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諏訪大社の御柱には縄文と弥生の記憶が…:信州秋の旅② ![]() 諏訪大社下社春宮(下諏訪町)の境内にある案内板から歩いて約5分の距離に、地元では阿弥陀様と呼ばれている「万治の石仏」が鎮座されていた。名前の由来は石仏に「万治3年(1660年)11月1日」と「願主明誉浄光・心誉廣春」と刻まれているため。この石仏を見た瞬間、異次元の世界に迷い込んだような錯覚を持った。参拝しながら、言葉では表現できない不思議な感覚を十分過ぎるほど味わった。 万治の石仏には伝説がある。下諏訪町によると「諏訪大社下社春宮に石の大鳥居をつくる時、にこの石仏を材料にしようとノミを入れたところ(そのノミは現存している)、傷口から血が出てきたため石工達は祟りをおそれ、その夜に石工達が上原山(茅野市)に良い石材があるという夢を見て、その山に行き探したところ見つけることができた。石工達はこの石仏を阿弥陀如来として祀った。それに因んでこの辺りに地名が石仏となっている」 この石仏を有名にしたのは「芸術は爆発だ!」を連呼した芸術家の岡本太郎(故人)である。岡本太郎は「世界中歩いているが、こんな面白いものは見たことがない」と絶賛したという。岡本太郎が揮毫した「万治の石仏」板状の石碑が、諏訪大社下社春宮の西を流れる砥川対岸の道に設置されている。![]() 「有史以前、長野県内には縄文時代の遺跡が多数分布し、この時代の中心地のひとつであった。とくに小県郡長和町の和田峠は(石器の材料として、広く流通していた)黒曜石の代表的な産地であった。続く弥生文化は、まず東海地方から長野県南西部へと伝わり、その後日本海側の北陸地方から北部へと伝わったと考えられている。この2ルートでの波及が原因かは不明であるが、中野市の柳沢遺跡からは、東日本では唯一となる一緒に埋葬された銅鐸と銅戈が出土している(銅鐸と銅戈が一緒に出土したのは日本全国でも数例しかなく、また大阪湾型と九州型の銅戈が混在していることも極めて稀なケース)」(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』) 偶然立ち寄った東京国立博物館に展示されていた火焔型縄文土器の芸術性の高さに衝撃を受けたことがきっかけで、岡本太郎は、縄文文化の再評価に努めた。「忘れられた日本人のヴァイタリティ(活力)を発見した」。そして岡本太郎は、「縄文が息づく町」と言って、下諏訪をこよなく愛したという。 ![]() 常人の私でさえ、諏訪大社の御柱に、縄文の記憶をうっすらと感じた。並外れて直観力の鋭い芸術家の岡本太郎が、「縄文が息づく町」に鎮座されている胴体と仏頭が、別々に刻まれた「異形の石仏」に、縄文のヴァイタリティを強く意識したとしてもなんら不思議はないだろう。 *参考HP 万治の石仏(http://home.s01.itscom.net/sahara/stone/s_chubu/013_manji/013.htm)
by kitakamayunet
| 2009-10-27 12:11
| 式年東大社銚子御神幸祭
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