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自然体だった横田管長の初説法:第75回円覚寺夏期講座 人は仏心の中に生まれ、生かされ、息を引き取る 無門関第八則-中身濃かった横田南嶺管長の説法 ![]() 骨格がしっかりとしており、中身が濃密-。今年の円覚寺夏期講座は最終日の24日のみ受講したが、横田南嶺管長の説法、「無門関(むもんかん)第八則 奚仲造車(けいちゅうぞうしゃ)」に感動した。 無門関は禅宗(臨済宗)の公案集であり、公案とは修行者が悟りを開くため、研究課題として与えられる問題のことで、作者は中国、南宋(なんそう)末の僧、無門慧開(むもんえかい、1183―1260年)。 無門関には48の公案が収録されており、『碧巌録』(へきがんろく)とならんで臨済宗で重要視されてきた。無門関を読んだことはあるが、禅の素養がないので、悲しいことに意味が良く分からない。読むと決まってもやもやした気分になる。 横田管長は昨年の円覚寺夏期講座では無門関第一則~第四則まで、今年は第五則~第八則まで説法された。きっと12年かけて夏期講座で無門関全体の解説をされるお考えなのであろう。今回の無門関第八則の解説を聞いてストンと理解できたわけではないが、一つのとっかかりをいただいた気がした。横田管長の説法は「生まれたことの不思議、生きていることの不思議、今ここに巡り合えたことの不思議に感謝し、まずは手を合わせましょう」と、聴衆に語りかけることからスタートした。そして、「好きと嫌いで迷うことがあります。忌み嫌うものに死がある。避けたいが誰一人避けることはできません」と話し、本題に入っていった。 そしてさまざまな例を挙げながら「人は仏心の中に生まれ、生かされ、息を引き取る。仏心は大自然と言い換えてもいい。生は泡のようにはかないが、命ある限り、一日一日、精一杯生きることが大切だ。あとは仏心(観音様、阿弥陀如来、大自然…)にお任せすればいい」と語った。 【ご参考】 無門関第八則 奚仲造車(けいちゅうぞうしゃ) 月庵和尚(げったんおしょう)僧に問う、奚仲車を造ること一百輻、兩頭を拈却(ねんきゃく)し、軸を去却して、甚麼邊(なにへん)の事をか明らむ。 無門曰く、若(も)し也(また)直下(じきげ)に明らめ得ば、眼(まなこ)流星ニ似、機掣電(せいでん)の如くならん。 頌(じゅ)に曰く、 機輪轉ずる處、 達者猶迷う。 四維(しゅい)上下、 南北東西。 超訳【無門関】(超訳文庫より) 第8話 車を発明した奚仲さん 原題「奚仲造車(けいちゅうしゃをつくる)」 千年ぐらい昔、ある坊さんが月庵和尚に尋ねました。 「ねぇねぇ、あのさ。奚仲(けいちゅう)っているじゃない? そうそう、紀元前二千年以上も前に、人類史上、初めて「車」を作ったといわれている、あの奚仲さん。 彼さ、百台以上作ったという話だけど、また、いちいち分解しちゃったっていうじゃない? いったいぜんたい、何がしたかったんだと思う? この質問に即答できるようなヤツがいるならば、そいつはきっと流れ星クラスの眼力を持ち、イナヅマのような仕事ぶりであることだろう。 「ハタラキ」の輪は高速回転。 達人たちでも目が回る。 こちらと思えば、またあちら。 『良寛 「我生何処来」』 我生何処来 我が生何処より来たり(わたしのこの生はどこからきたのか) 去而何処之 去って何処にか之く(そして、どこへ去っていくのか) 独坐蓬窓下 独り蓬窓の下に坐して(独り、草庵の窓辺に坐して) 兀兀静尋思 兀兀(ごつごつ)と静かに尋思す(静かに思いを凝らして考えてみた) 尋思不知始 尋思するも始めを知らず(考えても考えてもその始まりは分からない) 焉能知其終 焉んぞ能くその終わりを知らん(ましてやその終わりは分からない) 現在亦復然 現在亦また然り(この現在という今もまた同じように分かるものではない) 展転総是空 展転として総ては是れ空(過去も現在も未来も移り変わるものでみな空) 空中且有我 空中しばらく我有り(その空の中にちょっとの間私が存在しているだけだ) 況有是與非 況んや是と非と有らんや(ましてや是非も善悪もあるものではない) 不如容些子 些子を容れるに如かず(だからこの小さなわたしを受け容れて) 随縁且従容 縁に随ってしばらく従容す(流れに任せてゆったりと暮らす) 【風船の例え】 風船が割れれば中の空気が空の空気と一つになる。 命も同じ。死んでなくなるものではない。大きな命と合流して新しい命となる。 風を見ることはできない。しかし、感じることはできる。 命、心は見えない。しかし、感じることはできる。 【泡の例え】 命は広い心の海(天地いっぱいのいのち=仏心)に浮かぶ泡。生まれたから仏心が増えるわけではない。泡が消えたから仏心が消えるわけではない。泡を離れて仏心はない。 【観音経講話(釈宗演)の紹介】 陸奥宗光(1844―1897年、明治時代の外交官、政治家。カミソリ大臣と呼ばれ、外務大臣として不平等条約の改正(条約改正)に辣腕を振るった)と病に冒され死に瀕した最愛の娘(16歳)の会話 娘「私は死ぬと覚悟しています。覚悟はしていますが、私は死んだらどこへ行くのでしょうか」 陸奥宗光「死んだらどこへ行くかお父さんにも分からない。お前が病気になってから毎日観音様にお祈りしている。そして生きるも死ぬも観音様にお任せしている。安心していきなさい」 陸奥宗光の真っ直ぐな答えを聞いて娘は「ありがとう」と言って静かに息を引き取った。
by kitakamayunet
| 2011-07-25 19:42
| 現代に生きる禅の精神
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