北鎌倉湧水ネットワーク:「元治苑」にマンション建設
2013-05-05T21:15:39+09:00
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お宝情報満載!「ガイドブックに載らない北鎌倉の神々」(夢工房)
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無残!歴史の証人・元治苑の解体工事着々と進行
http://kitakamayu.exblog.jp/16663181/
2011-07-30T09:46:00+09:00
2011-07-30T10:09:03+09:00
2011-07-30T09:47:07+09:00
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「元治苑」にマンション建設
7月15日、「元治苑は守られませんでした」というタイトルのメールが「元治苑を守る会」の事務局から届いた。メールの骨子は鎌倉市長、副市長が陣頭指揮で元治苑そのものの保全や家屋の移転などに動いたが、事業者の三菱地所レジデンスの協力が得られず、一時中断していた家屋の解体作業を7月16日から再開する-だった。
おりしも各メディアは7月27日付で、文化庁が世界文化遺産への登録に向け、富士山と鎌倉の推薦審査査に近く入ることを決めたと報じた。7月28日、元治苑を訪れた。歴史の証人ともいえる家屋の大半が解体され、無残な姿をされしていた。残念としか言いようがない。
富士山、鎌倉の推薦審査へ 世界遺産登録に向け文化庁
文化庁は26日、2013年に国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産への登録を山梨、静岡両県が目指している「富士山」と、同様に神奈川県による「古都鎌倉の寺院・神社ほか」について、文化審議会の世界文化遺産特別委員会で登録推薦に向けた審査に近く入ることを決めた。
特別委の了承が得られれば、関係省庁連絡会議で政府として推薦を決定。9月中に暫定推薦書をユネスコに提出、来年1月末までに正式推薦する。ただ、特別委が構成資産の絞り込みなど内容見直しを求める可能性もあり、先行きに不透明さも残る。
<出典:47NEWS(2011/07/26 19:29 【共同通信】配信)>]]>
元治苑を守る会の要望無視し、既に解体工事に着手
http://kitakamayu.exblog.jp/16541021/
2011-07-01T09:25:00+09:00
2011-07-01T09:48:52+09:00
2011-07-01T09:26:01+09:00
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「元治苑」にマンション建設
三菱地所レジデンス、松尾鎌倉市長の申し入れも無視
守る会、問題解決に向けて鎌倉市議会に陳情書
マンション建設予定地は世界遺産登録候補地に隣接
三菱地所レジデンスは6月28日、「元治苑を守る会」(事務局電話:0467-24-3416、田川方)が、同月26日に同社に提出した「『元治苑』の解体延期とマンション計画見直しのお願い」に対し、「これ以上の解体工事の着手延長は致し兼ねます」と文書で回答(見解書)した。
外から見た現在の元治苑
元治苑内部の建物(「元治苑を守る会」提供、撮影時期は大正時代)
回答では「元治苑の解体は2011年6月26日の説明会にて説明の通り、6月29日より着手致します。尚、建物計画の見直しにつきましては、これまでの変更点に加え、同年7月2日の説明会で新たな変更箇所をご提示させていただく予定です」と、守る会の要望を無視し、既に解体工事に踏み切ったことを明らかにしている。
これに対し危機感を深めた「元治苑を守る会」は6月30日、鎌倉市議会に「二階堂地区『元治苑』におけるマンション建設計画」についての陳情」を行った。「元治苑を守る会」は、陳情の趣旨で「文化財保護・景観保持・みどりの保全・世界遺産登録推進のために、業者との話し合いの中で当該計画の抜本的見直しを求めて参りました。しかし、業者は『あなた方の合意など必要ない』と言い放ち(6/26説明会)、28日の松尾崇市長からの『正式な調査報告が出るまでの間、解体の延期を望む』という申し入れにも従わず、建物の解体作業の強行に踏み切っています。鎌倉市議会におかれましてもこの建設計画の問題点を認識され、問題解決へと事態を導いてくださることを切にお願い申し上げます」と述べている。
松尾市長の三菱地所レジデンスへの異例の申し入れの背景には、鎌倉市が歴史的遺産の世界遺産登録に向けて活動を展開していることが考えられる。元治苑は世界遺産登録の候補地である荏柄天神の参道(国の史跡の若宮大路と並ぶ鎌倉最古の参道)に接している。元治苑の立地場所とその佇まいは、世界遺産登録候補地の景観形成上、極めて重要だ。松尾市長は鎌倉世界遺産登録推進協議会の会長でもある。
*ご参考
【東京新聞web版より転載】
「鎌倉にも大きな弾み」 平泉の世界遺産登録 松尾市長が意欲強調
2011年6月27日
国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会が「平泉の文化遺産」(岩手県)の世界遺産登録を決めたことを受け、鎌倉市の松尾崇市長は二十六日、コメントで「東北地方の復興に向けての希望の光になることを願う」と祝した上で「武家の古都・鎌倉」の次期登録を目指す意欲を強調した。
鎌倉は、一九九二年に世界遺産登録の暫定リストに掲載されて以来、寺社など候補資産の調査や史跡指定といった基礎的な準備を推進。二〇〇七年には、県と同市など三市で登録推進委員会を設け、日本の武家政権発祥の地としての顕著な普遍的価値の証明や構成資産の絞り込みなどユネスコへの推薦書原案の検討を進めてきた。
市は今後、政府の登録候補として選ばれるよう働き掛け、九月ごろに政府からユネスコへ推薦書の暫定版、来年一月ごろに正式な推薦書の提出を目指している。
地元の各種団体で構成する鎌倉世界遺産登録推進協議会の会長も務める松尾市長は「(平泉登録の)朗報は、鎌倉にとっても大きな弾みになる。平泉に続くよう市民や関係自治体と力を合わせ、登録への取り組みを進める」としている。 (斎藤裕仁)
三菱地所レジデンスは行動憲章の遵守を
三菱地所レジデンスがメンバーとなっている三菱地所グループの行動憲章は「地域社会との調和と相互の持続的発展をめざし、課題解決や活性化に努めるとともに、地域の歴史や文化、慣習を尊重します」とうたっている。三菱グループは日本を代表する歴史ある企業集団である。三菱地所レジデンスには行動憲章を遵守し、他の企業の規範となる対応をお願いしたい。
<三菱地所レジデンスのCSRへの取り組みと三菱地所グループ行動憲章>
【2社の公式HPより転載】
【三菱地所レジデンス株式会社】
本 社 〒100-8189 東京都千代田区大手町1-6-1 大手町ビル TEL(03)3287-8800(代)
八木橋 孝男社長
設 立 1957年6月1日
資本金 50,000百万円(2011年4月1日現在)
従業員数 1,265名(2011年4月1日現在)
主な事業内容 不動産の販売、不動産の仲介、不動産の賃貸借、工事の請負不動産の所有・管理及び貸借
三菱地所レジデンスは、2011年1月、三菱地所と三菱地所リアルエステートサービス、藤和不動産の3社の住宅事業を統合し、より一層の戦略高度化を図るために設立されました。
三菱地所レジデンスのCSR(企業の社会的責任)への取り組みは、三菱地所グループの基本使命「住み・働き・憩う方々に満足いただける、地球環境にも配慮した魅力あふれるまちづくりを通じて、真に価値ある社会の実現に貢献します」の実践を通じて社会に貢献することをめざしています。この使命の実現に向けてお客様への信頼を深めていく責務を果たすべく、さまざまな取り組みを重ねてまいります。
【三菱地所】
行動憲章
三菱地所グループ基本使命
私たちはまちづくりを通じて社会に貢献します
私たちは、住み・働き・憩う方々に満足いただける、地球環境にも配慮した魅力あふれるまちづくりを通じて、真に価値ある社会の実現に貢献します。
三菱地所グループ行動憲章
私たちは、基本使命を実践するために以下の通り宣言し、実行します
1.私たちは誠実に行動します
法と倫理に基づいて活動し、常に自らの行動を謙虚に振り返り、社会とのコミュニケーションを大切にすることで、公正、透明で信頼を第一とした企業活動を行います。
2.私たちはお客さまからの信頼を得られるよう努めます
お客さまの立場で考え、安全でより良い商品・サービスを提供するとともに、情報を適切に開示します。
3.私たちは活力のある職場づくりに努めます
自らの成長をめざし、個々の人権や多様な考え方を尊重し、創造性・専門性を高めながらチームとして総合力を発揮します。
三菱地所グループ行動指針
第2章 誠実な企業活動実践のための指針
4)社会とのコミュニケーションを大切にします
私たちは、市場の期待やニーズに応え、社会との相互発展をめざすために、お客さま、株主、取引先、地域社会の方々などと積極的にコミュニケーションを図り、それを経営に生かすことで公正、透明で信頼を第一とした企業活動を行います。また、不利益な情報も含めて企業情報を積極的かつ公正に開示することで社会への説明責任を果たしていきます。
第3章 社会と良好な関係を築くための指針
6.社会に対して
(1)企業市民として社会貢献活動に取り組みます
私たちは、企業市民として、心豊かな社会の実現をめざし、社会貢献活動を行います。活動にあたっては、人的経済的支援、NPO(非営利団体)との連携など、良き企業市民として社会問題の解決ならびに社会との相互発展をめざします。
(2)地域社会との調和と持続的発展に努めます
私たちは、海外も含めた事業拠点において、地域社会との調和と相互の持続的発展をめざし、課題解決や活性化に努めるとともに、地域の歴史や文化、慣習を尊重します。
三菱地所レジデンスの見解書
元治苑を守る会の鎌倉市議会への陳情書
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三菱地所レジデンスが元治苑に関する調査報告会:6・26
http://kitakamayu.exblog.jp/16538236/
2011-06-30T17:38:00+09:00
2011-07-01T09:26:36+09:00
2011-06-30T17:39:18+09:00
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「元治苑」にマンション建設
江戸末期頃の特徴、19世紀前半まで遡る可能性
大正時代、静岡県東部(駿河東部)辺りから移築か
守る会が解体延期とマンション計画見直しの要望書
6月26日、マンション計画で解体の危機に瀕している元治苑についての調査報告会が鎌倉宮(大塔宮)で開催された。今回の調査は「元治苑を守る会」(事務局電話:0467-24-3416、田川方)が、事業者の三菱地所レジデンスに要請して実施された。
外から見た現在の元治苑
元治苑内部の建物(「元治苑を守る会」提供、撮影時期は大正時代)
三菱地所レジデンスは今回の調査報告後直ちに元治苑の解体に着手する方針だが、「元治苑を守る会」は、鎌倉市に社寺以外に残る唯一の江戸時代の遺構であることなどを理由に、元治苑の正式な調査結果が開示されるまで、元治苑の解体に着手しないよう要望書を三菱地所レジデンスに提出した。
調査報告会に提出された「元治苑建物調査報告書」(平成23年6月21日現在)によれば、調査は(株)山手総合計画研究所が中心となり、現存されている建物の実測調査と建物の履歴に関する資料調査の2本立てで行われた。
建築された年代に不明だが、主体部は建築の間取りや架構(建築構造上の骨組み。柱、梁、床などからなる基本構造部分のこと)は江戸末期頃の特徴があり、19世紀前半まで遡る可能性がある。ちなみに元治は「1864年2.月20日~1865年4月7日まで。文久の後、慶応の前。孝明天皇の代(三省堂の大辞林)」。増築部については、内装の意匠や設備の特徴から見て、大正末期から昭和初期にかけて建てられたものと推測される。
主体部については、移築であると伝えられているが、その移築時期についても明確に判断できる資料などに欠けるため、はっきりしたことが分かっていない。ただし、敷地に建物が建ったのが、大正以降であるのとは間違いないので、それ以降に移築されたことは確かである。
主体部の柱間寸法が1894ミリメートルとした中京間を採用している点から、中京地方であるものと推測される。また、柱に栂(つが、マツ科の常緑高木。福島県以南の山地に自生。樹皮は縦に裂け、葉は短い針状で2列に並んで密生) 材を多く用いていることから、関東以南の地域で東海地方から中部地方にかけての太平洋沿岸の地域である可能性が高い。中京間、栂の使用、架構の特徴、移築の運搬距離を考慮すれば、静岡県東部(駿河東部)辺りから移築してきた可能性が高いと考えられる。
「元治苑」の解体延期とマンション計画見直しのお願い
2011年6月26日
元治苑を守る会
三菱地所レジデンス株式会社
代表取締役社長 八木橋孝男様
「元治苑」の解体延期とマンション計画見直しのお願い
拝啓 貴社益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。
さて、貴社を事業者とする「二階堂マンション計画」に関して、2011年6月1日に、第三者機関による「元治苑」の調査結果を正式に開示し、住民との話し合いを経るまで、「元治苑」の解体を延期するようお願いいたしました。
その「お願い」に対し、貴社は以下の回答を見解書として提示されました。 [「元治苑」の調査は、建物の取り壊しを伴うものも含まれているため、解体作業前に正式な調査結果を開示することはできませんが、6月26日(日)に「元治苑」の歴史などに関する調査報告をさせていただいたのち、解体に着手することと致します。]
私ども「元治苑を守る会」と致しましては、以下の理由から、元治苑の正式な調査結果が開示されるまで、元治苑の解体に着手されませんよう、ここにお願いいたします。
(正式な調査結果が開示されるのは8月末の予定と、口頭で聞いております。)
元治苑は元治元年(1864年)に建てられた築147年の建物で、鎌倉市に社寺以外に残る唯一の江戸時代の遺構であること。現在鎌倉市で国登録有形文化財の指定を受けている11件のうち、江戸時代のものは一件もなく、元治苑は国登録有形文化財に指定しなければならない重要な建造物です。
元治苑はまた世界遺産登録の候補地である荏柄天神の参道に接しており、世界遺産登録候補地の景観を形成する場所に建てられていること。荏柄天神参道は国の史跡の若宮大路と並ぶ鎌倉最古の重要な参道です。またこの地は大蔵幕府跡に近く、鎌倉時代初期の政治の舞台となった場所で、貴重な歴史遺産が埋蔵されていると考えられること。
大蔵幕府跡は鎌倉の歴史にとってこの上なく重要な場所ですが、現在清泉小が建てられているために調査ができません。元治苑は大蔵幕府址にかつてあった神田屋敷の最期の1棟であり、鎌倉市にとってのみならず、日本の歴史にとって非常に重要なものであり、国の史跡として保存されなければならないものです。
私ども『元治苑を守る会』は、専門家による元治苑の調査、および性急な元治苑の解体とマンション計画の見直しを求めて、これまでに2742名の署名を集めました。元治苑を守ることは私ども『守る会』のみならず、多くの市民の願いなのです。
私ども「元治苑を守る会は」市民の熱い思いに後押しされ、市議会、県議会、文化庁にお願いし、元治苑の保存に向けた活動を展開しております。鎌倉市の市民憲章には、「私たちは、鎌倉の歴史的遺産と自然及び生活環境を破壊から守り、責任を持ってこれを後世に伝えます。」とあります。
貴社におかれましては、元治苑を性急に解体することなく、文化財としてこれを守り、鎌倉市が世界に誇る歴史的文化都市として発展することに寄与されますよう、心よりお願い申し上げます。
敬具
「元治苑建物調査報告書」
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鎌倉の邸園文化の象徴「元治苑」にマンション建設計画浮上
http://kitakamayu.exblog.jp/16471721/
2011-06-15T07:58:00+09:00
2013-05-05T21:15:39+09:00
2011-06-15T07:59:05+09:00
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「元治苑」にマンション建設
事業者は三菱地所グループの三菱地所レジデンス
江戸、明治、大正、昭和、平成の歴史の流れ刻む
歴史的遺産の世界遺産登録に向けて活動を展開している古都鎌倉で、貴重な文化遺産がまたまた消滅の危機に直面している。鎌倉の邸園文化を象徴する「元治苑」が取り壊され、その跡地へ4階建てのマンション建設計画(「(仮称)鎌倉市二階堂マンション計画」)が、今年2月から具体的に動きだした。
「元治苑」の名称の由来は元治元年(1864)に建てられたことにあると言われている。鎌倉宮(大塔宮)に向かう「お宮通り」と「荏柄天神参道」の両方に接する位置にあり、約2400平方メートルの敷地には、歴史的建物と日本庭園を有する。神奈川県の邸園文化圏再生構想にもリストアップされた。
近隣住民は3月、緑豊かな景観を守るために「元治苑を守る会」(事務局電話:0467-24-3416、田川方)を結成、事業者の三菱地所グループの三菱地所レジデンスに「元治苑」の取り壊しとマンション計画の見直しを求めるための署名活動をスタートさせた。「元治苑を守る会」によれば、わずか半月(5月15日~5月31日)で、2474人分の署名が集まった。ちなみに6月15日現在では2610名。
*三菱地所レジデンスは、2011年1月、三菱地所と三菱地所リアルエステートサービス、藤和不動産の3社の住宅事業を統合し、より一層の戦略高度化を図るために設立された。
◇元治苑マンション建設問題の経緯
2011・2 三菱地所レジデンスから近隣住民にマンション建設についての挨拶状届く
3 「まちづくり条例」による第1回住民説明会
3 「元治苑を守る会」結成
3 住民から30通ほどの意見書を鎌倉市に提出
4 第2回住民説明会
5 第3回住民説明会
6 2474人の建設反対署名簿を三菱地所レジデンスに提出
◇計画概要
【名称】(仮称)鎌倉市二階堂マンション計画
【地域・地区】第一種中高層住宅専用地区、鎌倉景観地区(高さ制限15メートル)
【構造・規模】鉄筋コンクリート造、地上4階建
【高さ】14,24メートル
【建築用途・戸数】共同住宅・41戸
【敷地面積】約2,411平方メートル
「元治苑を守る会」事務局によれば、三菱地所レジデンスが「元治苑」取得する前の所有者は亀戸コークスの創業者の神田兼太郎氏で、大正時代に取得した。近隣住民は「元治苑」を「神田屋敷」とも呼んでいる。神田兼太郎氏の前の所有者は、日本通運の前身、内国通運会社の創業者の吉村甚兵衛氏。「元治苑」には江戸、明治、大正、昭和、平成の歴史の流れがしっかりと刻まれている。
【「元治苑を守る会」事務局の話】
「神田兼太郎氏(昭和28没)は『亀戸コークス』(所在地:〒136-0071 東京都江東区亀戸1丁目6-2-201 業態:マンション賃貸業=@nifty ビジネスより)の創業者で、大正8年(?)に神田屋敷を取得。現在の元治苑に接しているメゾン2階堂、さらにバス停そばの3軒ほどの戸建ても含まれていました。また、現清泉小学校(大蔵幕府址)には藁ぶきのお屋敷が11棟あり、そこも神田さんの持ち物でした。元治苑とバス通りを挟んで向かい側の駐車場も神田さんの所有です。関係者によれば、当時の鎌倉市長が財政難で困っていて、神田さんに何とかしてほしいとお願いしたところ、神田さんは藁ぶきの11棟を保存するという条件で、畑の部分(まさに幕府址)をただ同然で鎌倉市に譲り、鎌倉市はそれを清泉に売却、財政難から脱却したそうです。その後その11棟は火事で焼失、清泉がその跡地を取得したということです。神田さんの前の所有者もわかっています。*吉村甚兵衛氏で、日本通運の前身、内国通運会社の創業者です。清泉のほうの前所有者は北海道の人だそうです」
*吉村甚兵衛(よしむら-じんべえ )
1836-1886幕末-明治時代の通運業者。天保(てんぽう)7年生まれ。三都定飛脚(じょうびきゃく)問屋和泉屋の主人。明治4年の官営郵便の開始によって打撃をうけ,5年陸運元会社を創立,8年内国通運会社(のちの日本通運)と改称し頭取となる。東京為替会社,廻漕会社の頭取もつとめた。明治19年11月26日死去。51歳。江戸出身。(デジタル版 日本人名大辞典+Plus)
【「元治苑」内部の写真】(写真提供は「元治苑を守る会」)
*撮影日は大正時代に神田氏が「元治苑」取得直後。建物は現在も残っているが、茅葺き屋根はトタン(?)がかぶせられている(「元治苑を守る会」)
*最後の写真にある建物と温室は残っていない。現在はメゾン二階堂というマンションになっている(「元治苑を守る会」)
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