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「吾妻はや」詠嘆の地・熊野神社を参拝(信州秋の旅①) 御柱は結界であり、トーテムポール? 諏訪大社の氏子の皆さんの熱意と創意工夫に敬服 ![]() ![]() 御柱祭では7年に1度の寅と申の年に宝殿を新築し、社殿の四隅にあるモミの大木(上社本宮・前宮、下社秋宮・春宮各4本、計16本)を建て替える。山中から御柱として切り出した大木(長さ約17m、直径1m余り、重さ10トン超)を長野県諏訪地方の各地区の氏子の分担で、4箇所の各宮まで曳行する。下社山出しの木落としはとりわけ有名で、死傷者が出ることもある。 御柱祭の起源は定かではないが、平安時代以前のようだ。諏訪大社は、五穀豊穣、狩猟・風・水・農耕の神として古くから信仰されているため、それらを祈願するものであったと推測されている。 下社秋宮ー春宮―上社本宮―前宮の順番で参拝した。御柱には初めて対面したが、雲をつくような巨大さに圧倒されると同時に、これを山から切り出して人力だけで各宮まで曳行する行為に驚嘆した。諏訪地方の6市町村21万人の氏子がこぞって参加するそうだが、氏子をそこまで駆り立てる原動力は、一体何か。深く考えさせられた。 ![]() 上社本宮の一之御柱横の立札に「御神徳の更新を祈る氏子の魂を結集した」との説明があったが、御柱の意味についてはネット検索したら①伊勢神宮のように本殿を何年かおきに建て替えることがあるが、諏訪大社は本殿がないため、柱だけを建て替えることにした②先祖の霊を祀るために立てた柱=トーテムポール③聖域と外の世界を区別する結界―の三つの説があるという。 「古事記」によれば、葦原中国(出雲)の国譲りを迫る建御雷神と戦った大国主の息子の建御名方神は建御雷神に敗れ、諏訪湖まで追いつめられた。建御雷神が建御名方神を殺そうとしたとき、建御名方神は「もうこの地から出ないから殺さないでくれ」と言い、服従した。 一方、『諏訪大明神絵詞』などに残された伝承では、建御名方神は諏訪地方の外から来訪した神であり、土着の洩矢神を降して諏訪の祭神になったとされている。このとき洩矢神は鉄輪を、建御名方神は藤蔓を持って闘ったとされ、これは製鉄技術の対決をあらわしているのではないか、という説がある」(「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 御柱を前にして自分の体内のDNAのありようのヒントが得られたような気がした。それとこれだけの祭を継続させている諏訪大社の氏子の皆さんの熱意と、そのための創意工夫に頭が下がった。東大社の神幸祭成功の一助のために、情報発信と奉賛のノウハウを御柱祭からしっかりと学びたいと思った。 余談だが、建御名方神は建御雷神、経津主神ともに日本三大軍神に数えられている。経津主神はわたしの故郷の千葉県香取郡東庄町に隣接している香取市に鎮座されている香取神宮(http://www.katori-jingu.or.jp/)の祭神であり、建御雷神は利根川を挟んだ茨城県に鎮座されている鹿島神宮(http://www.bokuden.or.jp/~kashimaj/)の祭神である。 春宮 ![]() 秋宮 ![]() ![]() ![]() 洩矢神&ミシャグジ ミシャグジは、古来より日本に伝わるが、謂れのよくわからない神である。ミシャグチ、シャグジなどとも呼ばれ、御左口、赤口など多くの漢字が当てられる。ミシャグジ信仰は東日本の広域に渡って分布しており主に石や樹木を依代とする神で蛇の姿をしているとも言われている。 その信仰形態や神性は多様で地域によって差異がありその土地の神や他の神の神性が習合されている場合がある。信仰の分布域と重なる縄文時代の遺跡からミシャグジ神の御神体となっている物や依代とされている物と同じ物が出土している事等からこの信仰が縄文時代から存在していたと考えられている。 諏訪地方では特に諏訪の蛇神であるソソウ神と習合されたためか白蛇の姿をしているともいわれており、建御名方神や洩矢神(モレヤ神)と同一視されることもある。また御社宮司、御左口など多くの漢字があてられる。 この神を祀っていた守屋神社(もりやじんじゃ)では、神官に憑依して宣託を下す神とされた。また1年毎に八歳の男児が神を降ろす神官に選ばれ、任期を終えた神官が次の神官が決まると同時に人身御供として殺されるという「一年神主」の伝承も残る。[要検証]マタギ等の山人たちにも信仰されていたと言われる。(「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」) 諏訪大社 諏訪市の上社本宮、茅野市の前宮、下諏訪町の春宮、秋宮の4社から成り立っている。 歴史は古く、延喜式神明帳(西暦927)にもその名が載っている。 御柱神は建御名方命、八坂刀売命のご夫妻で祀られている。 古事記の国譲りの場面で、大国主命の息子として最後まで抵抗し、諏訪の地まで逃げてきて、幽閉された神である。 諏訪湖は一面の葦の原、此所を開拓した神として崇められている。 鎌倉武士たちには戦神としても尊敬を集める。 全国1万社の総本社である。 諏訪大社は、信濃国諏訪の地に鎮座のこと。「古事記」に明らかで、我が国最古の神社の一つであり、古来諏訪大明神・諏訪南宮大明神・諏訪南宮正一位法性大明神などと称した。 祭神建御方命は、大国主命の第二子で、兄事代主命と共に大国主命を助けて、国土経営の大任に当たられた。 この地の農耕・機織をすすめられた。 昔は狩猟の神・農業の神として神格を有したが、神功皇后三韓征伐に神威を顕現、文永弘安の役に外敵を退けられた。 由来国家鎮護の守護神として。 歴代武門・武将の崇敬篤く、鎌倉幕府は社領を寄進し、武田信玄は社殿を造営・祭祀を復興し、江戸幕府はまた社領1500石を奉献し、神徳を仰いだ。 大正五年官幣大社に列せられた。 現在は神社本庁別表神社。 (諏訪地方観光連盟 御柱祭情報センターHPより)
by kitakamayunet
| 2009-10-22 16:06
| 式年東大社銚子御神幸祭
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タイトル : 万冶の石仏:信州秋の旅②
諏訪大社の御柱には縄文と弥生の記憶が…:信州秋の旅② 諏訪市の上社本宮、茅野市の前宮、下諏訪町の春宮、秋宮の4社から成り立っている。 歴史は古く、延喜式神明帳(西暦927)にもその名が載っている。 御柱神は建御名方命、八坂刀売命のご夫妻で祀られている。 古事記の国譲りの場面で、大国主命の息子として最後まで抵抗し、諏訪の地まで逃げてきて、幽閉された神である。 諏訪湖は一面の葦の原、此所を開拓した神として崇められている。 鎌倉武士たちには戦神としても尊敬を集める。 全国1万社の総本社である。 ...... more
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