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澪つくし(純・天然醸造の醤油)「入正醤油:千葉県・笹川」 東京新聞から「利根川について書きたいので取材協力をお願いしたい」との依頼があったので、わが故郷の老舗である「入正醤油」の多田庄兵衛社長を紹介した。その結果は、10月17日付の「こちら特報部」欄に「『醤油の回廊』を遡る」の見出しで、記事化され、多田社長のコメントも出ている。 東京新聞からわたしに取材協力要請があったのは、2009年の9月1日に出版した「無名人からの伝言―大利根用水に賭けた野口初太郎不屈の人生―」(http://www.kitakama-yusui.net/7/7mumei.html)を、「こちら特報部」(2009年6月1日付)で取り上げてくれたことがきっかけだ。 野口初太郎は東京の質屋へ丁稚奉公に出された時、銚子から東京へは利根川を航行していた汽船を利用したと日記に書いている。列車や車が登場する以前は、船が人や物資のメーンの輸送手段で、利根川は大動脈の一つだった。この点を東京新聞の記者に強調した。 初太郎が東京の質屋へ丁稚奉公に出されていた小僧時代は、十一歳から二十一歳までの約十年間で、まさに艱難辛苦の修業時代だった。十一歳という年齢は、今でいうと小学校五年生である。いくらがえん坊といってもまだ子どもである。「弟妹たちと別れるのが実に辛かった。祖母が銚子へ来て私を伴い汽船で笹川まで行き、いったん(母の実家の)五郷内(現香取市五郷内)へ落ち着き、数日後再び汽船にのり、東京・本所区に上陸して伯母の家へ着いた。途中、船の上で郷里の家のこと、弟妹たちのこと、友だちのことなど考えて胸が一杯になり泣いて涙を流した」 わたしは初太郎の悲しい気持ちを不憫に思うと同時に「汽船」という言葉に注目した。当時、利根川がヒトやモノの重要な輸送路で今よりはるかに近い存在だったことが分るからだ。それと初太郎と利根川の「縁(えにし)」を感じさせる。「わたしの幼年時代に利根川の河口で漁船の遭難事故が続出した。わたしは自分が成人したら河口を改修して難船をないようにしてやろうと夢のような考えを持ったこともあった。しかし、わたしは河口の改修には関係できなかったが利根川の用水や河口堰に関係することになった」(「無名人からの伝言―大利根用水に賭けた野口初太郎不屈の人生―」)
by kitakamayunet
| 2010-10-26 11:31
| 個性派ショップの優れもの
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