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初体験、紅葉と虹に彩られた黒部渓谷:信州秋の旅④ ![]() 沢渡駐車場でマイカーを降り、シャトルバスに乗ろうとしたが、満員で乗れなかったので、タクシーを利用した。私たちと同様にシャトルバスに乗れなかった若いカップルと同乗した。料金は割り勘となり一人当たり1000円。バス代が1200円だから、人数がまとまれば、タクシー利用の方が割安だ。 タクシーの運転手さんから「明神池は河童橋から4キロ近くあり、歩いて1時間くらいかかりますが、是非、見に行ってください。あまりの神秘的な美しさに、涙を流す若い女性もいます」と明神池見学を強く勧めた。トンネルを過ぎるとほどなくして焼岳と見事に色づいたカラマツ林が視界に飛び込んできた。 ![]() 上高地を象徴する河童橋から上流を望むと三千メートル級の西穂高岳、奥穂高岳、前穂高岳、明神岳が眼前に迫ってきた。梓川の清流と紅葉との組み合わせが何ともいえない。今まで見た景色の中で一番美しい気がする。 ![]() 前日の14日に、立山を見て「山に神様が宿る」と素直に思った。明神池から明神岳を見上げて、その思いをさらに強くした。池のほとりには穂高神社奥宮が鎮座していた。「穂高神社奥宮は海神綿津見命(わたつみのみこと)を祖とする阿曇連(あずみむらじ)(安曇氏)が奉祀(ほうし)した」(「日本大百科全書」=小学館)。 ![]() 諏訪大社の祭神である建御名方命は、葦原中国(出雲)の国譲りを迫る建御雷神とのに敗れ、諏訪湖まで追いつめられた。そのことが御柱祭に深く関係している。「新潟県糸魚川市に残る伝承では、大国主と沼河比売との間に生まれた子が建御名方神で、姫川をさかのぼって諏訪に入り、諏訪大社の祭神になったという」(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』) 出雲の国から大和朝廷に追われた建御名方命は日本海ルートで、一方の安曇氏は瀬戸内海を経由し、太平洋ルートで縄文の名残が強く残る信州の地にたどり着き、この地方の発展に大きな貢献をしたようだ。 東大社の神幸祭は超ローカルな祭である。しかし、この祭を取材することで日本の成り立ち、日本とアジアの関係、ひいては世界の関係が今までよりも見えてきたような気がする。信州秋の旅は今回が最終回だが、実りの多い旅だった。次は出雲、伊勢、大和の旅に出る予定だ。 ![]() ![]() *穂高神社(ほたかじんじゃ) 長野県安曇野(あづみの)市穂高に本宮、松本市上高地(かみこうち)明神(みょうじん)池のほとりに奥宮が鎮座。祭神は穂高見命(ほたかみのみこと)、綿津見(わたつみ)命、瓊瓊杵(ににぎ)命。海神綿津見命を祖とする阿曇連(あずみむらじ)(安曇氏)が奉祀(ほうし)した古社で、859年(貞観1)には従(じゅ)五位上の神階を授けられた。『延喜式(えんぎしき)』にも名神大社と登載され、諏訪(すわ)大社、生島足島(いくしまたるしま)神社とあわせて信濃(しなの)三社とよばれる。旧国幣小社。9月27日の例祭(御船祭、県の無形民俗文化財)のほか、20年ごとの御遷座(ごせんざ)祭は盛大な神事である。 (「日本大百科全書」=小学館) ![]() *安曇氏 古代日本を代表する海神族として知られる有力氏族で、発祥地は筑前国糟屋郡阿曇郷(現在の福岡市東部)とされる。古くから中国や朝鮮半島とも交易などを通じて関連があったとされ、後に最初の本拠地である北九州の志賀島一帯から離れて全国に移住した。この移住の原因として、磐井の乱や白村江の戦いでの安曇比羅夫の戦死が関係しているとの説がある。 安曇は海人津見(あまつみ)が転訛したものとされ、津見(つみ)は「住み」を意味する古語とする説もあり、その説だと安曇族はそのまま「海に住む人」を示す。 記紀に登場し、「日本書紀」の応神天皇の項に「海人の宗に任じられた」と記され、「古事記」では「阿曇連はその綿津見神の子、宇都志日金柝命の子孫なり」と記されている。その他、「新撰姓氏録」では「安曇連は綿津豊玉彦の子、穂高見命の後なり」と記される。 律令制の下で、宮内省に属する内膳司(天皇の食事の調理を司る)の長官(相当官位は正六位上)を務める。これは、古来より神に供される御贄(おにえ)には海産物が主に供えらた為、海人系氏族の役割とされたことに由来する。 安曇族が移住した地とされる場所は、阿曇・安曇・厚見・厚海・渥美・阿積・泉・熱海・飽海などの地名として残されており、安曇が語源とされる地名は九州から瀬戸内海を経由し近畿に達し、更に三河国の渥美郡(渥美半島、古名は飽海郡)や飽海川(あくみがわ、豊川の古名)、伊豆半島の熱海、最北端となる飽海郡(あくみぐん)は出羽国北部(山形県)に達する。この他に「志賀」や「滋賀」を志賀島由来の地名として、安曇族との関連を指摘する説がある。 また海辺に限らず、川を遡って内陸部の信濃国安曇郡(長野県安曇野市)にも名を残し、標高3190mの奥穂高岳山頂に嶺宮のある穂高神社はこの地の安曇氏が祖神を祀った古社で、中殿(主祭神)に「穂高見命」、左殿に「錦津見命」など海神を祀っている。志賀島から全国に散った後の一族の本拠地は、この信濃の安曇郡とされる。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』) 梓川沿いの紅葉 ![]() ![]() 明神池 ![]()
by kitakamayunet
| 2009-11-04 09:41
| 式年東大社銚子御神幸祭
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