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「広報とうのしょう」最新号がレヴィン追悼コンサートを大特集 城ヶ島の雨 北原白秋作詞 梁田 貞(やなだ ただし)作曲 雨はふるふる 城ヶ島の磯に 利休鼠の 雨がふる 雨は真珠か 夜明けの霧か それともわたしの 忍び泣き 舟はゆくゆく 通り矢のはなを 濡れて帆上げた ぬしの舟 ええ 舟は櫓でやる 櫓は唄でやる 唄は船頭さんの 心意気 雨はふるふる 日はうす曇る 舟はゆくゆく 帆がかすむ *掲載写真はクリックすると全て拡大可能です。 ▽海が見たい 「海が見たい」。7月11日早朝、目覚めたときにそう思った。時々、無性に海が見たくなる。いろいろあって、少し、ばて気味である。あまり遠出はしたくはないが、さりとて、近場は気が進まなかった。「城ケ島にしよう」。そう決めて、朝食前に神奈川新聞の朝刊に目を通した。すると、第29回「みさき白秋まつり」(主催・三崎白秋会、三浦市観光協会城ヶ島支部)に関する記事が出ていた。 ▽碑前祭に地元の子供たちや愛好家、行政関係者ら400人 記事は「三浦ゆかりの詩人、北原白秋をしのぶ碑前祭が10日、三浦市・城ヶ島の白秋碑前広場で開かれた。地元の子供たちや愛好家、行政関係者ら約400人が参加。白秋の偉業に思いをはせた。白秋の功績を伝える『第29回みさき白秋まつり』の第1弾で、12月まで各種催しが行われる」と書き出してあった。 ▽第29回みさき白秋まつり・趣旨 白秋は、三浦三崎をこよなく愛した詩人であり、その三崎滞在時代は、白秋文学のうえでも重要な転機をもたらしたといわれております。それは、白秋が生前に歌碑建立を許したのは、この城ケ島と見桃寺に限られていたことでも知ることができます。 このように白秋が、このまちに残した偉大な足跡は、城ケ島を全国に紹介し、今も人々の心に香り高く花開いているのであります。 みさき白秋まつりは、この白秋の偉大な功績を末永く顕彰するとともに、ありし日の白秋を追慕するために毎年行うものであります。 ▽記念行事 ①碑前祭 7・10(月) 白秋詩碑前 ②すすき祭り 9・16(土) 京急バスターミナル横 ③白秋文学コースの散策 9月下旬 城ヶ島島内 ④童謡まつり 10・7(土) 三浦市民ホール ⑤短歌大会及び記念講演 11・3(金) 城ケ島京急ホテル 三浦短歌会 ⑥俳句大会 11・3(金) 城ケ島漁村センター 三崎俳句会 ⑦白秋展 11・2(木)~12・19(火) 白秋記念館 (第29回みさき白秋まつり「北原白秋碑前祭プログラムより」) *問い合わせは、白秋記念館 電話 046-881-6414まで。 *タウンニュース 「第29回みさき白秋まつり 偉大な功績を末永く顕彰 7/10(月)から12/19(火)まで城ヶ島中心に」 *音楽ゆかりの地をゆく 城ヶ島の雨 ▽イメージに合う「みさき白秋まつり」 「不思議だな」。口の中でつぶやいた。わが故郷・千葉県東庄町の若き詩人「レヴィン」の遺稿、「詩集「レヴィンの系譜」が、故郷の文化財となって、故郷の活性化に役立ってほしいと願っている。レヴィン文化財プロジェクトと名付け、その第一弾として「渾身レヴィン追悼コンサート!盧佳世の祈り―故郷再生と交通事故撲滅の願いを込めて―」を東庄町と今、住んでいる北鎌倉・建長寺で連続開催した。いずれのコンサートも大成功を収めた。 ただ、「詩集「レヴィンの系譜」が故郷の文化財となるには、これからの地道な取り組みが必要になる。線香花火に終わってしまってはいけない。詩碑の建立やシンポジウムなどが必要ではないかと考えている。身近な場所で「文化」を基盤にして、まちづくりをしている例があったら参考にしたいと常々思っていた。「みさき白秋まつり」は私のイメージに合う。 レヴィンも白秋も詩人である。しかも、詩が歌になっている。無名の詩人と国民的な詩人を同列に論じるのは、白秋の関係者に失礼かもしれない。でも、大切なのは「詩」が内在しているメッセージの力だと思う。私はレヴィンの詩のメッセージ力を信じている。だから、レヴィン文化財プロジェクトの成就に力を注いでいる。 ▽記念碑建立は昭和24年7月10日 レヴィンに関しては本当に偶然が重なる(レヴィン文化財プロジェクトのシナリオライターは東大社?、谷汲山華厳寺から「レヴィン文化財プロジェクト」発進!)。城ヶ島に行こうと決めた。そして、朝食前に新聞に目を通した。そしたら、「みさき白秋まつり」の記事が出ていた。「みさき白秋まつり」は、レヴィン文化財プロジェクトの道しるべとなる可能性がある。ひょっとしたら、レヴィンが導いてくれたのかもしれない。 「雨はふるふる 城ヶ島の磯に 利休鼠の 雨がふる」と「城ヶ島の雨」の冒頭の詩が刻まれた「北原白秋先生記念碑」はお城ヶ島の無料駐車場の近くの砂浜に、佇んでいた。建立は昭和24年7月10日。海を見つめるかのような記念碑は、堂々としていた。記念碑の前には「城ヶ島の雨」の作曲者、梁田貞の楽譜入りの碑もあった。 ▽白秋に決定的な転機をもたらした三崎時代 城ヶ島と白秋の関係についてもっと知りたいと思ってインターネットを検索していたら、「北原白秋と三崎の世界(The World of Hakushu and Misaki)」という、とても参考になるHPが見つかった。HPのメニューの「はじめに」の一部を紹介したい。「はじめに」を書かれている神奈川県立三浦臨海高校の阿久津晴夫先生をはじめとした関係者の皆さんにお会いし、もっと詳しくお話を伺いたいと思っている。 *北原白秋と三崎の世界「はじめに」より 北原白秋が三浦三崎にいた時期は白秋28歳の大正2年(1913)から翌年の2月までの1年足らずで、昭和17年(1942)に57歳で他界した彼の生涯でほんのわずかな期間ですが、彼のその後の約30年間にわたる作家活動に決定的な転機をもたらした重要な時期がこの三崎時代にあったと言っても過言ではないと思います。 (略) 失意の白秋を三浦の風土と三崎の人々が救いました。三崎時代に白秋が見た海の景色を調べると、「通り矢の鼻」の先に見える東京湾に向かう白秋より、小笠原・そしてさらに南へと続く相模湾に向かって歌う白秋の姿ばかりが見受けられます。 白秋は詩・短歌・童謡と多才な詩人で、その作品が広く国民に愛唱された作家です。おそらく当時の詩人たちの中で「歌われる」という点で、白秋ほど人々に親しまれている詩人は他にいないでしょう。 それは白秋の詩が失意の中にあっての勇気・優しさ・明るさといった日本の伝統的な詩的≪思いやり≫と西欧の印象派の絵画が融合したような不思議な芳香を放っているからでしょう。 (略) さらに、白秋は「赤い鳥」の参加において三崎小学校の小さな、しかしもっとも伝統的で純粋この上ない詩人たちとの出会いをしています。なんと白秋が入選させた「赤い鳥」における三崎小学校の生徒たちの作品は180以上と創刊から廃刊までで群を抜いています。日本の近代詩に白秋なかりせば、北原白秋の「新生」なかりせば・・・・・・・・・。 私は高校の授業で「国語便覧」を見るたびに北原白秋に割かれるページが半ページであることに不満を持っています。 神奈川県立三浦臨海高校 教諭 阿久津 晴夫
by kitakamayunet
| 2006-07-12 17:54
| レヴィン文化財プロジェクト
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