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詳報・対談「台峯の歴史・現状・将来」里山継承3rd企画(上) ▽関東では絶滅してしまったマツカサガイ死滅 川上 日付が書いてありますが、この写真は1983年の写真です。まだ、水がきれいで深いです。泳げない子どもが池に入ったら溺れます。池の周りでザリガニを釣ったりして遊んでいるんです。 それで、この池には畦がありました。この畦があるために、上から土砂が池に流れ込まなかったのです。自然保護団体の方は、“専門知識”を振りかざして、谷戸が乾燥化すると言うんですね。乾燥化したからアズマネザサが生えているとか言うんです。わたしから言わせると乾燥化なんかしていません。乾燥化していたらこういう生物もいるのかいと言いたいです。乾燥化は地下にいる微生物とかにダメージを与えるからいけないと主張しています。乾燥化させてはいけないとの理由で、谷戸の池の上の小川の本来の流れを土嚢で止めて、昔は田んぼで流れのないところに水を誘導して、引いてしまったんです。 水を通せば、流れというのはどんどん幅が広がっていくんです。「アリの一穴」という言葉があります。それと同じようにどんどん水の流れが広がってしまうのです。当然、水が湿地にたまります。昔の畦、このへんでは「くろ」と言いますが、このたまった水を通すということで、「くろ」がなくなってしまったのです。このため、雨が降ると、谷戸の池の土砂が、谷戸の池に全部流れ込んだんです。昔、田んぼだったから当然、土砂はどろどろです。 昔の景色の方がはるかに良かったのに、この状態の時に「乾燥化はだめだ」と自然保護団体の方が強く主張しました。ヘビイチゴが一面に咲いていました。このヘビイチゴが咲いている状態が、乾燥化した証拠だと言うのです。これはまずいと。当時、ここはこんなにきれいだったのに、自然保護団体の人たちが、工事をして湿地に水をいれたり、水が多いからとの理由で、30センチくらい池の水位を下げたのです。 池の面積は当然小さくなります。水が減るんですから。こうしたことをやったお陰でどういうことになったかというと、こんなふうに上から土をどんどん流し込んでしまったんです。緑の部分はかっては水面だったんです。落ち葉のところも水面でした。さっき、のりちゃんたち3,4人が、ぷかぷか浮かんでいたところありますよね。それが今は陸地になっている、ここですよ。「これでは困る」ということで、鎌倉市の職員にこういうやり方が正しいのかと意見を言いました。池の面積の3分の1が潰されたんです。潰されたところには貴重な貝が生息していました。自然保護団体の人は、貴重な生物がいるから池の水は減らさないといけないと言っていたのです。ここに、大きな矛盾があります。貴重な生き物とは関東では絶滅してしまったといわれる二枚貝でマツカサガイでした。マツカサガイがいる場所には、天然記念物のタナゴも棲んでいたんです。ヘドロの中ではマツカサガイは棲めないのです。底が砂地みたいな場所でないと生きていけないのです。ましてや陸地になったら死滅です。わたしはこの状態になったので、鎌倉市の公園課の職員に、現状を説明、「こんなになってしまっているんだよ」と訴えました。そうしましたら鎌倉市は「一度にやることは認めないが、池に水が流れ込んでいる場所、約5メートル30センチメートルに限って、試験的に泥水が流れ込まないような工事をしてもいい」と許可してくれました。 わたしの仲間は、あちこちからいじめられているので「台峯ゲリラ」と自称していました。しかし、今回の工事はゲリラ部隊の仕事ではありません。ちゃんと市に申請して、許可を得ています。池に流れ込む水をせき止めるスギの丸太は、尾根にあったスギを鎌倉市の許可を得て伐採したものです。この丸太を利用して土砂が流れ込まないように堰を作り、流れを止めました。同時に本来の流れをせき止め、昔の田んぼに水を誘導していた土嚢を撤去して、小川を昔あった流れに戻しました。そうしたら暫く良くなったんですよ。ところが、誰かがまた土嚢を築いて湿地に水を引き込んでいた。当然、新しく築いた堰の上に水がたまりますよ。自然保護団体の方は、水がたまって駄目だというんですよね。湿地になりすぎる。だから、堰に切込みを入れろと言うんですよ。そんなことをしたら堰を作った意味がないじゃないですか。こういうことを自然保護団体の人は言うんですよ。そんな理不尽な話しはない。水の流れを元に戻せと鎌倉市には言っています。流れを元に戻すと、誰かが土嚢を元に戻して湿地に水を入れています。わたしたちはボランティアで汗を流してやっています。堰を作ったのは昨年の12月の暮れだったんですよ。大変な作業でした。水も冷たいし、寒い中、泥だらけになってやった仕事でした。ある人は「こんなものを作って。堰が高すぎる」と非難しました。堰のことをよく知っている人がいうならまだ、いいんですよ。昔の畔の高さに合わせて作ったのに、それを知らない人が言うから腹が立ちます。何が高すぎるのというのですか。挙句の果てに、堰の上に水がたまるから一部切って水を通せと言われました。そうしたらまた池に泥水が入ってきてしまいます。今の子どもたちにわたしたちが楽しんだ頃の状態の戻してあげたいと思ってやっています。わたしは堰を切ることは承知していません。 【谷戸の池の変化】 満々と水をたたえた谷戸の池(1973当時) 満々と水をたたえた谷戸の池(1974当時) 満々と水をたたえた谷戸の池(1981年杭の位置に水抜き栓) 満々と水をたたえた谷戸の池(2003年1月当時) 土砂が流入、陸地化(撮影:2011年) 池に堆積した土砂(撮影:2011年) 蓮田になった!(撮影:2012・1) エビモに覆われた谷戸の池(撮影:2013・4) ▽台峯は2017年度に風致公園としてオープンへ 野口 分かりました。荒れている台峯の現状を川上さんにお話ししていただきました。ここで台峯をめぐる動きについて簡単におさらいをしたいと思います。次のようになります。 2004年12月 鎌倉市が地権者から総額約60億円で買収し、鎌倉中央公園の拡大地(風致公園)として全面保全決定 2007年 6月 「(仮称)山崎・台峯緑地基本計画(鎌倉市の台峯緑地の整備・活用の方針を盛り込む)確定 2007年12月 「(仮称)山崎・台峯緑地基本設計」確定。対象範囲は、約27.5ヘクタールで、10年後の開園を目指す。 2013年度 「(仮称)山崎・台峯緑地実施設計」確定 2014年度 準備期間(国への補助金申請手続きなど) 2015年度、2016年度 実施設計に基づき工事着工 2017年度 開園 最近、鎌倉市の担当者に話を聞いたのですが、4年後に風致公園として開園が予定されている台峯の最大の問題は、予算がない中でどう管理していくかということだそうです。今後も鎌倉市の税収増は望めません。市民のボランティアによる協力がなければ、里山として台峯が回復することは難しい気がします。こうした状況の中で梅沢さん、地域の方の声を反映しながら地域の方々の望む里山にするにはどうしたらいいと思いますか。 梅沢 難しい話ですね。実語教(鎌倉初期から明治初期まで広く用いられた教訓書)の中に「山は高きが故に貴からず 樹あるをもって貴しとす」という言葉あります。山はただ高いだけではだめで、樹があってはじめて山だということで、この言葉があったんだと思います。これは建長寺の日曜坐禅会で教わりました。実語教の中にもう一つ「玉磨かざれば光なし 光なきをば石瓦となす」という言葉があります。要するにどんなものでそのままにしておけば石瓦になり、宝石にはならない。ちゃんと手入れをしなさい。ここでいうのはおこがましいのですが。枝が出たものは伐らなければいけないですよね。いま、モウソウチク、マダケが台峯にはびこってきました。戦前、台峯はほとんどがスギ林でした。戦中は多分、カヤバが多かったんです。カヤは昔のお百姓さんの家の屋根を葺く材料に使いました。それから建長寺、円覚寺の屋根を葺くために、台峯にはカヤバが多かったんです。戦後は、マツ、スギを植えました。しかし、現在、台峯にはマツが生えていません。これはタケにやられてしまったんではないでしょうか。わたしたちが子どもの頃は、台峯ではマツタケが捕れました。わたしの兄貴はその場所に行きました。ただ、秘密の場所なので他人には教えてくれないのですね。自分だけの絶対の秘密の場所です。兄貴は教えてくれないのです。教えてもらわなかったことを今は、悔やんでいます。台峯も大分変わりました。どんどんタケにやられてしまって、今、台峯の3分の1はタケヤブになってしまいました。ところどころにウメ林などありますが、タケには敵いません。毎年毎年、春になって伐っても夏にまた出てくるし、タケにははっきり言って往生しています。そんな状態でやはり昔の台峯を守るにはやはり、アズマネザサを伐ったりしないと駄目でしょう。私の耳にした情報によりますと、道幅は肩幅が取れればいいんだという人がいるそうですが、とんでもない話です。昔のお百姓さんは台峯の畑には、長さ1,5メートルの天秤棒を担ぎまして、赤道(農道)を通って乞い桶(水や糞尿を入れて運ぶ樽)を運んだんですよ。農道の幅は5尺(約1,5メートル)必要です。わたし1回だけやりまして。1回で懲りました。なぜかというとわたし肥え桶を、顔にかぶってしまいまして。臭くてたまらまくて、とうとう畑には行かれない状態でした。そんなようなことがございまして。昔は階段も何もありませんでした。坂だけでした。その方がバランスが取れたんですよ。昔は灰部屋というのがありまして、何ヶ月か寝かして灰のビク(モッコ)を担いで畑へ持って行ったんです。そんなことで昔の話をするときりがないんですけれども、汚水処理をする肥溜めがありました。ここに、各家庭の糞尿を一カ所に集め、時間をかけて完熟させて野菜の肥料として利用しました。肥溜めの上の方はカラカラになって筏みたいに固いんですよ。乗ると落ちる場合もあるんですよ。直径は2メートルくらいですか。ところどころに肥溜めがあって、お百姓さんは畑にそこから運ぶわけです。小さい頃はこの肥溜めに落ちてしまい、家に帰ると真っ裸にされ、井戸水を何度もかけられた記憶があります。 川上 わたしのところは畑が台峯にあったんですよ。お稲荷さんの先の角坂という坂がありまして、一部すごい傾斜があるんですよ。平地なら天秤棒で一荷で(ひとりで桶二つ)担げるんですが、それができない。年の離れた兄と二人でよく運ばされたんですよ。兄貴の方が、私より背が低かったんです。背の低い方が前を担ぐことになっているんです。だからいつも兄気が前で、私が後ろ。前で担ぐより後ろの方がずっと大変なんです。後ろは荷がずっしり肩に懸かるんですよ。兄貴はきつい仕事の方をわたしに任せてばかりでずるいんです。兄貴は楽だからぴょこぴょこ歩けるんですが、私の方は重いからよっこらと担いで上がるんです。バランスが取れないと、肥やしがピチャピチャはねるんです。 野口 もっと楽しい話を聞きたいのですが、時間がありませんので、そのお話しはまたの機会にお願いするということで。台峯緑地保全会は梅沢さんが代表で、川上さんが実行隊長というか、突撃隊長ということですが、これからどのような形で台峯保全に関わっていくのか、具体的なイメージを教えてください。 川上 今、鎌倉市の方が、学識経験者の説が正しいということで、そちらの方の意見を取り入れることが多いんですよ。だけど、わたしは山仕事(台峯の手入れ)に関しては、台の土地の人、山崎の土地の人、いわゆる旧地権者ですね、台峯を管理していたんですよね、そうした人たちの知恵をもっともっと活用していけばいいと思っています。聞く処によれば、土地の人が入ると面倒になるという気持ちでいるみたいです。わたしはこれからは北鎌倉湧水ネットワークとか、北鎌倉明月荘の会とか、いろいろな会と連携して立ち向かっていかなければ、目指す里山というのは難しいのではないかと思います。 野口 分かりました。今、明月荘の会のことが出ました。副代表の川上靖治さんが会場にいらっしゃいます。川上さん、少し、明月荘のことをお話ししてください。 ▽明月荘の保全と有効利用で神奈川県と協定締結 川上(靖) 北鎌倉明月荘の会の川上です。台峯緑地保全会の川上さんと同じ川上です。私はやっちゃん、こちらはかっちゃんです。お手元に資料がいっていると思いますが、明月荘の場所は明月院を過ぎて、だらだら道を歩いていきますと、途中、「笛」というギャラリー&喫茶店があります。その先にY字路があります。Y字路の左に今泉台に抜ける急坂があります。Y字路を右に曲がると一番奥に明月荘がございます。明月荘は街中にありますが、非常に閑静なところで別世界のようです。明月荘は、昭和21年に東京油槽倉庫株式会社社長などを務めた長崎市出身の実業家、石橋又義さんという方が東京から引っ越してきて建てた民家です。ここに母屋があります。その母屋にこれだけの広い庭園が付いています。離れに茶室があります。全体で2,600平方メートルもあります。石橋さんは自然を背景とした豊かな生活をされていたのかなと思います。しかし、ここを石橋さんが手放し、空き家の時期やマンション建設計画など様々な経緯の後に昭和46年に神奈川県の所有になりました。昭和55年からは鎌倉市に貸し出されて市民の利用施設として使われました。しかし、老朽化のために平成22年に閉鎖されました。平成23年4月24日、神奈川県と民間団体「神奈川まちづかい塾」が、明月荘の保全と有効利用を目的とした協働事業を行う協定書を締結しました。たまたま、わたしもここに関わりまして、この建物を含めて全体の手入れをしてこれから活用していこうということで活動しています。明月荘の所有者の神奈川県と話をしていましたら、県が所有している明月荘を囲んでいる山があります。明月荘と山の全部入れると、14,500平方メートルあります。わたしたちはこの全部の手入れをしていこうとしています。神奈川県と結んだ協定では、10年間手入れを継続していく。ただし、県は全くお金を出しません。それでわれわれが稼ぎながら、またサポーター、ボランティアの方々の援助を受けながら、ここの手入れをしていく予定です。大変に素晴らしい場所です。かっちゃんが発見したんですが、オオルリが生息しているのではないかということです。やるたびに新しい発見があります。大きな竹林があります。竹林も整備しないと荒れてしまってどうしようもないです。竹林の中にハイキングコースがつくる準備を進めています。子どもたちをここに入れようということで徐々に道をつくっています。これからますます時間がかかると思います。10年間、あまり無理をしないで徐々に手入れをしたいと思っております。今は第2、第4金曜日を定例の手入れ日にしています。朝9時から開いています。ご興味のある方は是非、参加してください。予約なしで来ていただいて、何となく木を伐ったり、草を刈ったりしていただければそれでいいわけです。よろしくお願いいたします。(拍手) ▽「昔の楽しい台峯にしたい、それがわたしの夢」 野口 どうもありがとうございました。先ほど風致保存会の野田さんがおっしゃったように、同じ里山と言っても地域ごとに事情が違うと思うんですよ。六国見山は元々は段々畑と雑木林、若干の松林で構成されていました。ところが台峯の場合は、湿地もあって里山のいろいろな要素が入っています。今、川上(靖)さんがお話しされたように、明月荘には明月荘の特徴があります。ですから、それぞれの地域の方が創意工夫して、どのような里山的にしたらいいか考えて手入れをされたらいいと思います。そして、お互いに連携して目的を達成できたらいいのかなと考えております。まずは、皆さんが台峯の池をごらんになって現状がどうなっているのかを確認する、あるいは六国見山の展望台に登ってスカイツリーを見る、来春のものすごいヤマザクラの花見をする、あるいは川上(靖)さんが手入れをしている時間帯に明月荘を見学しに行く。そして、一番近いところや、気に入った場所での作業に参加してみるというような形になるといいのかなと思います。これがプログラムの最後のページに書いてある「鎌倉の美しい里山継承プロジェクト」が、イメージしている世界です。わたしは六国見山が春はヤマザクラ、初夏は新緑、秋は紅葉が、大船方面から見えるような里山になればいいなと願って、両川上さんを含めた皆さんの協力で、今後も元気に手入れを続けていきたいと考えています。最後に一言ずつ、梅沢さんと川上(克)さんにお願いいたします。 梅沢 台峯はわたしの生まれ育ったところです。できましたら台峯を清く正しくと言いますか、やはり昔あったような子どもたちが裸足で入れる、裸足はちょっと無理かもしれませんが、安心して遊び回れるような場所にしたいなと思います。昔、漆にかぶれて1カ月休んだことがあります。台峯にはいろいろな木があります。漆にもツタ漆があります。これでも、かぶれたことがあります。そういうような所ですが、台峯は本当にいいところなんです。景色はいいし、谷戸田の湿地帯もいいですね。谷戸の池は水が清く美しく流れてもらうようなことを考えてもらえればいいと思います。中央公園と連結するならば、台峯を生かすために「夢のつり橋」を架けてはどうかという考えを持っています。 川上(克) 今、のりちゃんが「夢のつり橋」と言いましたが、わたしは要らないと思います。「夢のつり橋」よりも子どもは崖をよじ登ったり、すべったりしなければいけない。子どもにはそんな贅沢なものをこさえてはいけないと思います。台峯には昔、たくさんの生き物いました。わたしは大分、ウサギを獲りました。コジュケイも獲りました。おこがましいのですが、昨年まで野鳥の会の会員でした。でも、若い頃は鉄砲打ちの会である大日本猟友会の会員でした。ウサギを撃ち殺したり、コジュケイを焼き鳥にしたり、そういうことをしていた人間です。とにかくわたしは台峯に生まれ、台峯に育った人間です。「良いこと」も「悪いこと」も台峯で覚えました。昔の楽しい台峯にしたい、それがわたしの夢です。わたしも後期高齢者になっていますので、わたしの目の黒いうちに一生懸命頑張りたいと思います。 野口 どうもありがとうございました。お2人に盛大な拍手を送ってください。(盛大な拍手)
by kitakamayunet
| 2013-07-16 20:19
| 鎌倉の美しい里山継承PJ
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