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北鎌倉の神々、市民活動の日フェスティバルで18部販売 再興に向けて奮闘中の太田住職にエールを! 「住職ではない、目指したのはお坊さんだ」 龍隠庵境内から見た円覚寺選佛場(手前・藁屋根)と仏殿 ![]() ![]() ![]() これに対し、販売員の方は「香山堂の社長は太田住職なので、住職にお願いしてください」と答えた。龍隠庵は、由緒のある円覚寺の塔頭だが、歴史の変遷の中で、移転を繰り返し、現在の場所に落ち着き、太田住職が再興に向けて、尽力されている。 「住職がどうして仏具グッヅのお店を経営しているの?」と、疑問を持つ方がいるかもしれないが、現在の龍隠庵には、檀家が極めて少ないからである。太田住職が香山堂の社長を兼務されているのは、龍隠庵を維持、運営するための手段なのだ。「浄財は純粋に龍隠庵復興のために使いたい」(太田住職) ![]() 太田住職は龍隠庵の住職兼香山堂の社長であると同時に、足立大進円覚寺派管長の“秘書役”もされている。とにかく多用な方だ。なるべく早くお会いしたかったのだが、そういう事情でなかなかアポイントが取れないでいた。しかし、6月7日に念願が叶った。 太田住職のお姿は、遠目には何度も拝見している。八雲神社の例大祭(http://kitakamayu.exblog.jp/i12/)のときに、円覚寺の参道で八雲神社のお神輿を迎える、足立管長の左側に仕えておられるのが、太田住職だ。プロレスラーと見間違えるような、立派な体格をされている。風貌だけから判断し、いかつい感じのするお坊さんだと思っていた。 ![]() しかし、実際にお話してみると、それはまったくの見当違いだった。法事の終わる直前に龍隠庵にお伺いした。法事の参列者と太田住職の会話が、耳に入ってきた。「これで安心ですね」「お陰さまで。ありがとうございました」。太田住職の話し方は、参列者の気持ちにぴったりと寄り添い、優しさに溢れていた。 ![]() 「この優しさは、演技ではできない。深いものがある」。そう考えて「いつごろからお坊さんの道を目指したのですか」と、太田住職にお聞きした。太田住職は「花園大学を卒業し1年間の熟考期間を経て、円覚寺の修行僧になった。お坊さんになりたいという気持ちは、高校時代からあった。花園大学に進んだのもそのためだ。しかし、一生の問題である。簡単には決められなかった」と答えられた。 「なぜ、龍隠庵の住職になったのか」 「修行時代に格式の高いお寺から縁談の話があった。『若気の至り』で断ってしまった。縁談の相手、その両親を傷つけてしまったかもしれない。お坊さんになりたいと思っていた。住職になりたかったのではない。修行の道を全うしたいと思う気持ちが強かった。だから、廃寺という最低の条件のお寺の住職の道を選んだ」 「龍隠庵を再興するに当たり、宗派を問わないとしているが」 「大切なのは仏心です。檀家制度の名残で、生まれる前から宗派が決まっているのは変です」 「200%相手の立場を考えてしまう。だから、自分のことが回らなくなってしまう」というのが、周辺関係者の太田住職評だ。まさにその通りだった。この日、また、素晴らしいお坊さんにお会いすることが出来た。北鎌倉に転居してきて、本当に良かった。 さて、龍隠庵訪問の本来の目的であった「ガイドブックに載らない北鎌倉の神々」の取り扱いだが、快諾していただいた。ただ、感謝あるのみである。今後の販売に関する手続きは、出版社の夢工房の片桐務代表にお願いした。 ![]() 【龍隠庵 】<「鎌倉の寺小事典」(かまくら春秋社)より> 応永26年(1419年)頃、長尾忠政の外護のもと、円覚寺137世芳隠省菊(ほういんしょうぎく)により、先師円覚寺102世大雅省音(たいがしょういん)の塔頭として開創された。当初は龍隠軒と称し、円覚寺塔頭「宝珠院」内の寮舎でもあった。応永33年(1426年)塔頭に加わった。その後、「宝珠院」が衰退し「龍隠軒」のみが残り、永正6年(1509年)長尾顕忠の妻幸春尼(華渓幸春大姉)の外護により再興された。その後、庵の場所は度々移転した。 ◇開山 大雅省音(たいがしょういん) ◇本尊 聖観世音菩薩 ![]() ◇電話:0467-25-1447 ◇北鎌倉駅から徒歩4分 ![]() ![]() ![]() 【檀家制度】(Yahoo!百科事典より) 寺檀制度(じだんせいど) 檀家(だんか)制度、寺請(てらうけ)制度ともいう。特定の寺院が特定の家(檀家)の葬祭を永続的に担当して布施(ふせ)を受ける寺檀関係を基礎とし、寺請や宗旨人別帳への記載によって、檀家の人々がキリシタンでないことを証明させる制度。江戸幕府の宗教統制として始まり、戸籍制度の性格をもっていた。 (中略) 江戸幕府が崩壊しても、1871年(明治4)に戸籍制度が定められるまで宗旨人別帳の作成は続けられた。宗旨人別帳の廃止後においては、仏教各宗教団は寺檀関係を教団の基盤として維持し、また明治民法が家制度を法制化したことによって、寺檀関係は存続を続け、現代に及んでいる。
by kitakamayunet
| 2009-06-09 10:21
| ガイドブック・プロジェクト
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