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東大社による海神へのお礼の祭典:3・11銚子市外川漁港 ![]() 東日本大震災から1年を迎えた3月11日、銚子市外川漁港でわが故郷(千葉県香取郡東庄町)の氏神様の東大社による*綿津見神への報賽(ほうさい。お礼参り)・海上安全・大漁満足の祭典が行われた。祭典には東大社と縁が深く、外川地区の氏神様の渡海神社が協力し、漁業関係者を中心に約100人が参列した。 ![]() ![]() ![]() ![]() この祭典は東大社の飯田篤永宮司の「昨年は東日本大震災が、各地に大きな被害を与えたが、銚子大神幸祭のメーン会場となった銚子市の外川海岸だけは、被害を免れてほとんど無傷に近い状態だった。これは偏に、1昨年の第54回東大社式年銚子大神幸祭(http://www.kitakama-yusui.net/7/7fusano.html)による御神徳(神の功徳)の賜と固く信じて疑わない。お願いだけでなく、お礼の祭典を行いたい」との強い思いで実現した。 ![]() ![]() ![]() ![]() 祭典会場の外川漁港には、JR北鎌倉から、横須賀線、成田線、銚子電鉄を乗り継ぎ、約4時間かけて到着した。参列者によれば、お隣の銚子マリーナや飯岡(千葉県旭市)、波崎(茨城県)が津波で大きな被害を受けたのに、東大社の神輿が神幸した外川地区はシラウオ漁の漁船2隻にとどまったという。これは奇跡としか言いようがない。 *綿津見神【わたつみのかみ】=デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説 「古事記」にみえる神。伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美(いざなみの)命の間に生まれた,底津綿津見,中津綿津見,上津綿津見の3神。海をつかさどり,海人族により信仰された。「日本書紀」では少童命(わたつみのみこと)。 ![]() 外川漁港には多くの漁船が係留されていた。その中に第54回東大社式年銚子大神幸祭の時に東大社の依代(金幣)を乗せて、洋上と御した佐藤丸の姿もあった。 ![]() 【第54回東大社式年銚子大神幸祭-総(ふさ)の国の原風景-より】 撮影:野口 玲 ![]() さてそのお浜降りの神事だが、昭和45(1970)年に開催された第52回神幸祭までは、砂浜で祭典を行った後、神輿を担いで海に入り直接、ご神体の禊ぎをした。しかし、昭和50年代初めに砂浜は埋め立てられ、護岸堤防が築かれてしまい、神輿は直接、海に入れなくなった。このため、前回から漁船に依代(金幣や御神体)を乗せ、護岸堤防の先にある外洋に出て、船上で潮を汲み、依代に注ぐ方法に変更された。だだし、前回は猛烈な強風で外洋に出ることが出来ず、外川漁港内の岸壁に係留した漁船上で禊ぎを行った。従って外洋上での禊ぎは、今回が史上初めてだ。 外川支所横での祭典が終了した午前10時半過ぎ、大観衆に見守られて、外川漁港から先導船(田辺丸)と護衛船(三浦丸)にはさまれるような格好で、依代と神官らを乗せた雷神社(第5伊東丸)、豊玉姫神社(清勝丸)、東大社(佐藤丸)が出港した。太陽も顔をのぞかせ、波静かな船出だった。しかし、護岸堤防から外洋に出た瞬間、海はその表情を一変し、自然の脅威をむき出しにして、浪切旗を掲げた佐藤丸に襲いかかった。上下左右、木の葉のように揺れた。手すりにつかまらないと振り落とされてしまう。濃い海霧で視界が遮られ、肉眼で確認できるのは、海とすぐ前を航行する清勝丸のみ。「浪切旗は古来最も神聖視され、これを棒じて進むところ、海水も自ら裂けて、神輿のために道を開くといわれる」という言い伝えがあるそうだが、とてもそういう状況にはなかった。 佐藤丸が到着した禊ぎの場所は、テトラポット(消波ブロック)を積み重ねた離岸堤防の少し先の沖合だった。陸からの距離は約200メートル。位置的には大杉神社の真下に当たり、この後に開催された山口家によるお潮汲み神事の場所の延長線上にあった。10時40分、船上に張られた結界の中で、禊ぎの儀式がスタートした。飯田宮司が海に転落しないよう、懸命に足を踏ん張って祝詞を奏上した。白丁が宮司を後ろで必死に支えた。続いて桶と柄杓にお払いをし、海にお神酒とコメを捧げた。その後、白丁が柄杓を巧みに操って潮を汲み上げ、この潮を依代の金幣に3回注いだ。11時5分、禊ぎは無事に終了した。10分後、佐藤丸は漁港に帰還した。大観衆が手を振って出迎えてくれた。護岸提の内は、出港時と同じように波静かだった。 短い時間だったが、海が持つ「恵み」と「破壊」の二面性を体験した。海の民は海の二面性を熟知しているから里の民より、はるかに信心深い。この信心深さが銚子市民のオウジン様に対する熱烈歓迎につながっている。9日に神幸祭のコースの下見をした際、浜降り神事の一部始終を見渡せる外川支所の2階事務所が、絶好の撮影ポイントであることを発見した。銚子漁業協同組合総務部の櫻田正美課長に「2階事務所を撮影場所として使用させてほしい」とお願いした。その答えは「『お神輿を上から見てもいいよ』と漁協の人間の口から言うことはできません」。理不尽なお願いをしてしまった。自らの不明を恥じた。 祭典後*に直会(なおらい)が開催された。 ![]() ![]() ![]() ![]() さすが漁業基地の銚子。タイ、ヒラメ、マグロ、タコの刺身は抜群に美味しかった! ![]()
by kitakamayunet
| 2012-03-12 18:03
| 式年東大社銚子御神幸祭
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