写真を白雲庵の境内の写真展に出していますが、その写真を皆さんに見てもらいたいと思います。そうするとどんなに台峯が楽しかったかが、分かってもらえると思います。ここに写っているのがのりちゃんです。次の写真は台の子どもたちが、谷戸の池で泳いでいます。これはある程度成長して、わたしが社会人になった時です。のりちゃんがその頃、ガキ大将でした。さすがに「悪さ」の証拠はないですがね。本当だったら、この辺にトマトとかキュウリが浮いているはずです。昔は鎌倉市にはプールがなかったので、こういうふうにしていました。鎌倉市に市営プールができたのは、国体が神奈川県で開催された年です。ねえ、のりちゃん。 梅沢 そうそう。 川上 プールがなかったので、泳ぐのは谷戸の池。谷戸の池が子どもたちの楽しい遊び場だったのです。悔しいのは今、この谷戸の池が壊されてしまったのです。なんか変な理屈を唱える人がいて、池が深くては水が濁ってしまう。わたしは、水は腐らないと思っています。金魚だってお皿で飼うよりも、どんぶりで飼う方が長生きできるんですよ。それなのに水が少ない方が長生きできる、そういう理屈を言う人がいるんです。わたしは専門的な知識がありません。この人が言うには、池の広い面積に対して池の水の中に入る溶存酸素(水中に溶存する酸素の量のこと。水質の 指標として用いられる)とかなんとか言うらしいのですが、溶存酸素が正しく保てるためには、池を浅くしなければいけないということで池は浅くなりました。当時はこんなに池の水がたっぷりあったのに水は腐りませんでした。水は濁らずに泳げました。きれいだったんです。そういうことをわたしはいつも言うんですが、この人は化学とか何か知識がありますので、化かされてしまうのですね。これを見てください、当時の谷戸の池はこんなにきれいで深かったんです。それでも魚はたくさんいました。タナゴからクチボソとか、あとウナギだとかモエビ、ウシガエルなどがたくさんいました。 梅沢 ザリガニもいたし、子どもたちの蛋白源だったね。夏になると池の水を水田に引かなければならないので、栓を抜くんですよね。池の水を空にするんです。そうするとウナギがごちょごちょいて。
by kitakamayunet
| 2013-07-16 20:10
| 鎌倉の美しい里山継承PJ
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Tracked
from 北鎌倉湧水ネットワーク
at 2013-07-16 20:19
タイトル : 詳報・対談「台峯の歴史・現状・将来」里山継承3rd企画(下)
詳報・対談「台峯の歴史・現状・将来」里山継承3rd企画(上) ▽関東では絶滅してしまったマツカサガイ死滅 川上 日付が書いてありますが、この写真は1983年の写真です。まだ、水がきれいで深いです。泳げない子どもが池に入ったら溺れます。池の周りでザリガニを釣ったりして遊んでいるんです。 それで、この池には畦がありました。この畦があるために、上から土砂が池に流れ込まなかったのです。自然保護団体の方は、“専門知識”を振りかざして、谷戸が乾燥化すると言うんですね。乾燥化したからアズマネザサが生えてい...... more
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