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わずか半月で2474人分の建設反対の署名 事業者は三菱地所グループの三菱地所レジデンス 江戸、明治、大正、昭和、平成の歴史の流れ刻む ![]() 歴史的遺産の世界遺産登録に向けて活動を展開している古都鎌倉で、貴重な文化遺産がまたまた消滅の危機に直面している。鎌倉の邸園文化を象徴する「元治苑」が取り壊され、その跡地へ4階建てのマンション建設計画(「(仮称)鎌倉市二階堂マンション計画」)が、今年2月から具体的に動きだした。 「元治苑」の名称の由来は元治元年(1864)に建てられたことにあると言われている。鎌倉宮(大塔宮)に向かう「お宮通り」と「荏柄天神参道」の両方に接する位置にあり、約2400平方メートルの敷地には、歴史的建物と日本庭園を有する。神奈川県の邸園文化圏再生構想にもリストアップされた。 ![]() ![]() 近隣住民は3月、緑豊かな景観を守るために「元治苑を守る会」(事務局電話:0467-24-3416、田川方)を結成、事業者の三菱地所グループの三菱地所レジデンスに「元治苑」の取り壊しとマンション計画の見直しを求めるための署名活動をスタートさせた。「元治苑を守る会」によれば、わずか半月(5月15日~5月31日)で、2474人分の署名が集まった。ちなみに6月15日現在では2610名。*三菱地所レジデンスは、2011年1月、三菱地所と三菱地所リアルエステートサービス、藤和不動産の3社の住宅事業を統合し、より一層の戦略高度化を図るために設立された。 ◇元治苑マンション建設問題の経緯 2011・2 三菱地所レジデンスから近隣住民にマンション建設についての挨拶状届く 3 「まちづくり条例」による第1回住民説明会 3 「元治苑を守る会」結成 3 住民から30通ほどの意見書を鎌倉市に提出 4 第2回住民説明会 5 第3回住民説明会 6 2474人の建設反対署名簿を三菱地所レジデンスに提出 ◇計画概要 【名称】(仮称)鎌倉市二階堂マンション計画 【地域・地区】第一種中高層住宅専用地区、鎌倉景観地区(高さ制限15メートル) 【構造・規模】鉄筋コンクリート造、地上4階建 【高さ】14,24メートル 【建築用途・戸数】共同住宅・41戸 【敷地面積】約2,411平方メートル ![]() 「元治苑を守る会」事務局によれば、三菱地所レジデンスが「元治苑」取得する前の所有者は亀戸コークスの創業者の神田兼太郎氏で、大正時代に取得した。近隣住民は「元治苑」を「神田屋敷」とも呼んでいる。神田兼太郎氏の前の所有者は、日本通運の前身、内国通運会社の創業者の吉村甚兵衛氏。「元治苑」には江戸、明治、大正、昭和、平成の歴史の流れがしっかりと刻まれている。 【「元治苑を守る会」事務局の話】 「神田兼太郎氏(昭和28没)は『亀戸コークス』(所在地:〒136-0071 東京都江東区亀戸1丁目6-2-201 業態:マンション賃貸業=@nifty ビジネスより)の創業者で、大正8年(?)に神田屋敷を取得。現在の元治苑に接しているメゾン2階堂、さらにバス停そばの3軒ほどの戸建ても含まれていました。また、現清泉小学校(大蔵幕府址)には藁ぶきのお屋敷が11棟あり、そこも神田さんの持ち物でした。元治苑とバス通りを挟んで向かい側の駐車場も神田さんの所有です。関係者によれば、当時の鎌倉市長が財政難で困っていて、神田さんに何とかしてほしいとお願いしたところ、神田さんは藁ぶきの11棟を保存するという条件で、畑の部分(まさに幕府址)をただ同然で鎌倉市に譲り、鎌倉市はそれを清泉に売却、財政難から脱却したそうです。その後その11棟は火事で焼失、清泉がその跡地を取得したということです。神田さんの前の所有者もわかっています。*吉村甚兵衛氏で、日本通運の前身、内国通運会社の創業者です。清泉のほうの前所有者は北海道の人だそうです」 *吉村甚兵衛(よしむら-じんべえ ) 1836-1886幕末-明治時代の通運業者。天保(てんぽう)7年生まれ。三都定飛脚(じょうびきゃく)問屋和泉屋の主人。明治4年の官営郵便の開始によって打撃をうけ,5年陸運元会社を創立,8年内国通運会社(のちの日本通運)と改称し頭取となる。東京為替会社,廻漕会社の頭取もつとめた。明治19年11月26日死去。51歳。江戸出身。(デジタル版 日本人名大辞典+Plus) 【「元治苑」内部の写真】(写真提供は「元治苑を守る会」) *撮影日は大正時代に神田氏が「元治苑」取得直後。建物は現在も残っているが、茅葺き屋根はトタン(?)がかぶせられている(「元治苑を守る会」) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() *最後の写真にある建物と温室は残っていない。現在はメゾン二階堂というマンションになっている(「元治苑を守る会」) ![]()
by kitakamayunet
| 2011-06-15 07:58
| 「元治苑」にマンション建設
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