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10・16東大社銚子大神幸祭出版記念講演会:大新旅館 弥勒三番叟の供奉者の立烏帽子に「東」の紋復活で執筆決断 東大社宮司、有識者の皆さんの激励に勇気付けられる 10月16日(土)午後1時半から、大新旅館(銚子市中央町10-27 電話 0479-22-4190 http://www.newdaishin.com/daishin/)で、「里と海の民が共に紡ぐ900年の伝説」という演題で講演した。主催は「第54回東大社式年銚子大神幸祭-総(ふさの)国の原風景-」出版記念講演会実行委員会(実行委員 川島陸夫 椎名輝男 山崎全代 飯田篤永 飯田佐武郎 片桐務)。実行委員は銚子雑学塾のメンバーと東大社の宮司及び常任理事、それに出版社の代表で構成されており、事務局を銚子雑学塾の山崎全代さんらに担当していただいた。 講演に先立ち主催者として挨拶する川島陸夫・銚子雑学塾長 司会役の山崎全代さん この日の講演会では「第54回東大社式年銚子大神幸祭-総(ふさの)国の原風景-」をテキストとして使用し、「第一章【神事ルポ】海は遥かなる異界であり他界」「第二章【芸能ルポ】華やかな時代絵巻に酔いしれる」「第三章 東大社は大和朝廷の前進基地-東征伝説の舞台は陸奥国への最短路-」「第四章 宮三部家のルーツは筑紫国の海神族-親子2代、正統を追求した山口尚さんを偲んで-」「第五章 「三社式年銚子大神幸祭」は歴史の改ざん-「東大社式年銚子大神幸祭」に戻すべきだ-」の順に、執筆の狙いを説明した。 特に時間を割いたのが、第五章だ。この章を本書に盛り込むべきかどうかは、ぎりぎりまで迷った。3社間の軋轢を生むことを恐れたからだ。しかし、今回の神幸祭で現在は雷神社の氏子である倉橋地区の皆さんが供奉する弥勒三番叟の立烏帽子に、桜花の中に東大社の「東」の字を表した紋が復活したのを目の当たりにして、決断した。 「東」の紋が消えた前回の東大社式年銚子大神幸祭(第五十三回式年3社銚子大神幸祭=大衆日報社) 「東」の紋が復活した今回の東大社式年銚子大神幸祭(撮影:島村国治) 第五章に関しては、書いてよかったとしみじみ思う。飯田篤永第七十七代東大社宮司から「実際には未だ見たこともない神幸祭に関する今回の執筆活動のために、六年もの長きに亘る取材に携り、そのご苦労には只々、敬意を奉げるものであり、野口氏の本業であるジャーナリストとして長年培った文筆活動を通じて、東大社の式年大神幸祭を史実に基づいて正しく伝えたいという熱意に心より感謝申し上げたい。この本は伝統文化、民族文化、更には民俗学の分野からしても、この上もなく素晴らしい一冊であり、是非一読を願いたい」との推薦の言葉をいただいた。 飯田宮司には、故郷での出版を祝う会、建長寺での出版報告会、この日の出版記念講演会にも出席していただき、推薦の言葉と同じ趣旨のご挨拶をしてもらった。故郷の老舗の「入正醤油」10代目で、識見の高い多田庄兵衛社長は「この本の価値は第五章にある。これがなかったら20年後は三社式年銚子大神幸祭が正しい名称だと関係者が思ってしまう」と、わざわざ電話で読後感を伝えてくれた。「入正醤油」は創業が1724年で、NHKの朝の連続ドラマ「澪(みおつくし)」のロケの舞台になった。 また、第五章執筆にあたり、的確なアドバイスを寄せてくれた歴史に精通している元銚子雑学塾長の大木衛さんからも「(本書は)第54回神幸祭の神事を細大漏らさずに記述している。次回参加できない人たちへの大いなる遺産となる」との激励の葉書をいただいた。 さらに、この日の講演会に出席いただいた東総歴史研究同好会の阿部明元会長からは「書いてある通りです」と言っていただいた。阿部明元会長にとっては神幸祭を見るのは、今回が5回目という。大木衛さんにとっては4回目の神幸祭だった。歴史に詳しい上に、実際に神幸祭を何回も見ている生き字引のような存在であるお二人から、評価していただき、力強い限りだ。 「里と海の民が共に紡ぐ900年の伝説」 (出版記念講演レジュメ) 2010年10月16日 野口 稔 【執筆の動機】 神幸祭の後世へのスムーズな継承に役立つことを願って執筆した。20年後、さらに20年を五つ積み重ねた100年後の故郷の人たちに「第54回東大社式年銚子大神幸祭-総(ふさの)国の原風景-」を読んでほしい。 【基本的な立場】 ジャーナリストとして、歴史の改ざんは絶対に看過できない。このまま名称問題を放置すれば、100年後の故郷の人たちは、誤った歴史を正しい歴史と受け取ってしまう。先人が営々と築いてきた伝統を冒瀆する行為だ。取材費はすべて自己負担。 ◎ぎりぎりまで迷った第五章の執筆 3神社間の不協和音を増幅させることにつながることを懸念した。しかし、立烏帽子に「東」の紋復活で執筆を決断した。歴史の真実は曲げられない。 「立烏帽子に「東」の紋復活」(第五章 「三社式年銚子大神幸祭」は歴史の改ざん-「東大社式年銚子大神幸祭」に戻すべきだ-より) 今回の神幸祭では、歴史の真実は曲げられない実例を目の当たりにした。弥勒三番叟の供奉者の立烏帽子の桜花の中に「東」の字を表した紋が復活したのだ。 前回の神幸祭にこの紋はなかった。復活の理由を高嶋捷邑東大社常任理事は「前回、『東』の紋がなかったのは雷神社の役員が、『雷神社の氏子が東大社を意味する『東』の紋は罷りならん』と取り外しを要求したため。しかし、何百年も『東』の紋を付けて芸を演じてきた倉橋地区の氏子の間に『本来、倉橋地区は東大社の氏子で、雷神社の氏子ではなかった。歴史に則って演じるべきで、現在が雷神社の氏子だからといって、取り外す必要はない』と、元に戻そうという機運が高まり、復活した。歴史を重んじる倉橋地区の皆さんの英断に感謝したい」と説明してくれた。 【資料7】「雷神社(ライジンジャ)由緒」の「東大社・豊玉姫神社が『香取地方の神』であるのに対し、雷神社は御神幸先の銚子を含む地元『うなかみ』地方(香取の一部も海上郡に含まれていた時代があった)の神であるから、倉橋の三番叟を氏子に持つ当社が加わっているのは、他の2社とは別の意味合いがあるようである。尚、三番叟以外にも芸能披露も行われるが、これは東大社の氏子区民によるもので、時代的にも新しく、三番叟とは別の位置付けにあり、同列では考えられない」という記述が、奥歯に物が挟まったような言い方で、何を主張したいのかがはっきりしなかった。 しかし、このもやもやは高嶋常任理事の説明と、【資料18】の房総の祭事を読むことで氷解した。房総の祭事は①倉橋地区は、東大社との縁極めて深く、古く氏子であったとの伝えがある②倉橋弥勒三番叟の立烏帽子は、歴史的に「東」の紋を付けていた③弥勒三番叟は途切れそうになったが、倉橋地区の皆さんの伝統芸能再興への熱い思いが結実し、現在に至っている-と書いている。 東大社あっての神幸祭と書いたが、東総地区全体の発展を考えれば、豊玉姫神社と雷神社の協力があっての神幸祭ともいえる。正しい歴史認識に基づき、継続に向けた運用面の工夫を3社には期待したい。「東大社を主軸として豊玉姫・雷神社両輪として一致協力の神事を願っている」という大木銚子雑学塾塾長の願いは、わたしの願いでもある。 【資料18】房総の祭事(千葉県神社庁特殊神事編纂委員会、千葉県神社庁発行) 式年大神幸(おおみゆき・銚子みゆき) 神社名 東大社 弥勒三番叟(伝承地 海上郡海上町倉橋) 二〇年毎に行われる東大社式年銚子大神幸の際、露払として行列の最先頭を進み、これを舞うことによって、沿道を清め、大漁、豊作をもたらすものといわれる。現在(千葉)県指定無形文化財。 倉橋地区は、東大社との縁極めて深く、古く氏子であったと伝え、昭和五年度の大神幸にも、古例によって供奉奉仕した。二五年度は終戦後の事情で、歌舞の奉仕は無く、ただ、代表者が礼装で供奉した。しかしこのままではせっかくの伝統が絶え、今後の式年神幸の奉仕も不可能になる。われわれ経験者の現存中に是非再興しようということで、昭和五年度の奉仕者が発起し、協力一致、しばしば寄り合っては記録を調べ、記憶を呼び起こし、遂に正確な手振りを復元した。 昭和四五年度の大神幸にも、前々回、即ち四〇年前の供奉者が、再び顔を揃えて供奉奉仕し、行く先々で喝采を博した。その後倉橋弥勒三番叟保存会が設けられ、地区在住の概ね一八歳から二五歳までの長男が参加(服喪中は関わらない)、伝統を継承して、熱心に保存発展につとめ、既に二〇余名が演技を修得している。服装は、浄衣袴に立烏帽子(えぼし、桜花の中に東の字を表した紋を付ける)をかぶり、白足袋に草履をはき、御弊と金扇を持つ。楽器は大皮鼓、小皮鼓、摺り鉦を用い、舞士、音頭士等一五名ほどで編成される。
by kitakamayunet
| 2010-10-22 11:03
| 講演・寄稿・メディア
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Tracked
from 北鎌倉湧水ネットワーク
at 2010-10-25 10:51
タイトル : 東大社銚子大神幸祭出版記念講演会後の懇親会に40人
「東大社銚子大神幸祭」が正式名称の理由を詳細に説明 「間違いなく20年後の神幸祭の基準、基本となる」(山口誠さん) 「東大社の氏子の皆さんの一家に1冊が目標」(野口) 10月16日(土)午後1時半から、銚子市の大新旅館で行われた「第54回東大社式年銚子大神幸祭-総(ふさの)国の原風景-」出版記念講演会の後の懇親会には当初、出席者は25人の予定だったが40人が参加し、賑やかな集まりとなった。 乾杯の音頭をお願いした山口宮三部家の分家席二位・山口六兵衛家直系の山口誠さんは「父や叔父(山...... more
Tracked
from 北鎌倉湧水ネットワーク
at 2010-10-29 17:07
タイトル : 立山貫通!東大社銚子神幸祭追跡取材の旅①東大社改修
「東大社銚子大神幸祭」が正式名称の理由を詳細に説明 10月16日(土)午後1時半から、大新旅館(銚子市中央町10-27 電話 0479-22-4190 http://www.newdaishin.com/daishin/)で、「里と海の民が共に紡ぐ900年の伝説」という演題で講演した。主催は「第54回東大社式年銚子大神幸祭-総(ふさの)国の原風景-」出版記念講演会実行委員会(実行委員 川島陸夫 椎名輝男 山崎全代 飯田篤永 飯田佐武郎 片桐務)。実行委員は銚子雑学塾のメンバーと東大社の宮司及び常任理...... more
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