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立山貫通!東大社銚子神幸祭追跡取材の旅②銚子展望館 ![]() ![]() 銚子から一気に行くことも可能だが、それはただ、車を走らせるだけの旅になってしまい、あまりにも味気ないし、肉体的にもきつい。走行距離は700キロ以上に及ぶだろう。それよりも紅葉に染まる日光を経由して谷川温泉でゆったりと温泉に浸かるのも悪くはないと考えた。うまくいけば谷川温泉周辺の紅葉も楽しめるはずだ。 それと今年5月10日から11日にかけて日本武尊東征伝説の舞台である筑波山を訪れた際、日光のことが気になった。筑波山も日光の男体山(二荒山)も山自体がご神体であり、徳川幕府との関係も密接だ。東北の統治を考えた時、日光も筑波山も重要な軍事と政治拠点のはずだ。登山そのものには強い思入れはないが、まだ体が動くうちに日光の男体山(標高2484メートル)には登ってみたいと密かに思ってもいる。 日本武尊東征伝説の舞台筑波山へ(東大社銚子神幸祭) http://kitakamayu.exblog.jp/14416409 ![]() 中禅寺湖畔の日光二荒山神社(中宮祠)を参拝してから、華厳の滝、中禅寺を訪れた。中宮祠と華厳の滝は一昨年の秋以来だ。中禅寺は初めてだ。いずれも本格的な紅葉の一歩手前だったが、中禅寺方面から眺めた男体山の勇姿は素晴らしいものがあった。日光二荒山神社と中禅寺の由来から判断すると、日光は日本武尊東征伝説とのかかわりは薄いというか、まったくないようだ。 ![]() ![]() ![]() ![]() 日光二荒山神社の祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと) 、田心姫命(たごりひめのみこと) 、味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)だ。この神様は出雲の神様である。大己貴命は大国主命(オオクニヌシノミコト)であり、田心姫命は、天照大神(アマテラスオオミカミ)と、素戔嗚尊(スサノオノミコト)の誓約で、アマテラスがスサノオの持つ剣を譲り受けて、田心姫命ら宗像三女神を生み、スサノオの物実から生まれたのでスサノオの子であると宣言された。 素戔嗚尊は天照大神の弟だが,天上の高天原(たかまがはら)から追放され、出雲に天降り,八岐大蛇(やまたのおろち)を退治し,櫛名田姫(クシナダヒメ)と結婚して出雲国を開いた。その子孫が代々出雲国をおさめたが、大国主命のとき,大和朝廷に国を譲った。 日光二荒山神社公式HPによれば、味耜高彦根命は父が大己貴命で母、が田心姫命だ。大和朝廷の直系の日本武尊の足跡は見当たらない。この点が「景行天皇の御代日本武尊の御東征に当り、尊は当山に登拝し給いて連歌嶽の遺跡をとどめ給い、帰途甲斐国酒折宮(さかおりのみや)にて「にひばり筑波をすぎて幾夜かねつる」と御詠あり、連歌の濫觴(らんしょう)をなし給うた。神道歌道もと一つにて、連歌を「つくばの道」と称し、遂には日本独特の俳句を生んでいる」(筑波山神社HP http://www.tsukubasanjinja.jp/)と、日本武尊との関係を強調している筑波山神社とは大きく異なる。 日光から谷川温泉までの走行距離は約100キロ。あまり暗くならないうちの宿に着きたかったので午後3時過ぎに中禅寺湖を出発した。途中の紅葉はいまひとつで、谷川温泉の紅葉もこれからだった。 日光二荒山神社の由緒 (日光二荒山神社公式HP) 御祭神 二荒山大神(ふたらやまのおおかみ)⇒親子3神を祀る 大己貴命(おおなむちのみこと) 父 田心姫命(たごりひめのみこと) 母 味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと) 子 古くより、霊峰二荒山(ふたらさん・男体山)⇒標高2,486㍍を神の鎮まり給う御山として尊崇したことから、御山を御神体山と仰ぐ神社で、日光の氏神様でもあります。境内は、日光国立公園の中枢をなす、日光連山をはじめとて、御神域は、3,400㌶におよぶ広大な境内地です。華厳の滝や下りのいろは坂、重要文化財の神橋など 日光市内に3社鎮座しています。 男体山山頂⇒奥宮 中禅寺湖畔⇒中宮祠 山内(市内)⇒御本社 中禅寺(ちゅうぜんじ)[ 日本大百科全書(小学館)] 栃木県日光市中宮祠(ちゅうぐうし)にある天台宗の寺。俗に立木観音(たちきかんのん)とよばれ、輪王寺(りんのうじ)の所管。766年(天平神護2)勝道(しょうどう)は日光に四本龍寺(しほんりゅうじ)を建て、782年(延暦1)男体山(なんたいさん)に登って、二荒山(ふたらさん)奥院(おくのいん)を創建。784年中禅寺湖の岸に奥院遙拝(ようはい)所として中宮祠を設け、その西側に神宮寺として中禅寺を建て、千手(せんじゅ)観音像を祀(まつ)ったという。 勝道の請によって空海が撰(せん)した碑文に、二荒山および中禅寺開創の経緯が記されている。848年(嘉祥1)円仁(えんにん)が中禅寺に詣(もう)で、唐の玄法寺法全(はっせん)所伝の『金剛頂経(こんごうちょうぎょう)』などを納めたといわれる。中宮祠と一体となって栄えたが、1902年(明治35)の山津波に湖中に押し出され、13年(大正2)現在地に再建され、70年(昭和45)五大堂が建てられた。本尊の千手観音像(国の重要文化財)は勝道の作と伝えられるが、鎌倉時代のもの。五大堂には安土(あづち)桃山時代から伝わる五大尊像が祀られている。 男体山(なんたいさん)[ 日本大百科全書(小学館)] 栃木県西部、日光市にある、中禅寺湖の北東にそびえる山。黒髪山(くろかみやま)ともいい、初期の5万分の1地形図には二荒山(ふたらさん)とも記載されている。標高2484メートルは女峰(にょほう)山、赤薙(あかなぎ)山などの日光諸火山中、白根(しらね)山に次ぐ。輝石安山岩、石英安山岩からなる成層火山で、全体として火山の原形がよく保存されて美しい山容を呈し、日光国立公園の中核をなす。山頂に径約800メートルの火口があり、ここから北に火口瀬が開く。山腹には大薙(おおなぎ)、観音(かんのん)薙、古薙などの侵食谷が放射状に発し、侵食の階梯(かいてい)としては幼年期にある。近年、山腹の薙に櫛(くし)の歯のように砂防堰堤(えんてい)が築造され、むしろ痛々しい感を与えている。 中禅寺湖は男体山溶岩が大谷(だいや)川をせき止めた結果生成した湖で、湖畔の二荒山神社から登山路がまっすぐ山頂に向かい、8月1日の山開きには前日から集まった登山客が一斉に深夜の登山を繰り広げ、8月7日までの1週間登拝祭が行われる。782年(延暦1)勝道上人(しょうどうしょうにん)がこの山を開き、修験(しゅげん)の禅頂路(入峰(にゅうぶ)修行の路)が北麓(ほくろく)の志津を経て大真名子(おおまなご)山へと続いていた。1924年(大正13)などの山頂遺跡調査により、鏡鑑、密教法具、古銭など奈良時代から江戸時代に及ぶ祭祀(さいし)遺品が発掘され、これらは国の重要文化財に指定されている。山頂からの眺望はすばらしい。
by kitakamayunet
| 2010-11-01 11:16
| 式年東大社銚子御神幸祭
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タイトル : 立山貫通!東大社銚子神幸祭追跡取材の旅④氷見・能登島
立山貫通!東大社銚子神幸祭追跡取材の旅③中禅寺湖 10月18日宿は、富山市内のホテルを予約していた。同日朝早く谷川温泉を出発し、長岡市を経由して最初に寒ブリで有名な氷見市を目指した。お目当ては魚だ。道の駅「氷見」氷見フィッシャーマンズワーフ 海鮮館(http://www.kaisenkan.com/)で昼食を予定していた。 氷見の魚。おいしいのには、理由がある。(キトキト旅ゲーター氷見より転載) ◆豊富な河川水が、まず漁場環境をつくる。 3000m級の険しい立山連峰とそれに連なる山並みか...... more
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