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嗚呼、原節子さん逝く…「まほろば楽団」リーダー石井彰英 「このところ、原節子との結婚の噂しきりなり」 (1951年11月17日 小津安二郎日記より) 小津安二郎の日記に記された一文です。前後、何もなし。小津安二郎はどのような心境でこの文を日記に書き留めたのでしょう。今回は小津安二郎、原節子の間にあったであろう感情を私なりに考察してみます。(何だか下品は芸能レポーターみたいですが・・・お許し下さい) 小津安二郎、明治の人としては大変に大柄な人です。深川 小津安二郎記念コーナーに飾ってあったスーツから推測すると身長170cm程度、ジャケットの肩幅も広い。中国に従軍していた時に中国人が小津をみて「大人」と称したのもわかります。そして関係者全員が「病的なほどに照れ屋だった」と口を揃えてコメントしています。 小津映画の名カメラマン厚田雄春さんが、こんな事を言っていました。 「小津センセイ、男前ですよ。もっとセッちゃんに触れながら演技指導をしなければいけません」 「(小津)ババカ、言っちゃいけません。触れるわけないじゃないですか・・(真っ赤)」 厚田さんがカメラのアングルを決めるのに原節子さんの肩に触れて位置を直している。「(小津)おうおうおう、男前!すごいなあ、原さんに触ってさ!」 女優 司葉子さんも面白い事を言っています。 「ロケ先の食事会で、小津センセイの隣に原さんを座らせたんです。お二人を結びつけようとしたんです。小津センセイ、もう真っ赤になってしまってヨダレまで垂らしてしまって・・・」 「小津センセイ、原さんをおもらいになったら?原さんの家の雨戸を蹴破るくらいの覚悟で行かなければ、いけませんよ」(司さん、すごい!) 小津安二郎、戦前から名匠の誉れ高い人でした。そして周囲にはキラ星のような女優たちが・・・吉川満子、桑野通子、井上雪子(オランダ人とのハーフ大変に美しい)、高杉早苗、田中絹代、高峰三枝子さんたちとの噂がたっては消えて行きました。中には「小津さんに惚れていた」と堂々と公言していた女優さんも居ました。 小津安二郎の中に淡い好感はあったでしょうが、おそらく誰にも胸中を告白していないと思います。(田中絹代だけは?です)「オレは素人の女とは付き合えない」小津安二郎のコメントです。当時、横浜にあった「チャブ屋(高級娼館)」等で随分、遊んだようですが、いつも大勢で出かけてドンチャン騒ぎをしていました。性的な欲求は芸者や娼婦のような玄人の女性相手に処理するという、精神的な愛と性欲の対象が一致しない、かっての日本に存在したある種の男の典型だったのではないかという気がします。 そんな小津安二郎ですが、結婚を口にした女性が一人だけいます。森栄という小田原で芸者をやっていた小津より一回り若い女性です。小津と森が出会った時、森は、まだ19歳でした。照れ屋で潔癖な小津が心を許し、家族にも紹介した女性です。北鎌倉浄智寺横の小津邸も、この人が見立て登記までしています。戦後は東京築地で料亭を営んでいました。 小津安二郎は戦前から母親と二人暮らしでした。「あのババアはオレが養っている」口は悪いですが、誰もが大変な親孝行だったと言っています。ですが、その反面、親離れできない、今で言うマザーコンプレックスみたいな物が小津安二郎の中にあったと思います。自分の母親以外の女性には誰にも気を許さない。賢母だったようですが、存在が大きすぎて、一緒に暮らす女性にとってはリラックスできる存在ではありません。 結果として、このお母様の存在が小津安二郎を生涯、独身にしたように思います。「安二郎は大酒飲み、原節子さんも大酒飲み、生活がメチャクチャになってしまう」だから母親が二人の結婚に反対したと言う関係者もいました。 「オレと暮らさないか?」おそらく小津安二郎、生涯ただ一度のプロポーズは森栄さんにされました。その時、森さんは大家族を養っていかなければならず、自分の自由には行動できなかったので断りました。原節子さんの存在も感じていたのでしょうね。森さんは後に金融関係の方と結婚し、小津監督が戦場に持っていったお守りを胸に92歳で亡くなりました。 東宝に藤本真澄(さねずみ1910-1979)がいました。戦後の日本映画を牽引した名プロデューサーです。地位、名声、富、すべてを手中にした人物です。彼が癌に全身を侵され病床で、こんな事をつぶやいています。「原節子に実は惚れていたんだよ。できたら結婚したいなんて若気の至りで思ったんだが、その時、熊谷久虎。しっているだろう?姉さんの旦那でね。あの右翼野郎と出来ているって聞いてね、それであきらめたのさ」 前にも書きました。この熊谷久虎、もうメチャクチャな人物です。「終戦後、五島慶太(東急電鉄創始者)に知恵を貸してくれと泣いて頼まれたが強盗慶太と呼ばれている男と一緒に仕事なんかできるか!と怒鳴りつけた」「三島由紀夫はオレに心酔していて、オレの話を聞きに来てはメモをとっていた」 俳優 池部良さんも戦後、こんな事を言っていました。「熊谷さんがオレのところに来てね、あの人、おっかないんだ。強面でさ。池部、お前を俺たちの国の官房長官にしてやるぞ、良いな!てね。でもオレは俳優で、政治なんかできません、て言ったら、ウルサイ!と怒られたよ」 こんな暴君の操り人形にされてしまった原節子ですが、それでも恋心を抱いた人はいたようです。清島長利という映画監督・脚本家が、まだ無名の頃にお付き合いしていました。この人は後に美空ひばりの映画を監督するようになって人気が出ますが、原さんと出会った頃は、まだ無名の下働きの時代でした。原さんは好きな路を邁進する長嶋さんを経済的にも全面的にバックアップしたようです。 「あんな無名の小僧と付き合うな!」当然、熊谷久虎が、この恋愛をつぶしました。長嶋清利にも相当な圧力をかけたと思います。この時、原さんは知人の家で「もう一生、恋なんてしない。だれとも結婚しない」と泣き明かしたそうです。他にも東大生、映画助監督等と恋愛話がありましたが、全て同じような結末を迎えました。 原節子さんは生涯、6本の小津映画に出演しています。奇妙な事があります。最初の3本、「晩春」「麦秋」「東京物語」は原節子をヒロインにして製作されました。役名は全て「紀子」です。それ以後、準主役になってからは秋子等と名前が変わっています。また、晩春での結婚相手の男性は、まったくスクリーンに現れません。麦秋の結婚相手、二本柳寛はそれ以後の小津映画には、まったく起用されていません。東京物語では戦争未亡人の役ですが、夫は、まったくスクリーンに現れません。小津安二郎の嫉妬心だったのでしょうか? 原節子さんほど「なぜ結婚しないのか?」「相手はいるのか?」とマスコミから質問された人はいないと思います。「小津先生との結婚話は迷惑しておりますの。こんなに世間で言われるようでは結婚しないと悪いみたいですね」原節子さん30歳前のコメントです。ですが、同じ時期、「理想の結婚相手は40代半ば」「白いワイシャツが似合って一生懸命に仕事をしている人」・・・・それって小津安二郎、その者じゃないですか! 1962年2月小津安二郎の母親あさえさんが亡くなりました。小津監督の狼狽ぶりは周囲の人が手をつけられなかった程だったそうです。私は、この時期に原節子さんに求婚していたら、案外、素直に北鎌倉の家に来てくれ、小津監督の面倒を献身的にみてもらえたのでは?と思います。小津監督は、宵越しの金を持たない江戸っ子で経済的にもかなり窮していたようですが、そんな事を批判する原さんでは、なかったと思いたいです。 あさえさんが亡くなった後は自暴自棄のように痛飲し、1963年4月に、あごの横に癌を発病します。一旦退院しますが10月に再度入院、看護の陣頭指揮をとったのは俳優 佐田啓二さんでした。 なんでもないことは流行に従う。重大なことは道徳に従う。芸術のことは自分に従う。小津監督の見事なコメントですが、自分の私的な事は優柔不断で何一つ決定できませんでした。 小津監督に見出され育てられた笠智衆さんが、こんな事を言っています。「小津センセイはボクの恩人です。批判めいた事は絶対に言いたくありません。でもただ一点、やはりご結婚なさった方が良かったのではと思います。」
by kitakamayunet
| 2015-12-04 22:29
| 鎌倉の美しい里山継承PJ
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