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「北鎌倉ウォッチング」―六国見山の秋を愉しむ―(11・5) 11月5日、北鎌倉匠の市と同時開催された「北鎌倉ウォッチング」―六国見山の秋を愉しむ―には、市民約50人が参加した。北鎌倉の里山を熟知している川上克己さん(鎌倉湧水ネットワーク里山インストラクター)のガイドで、暖かな秋の日差しを浴びながら東慶寺参道を午後12時半に出発した。 六国見山への登り方には、大船駅方面と北鎌倉駅方面から、それぞれ2ルートある。しかし、はっきりした掲示板がないので、これまで登りたくても登れない市民が多かったようだ。今回は北鎌倉駅方面からのルートを選択した。鎌倉街道から北鎌倉駅手前の円覚寺総門前の踏切を渡り、洞門山―高野台住宅地―長窪(畑のある場所)―六国見山展望台―北側の登山道―南口広場―高野台住宅地のコースを約3時間かけて歩き、北鎌倉駅で解散した。 円覚寺の裏山の六国見山(標高147m)の名前は、旧国名で相模、武蔵、安房、上総、下総、伊豆の六国が見えたことに由来している。抜群の眺望を誇る六国見山展望台からは、鎌倉の街や海を見渡すことができ、空気が澄んでいると富士山、箱根、さらには大島も望める。春はヤマザクラ、初夏は燃えるような新緑、秋は紅葉の名所でもある。この日は晴れてはいたが、気温が高かったため、大島、富士山は見えなかった。それでも参加者は展望台からの眺望の良さに感激していた。 しかし、元々里山だった六国見山は60年間、手入れがなされず、荒れ放題になっていた。六国なんてとてもではないが見えやしない。かつてはいろいろな六国見山のポイントから真鶴半島、伊豆半島、富士山、大船観音、丹沢山系が望めたのに…。この状態を憂慮した北鎌倉湧水ネットワーク、湧水ネットワークの応援団、近隣住民が協働で下草刈りを中心に手入れをスタートさせた。手入れの結果、夫婦を連想させる大小のヤマザクラ、通称“夫婦桜”(男桜は六国見山版大蛇桜)の存在が明らかになった。 今回の「北鎌倉ウォッチング」では、市民の皆さんに“夫婦桜”の存在をお知らせしたかった。来春、手入れを進めて、“夫婦桜”の近くでござを敷いて花見ができるようにしたいと願っている。同時に六国見山の由来どおりに六国が見えるようにしたいし、六国見山のあらゆる場所から富士山、大船観音、丹沢山系も見えるようにしたい。 手入れしたエリア 手入れされていないエリア JR横須賀線に乗って、大船駅から北鎌倉駅に近づいていくと右に円覚寺の裏山の六国見山、左にナショナルトラスト運動が展開されて保全が決まった台峯の緑が飛び込んでくる。わたしはこの風景を「古都鎌倉の緑の玄関口」と勝手に名付けた。北鎌倉は緑が豊かであると同時にあまり有名ではないが歴史的な遺産に恵まれている。川上さんは歴史についてもしっかりとガイドしてくれた。 【洞門山】 東慶寺参道から鎌倉街道に出て、JR北鎌倉駅手前の円覚寺参道を横切る踏切を渡ってしばらく歩くと全面保全が事実上決まった洞門山の赤いトンネルに到着した。参加者はわくわくしながら“探検家” 気分で赤いトンネルを通過した。洞門山は北鎌倉の景観上のランドマーク的な存在で、巨匠・小津安二郎監督は北鎌倉らしさを印象付けるために映画のシーンに使った。 【稚児塚】(「大船の歴史」北鎌倉台土地区画整理組合より) 六国見山の南東にある山道を少し歩くと、十メートルくらいの平場があり、中央につげの大樹がある、その脇に宝篋印塔(ほうきょういんとう、墓塔・供養塔などに使われる仏塔の一種)の一部が残された墓がある。 『相模風土記』によれば「六国見ノ南方。山上ニアリ。上に石碑ヲ建。半ハ地中に陥入レリ。而ニ悉曇(しつたん、梵字)」ノ字仄カニ見ユ。染屋太郎大夫時忠ガ兒ノ墳ナリト伝フ。」とあり。古老の伝えによると、その昔、由井の長者染屋太郎大夫時忠公の三才の姫が鷲にさらわれて、その死体がこの地に落ちていたのを里人が見つけ知らせてところ、時忠公この地に立派な墓を造り、その菩提を弔ふため里に観音像を造立したという。今もこの観音像は多聞院に安置されている。 【六国見山と浅間大神】(「大船の歴史」北鎌倉台土地区画整理組合より) 町内の東南方に六国見山がある。登頂するには、長窪方面と高野方面の二つの道があり、それぞれに道標がある。この道標は当地の「大船壮年会」が昭和四十二年に設置し、現在十二ケ所に道標があり、登山者の道しるべとして喜ばれている。…現在、この六国見山の山頂には「浅間大神」の石碑と下方に小さな「小御岳大神」(破損)の石碑が建っている。この浅間大神の碑は、明治の中期に当時この土地の人々でつくられていた富士講「真講社」の講中の者が毎年富士山頂の浅間神社へ参詣に行っていたが、これでは大変なので大船に一番高い六国見山の山頂に土盛りをし、さらに三メートル位高くして、その頂上に浅間大神の御霊を移し祀ったもので、昭和十二、三年頃までは盛大なお祭りがおこなわれていた。 富士講碑 富士山の信仰は江戸時代の初め、肥前国長崎の人長谷川角行が富士山が天地の中心、元の父母として神格化し、国の平安、衆生の安心を求めたことが基盤となっている。富士講は独特の紋章である講紋で講の系統を区別しており、元講から枝講を派生させ、先達、脇先達、講元を置くという一応の形を整えて組織化されてくると、江戸を中心として各地に講碑の造立数次第に増えてきて、明治に入ると増加の傾向にさらに拍車がかかって盛んになってきた。 富士講は富士山の遥拝所として、また信仰の対象として富士山を象った人口の築山、富士塚を築造するのも一つの特色で、この富士塚には一般的に奥の院として石祠を建て、中腹の小御岳に当たる位置にも「小御岳石碑大権現」を祀る石祠を建てているが、明治以降は「浅間大神」と刻んだ碑に変わっている。小御岳の位置には「小御岳神社」と刻んだ碑を建てている。
by kitakamayunet
| 2011-11-06 09:55
| 北鎌倉匠の市・展
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Tracked
from 北鎌倉湧水ネットワーク
at 2012-09-15 18:42
タイトル : 六国見山からスカイツリー、富士を展望:北鎌倉ウオッチング
「北鎌倉ウォッチング」―六国見山の秋を愉しむ―に50人 北鎌倉「匠の市」同時開催ー 北鎌倉ウオッチング ー 企画:北鎌倉湧水ネットワーク 秋の六国見山からスカイツリー、富士を展望しよう 円覚寺裏山の六国見山(標高147m)の名前は、旧国名で相模、武蔵、安房、上総、下総、伊豆の 六国が見えたことに由来している。春はヤマザクラ、初夏は燃えるような新緑、秋は紅葉の名所で もある。抜群の眺望を誇る六国見山展望台からは、鎌倉の街や海を見渡すことができ、空気が澄ん でいると富士山、箱根、大...... more
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