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食べたい物を食べられることの幸せ:腸閉塞緊急入院記② 毎朝、座禅を組み、お経を唱えるのが日課になっている。一日の始まりにこの日課をしないと気持ちが落ち着かない。20年近く前、横浜から北鎌倉に転居した直後に偶然、円覚寺の暁天坐禅会に参加したのがきっかけだ。 入院2日目まではさすがに体の不調の方に意識が向かっていた。しかし、おなかの痛みが治まった3日目からいつもの日課をしたいと思った。坐禅はベッドの上でも可能だ。しかし、二人部屋なのでお経はまずい。それと廊下越しに他の病室まで声が届いてしまう。 そこで「談話室でお経を上げてもいいですか」と看護士さんにお願いした。すると「どうぞ、どうぞ。わたしは(円覚寺の塔頭の白雲庵が経営している)北鎌倉幼稚園の卒業生です。娘も今通園しています。わたしもお経や坐禅、覚えたいな」と快諾してくれた。 入院4日の朝も別の看護師さんにお願いしたら「わたしの父、とても信心深いんです。(天台宗の総本山の)比叡山延暦寺や、長野の善光寺に行ったりしてます」とこれまた快諾してくれた。5日以降はいちいち断る必要もなくなった。談話室は食堂も兼ねていた。お経の邪魔にならないように看護師さんが、静かに朝食を運んでくれた。 鎌倉時代、鎌倉では新しい仏教が花開いた。それまでは仏教が貴族という特権階級だけのものであった。それが、庶民も含むすべての人々の救済を目的とした仏教へと変貌を遂げ、日本史上、仏教が最も繁栄した時代が到来した。新しい仏教の禅宗(臨済宗)は新興勢力である時の武家政権に支持され、政治・文化に重んじられた。 北鎌倉へ移ってきて、円覚寺を中心とした禅宗(臨済宗)系のお寺が、北鎌倉やその周辺に住む人々の日々の生活や文化、思考、街の景観などへ今なお、大きな影響を与えていることに気がついた。今回の病院での出来事も鎌倉が日本でも特異な宗教都市であることを如実に示した。 東日本大震災が発生した3年前、鎌倉では神道、仏教、キリスト教の3宗教合同による犠牲者の哀悼と、被災地復興を祈願した「追善供養 復興祈願祭」が行われた。以来、大地震発生日の3月11日に3宗教合同で「追善供養 復興祈願祭」が執り行われている。これも宗教都市鎌倉の面目躍如といった出来事であろう。 2011年の日本人の平均寿命は女性85・90歳、男性79・44歳。一方、2010年の健康寿命(介護を受けたり病気で寝たきりにならず、自立して健康に生活できる年齢)は男性が70.42歳で、女性は73.62歳だ。 わたしは昨年前期高齢者(65歳)となり、福寿手帳と介護保険被保険者証が届いた。2年前には白内障の手術もした。 間違いなく人生の終盤戦に入っている。今回の腸閉塞も一連の流れの一こまなのだ。 入院中考える時間がたっぷりあった。何回聴いても「右から左」に抜けてしまう円覚寺の横田南嶺館長の円覚寺夏期講座の説法を反すうしてみた。横田館長の説法は毎回、同じように始まる。 「まず合掌しましょう。両手を胸の前で合わせ、顎を引いて、目を閉じ、腰を突き出し、背筋は伸ばしてください」。「生まれたことの不思議に感謝しましょう」。「次にこれまで生きてことの不思議に感謝しましょう」「最後に今ここで巡り合えたことのご縁の不思議に感謝しましょう」 「仏教の根本の教えは、『縁起』の法則である。命は点ではない。先祖のご縁のお陰。この身、一身に集まっている。生きているのではない。限りない縁によって、生かされているのだ」。こちらは足立大進前円覚寺管長の言葉だ。 子どもの時、小学校、中学校、高校、大学、社会人、定年退職以降-。それぞれの時代の自分を振り返ってみた。入院した病棟は一般病棟だったが、高齢でかつ介護を必要とする患者が多かった。自力で歩いたりできるのはわたしを含めて極めて少数だった。大多数の患者さんはある意味ではわたしの将来の姿だ。「生老病死」は避けられない。お釈迦様の根本の教えだ。 生まれ生まれ生まれ生まれて生のはじめに暗く 死に死に死に死んで死の終わりに冥し (空海) 「大水上山の雪渓から始まり日本最大級の大河と化した利根川の旅は、わが故郷に近い河口で終わるのではない。太平洋に注がれた利根川の水は再び天に昇り、雨水となって大水上山の頂上に還る。終わりは始まりである。自然の営みは、この正確で果てしない動作の繰り返しなのだ」(「無名人からの伝言 ― 大利根用水に賭けた野口初太郎不屈の人生 ― 」あとがきより)。わたしの5歳になる孫はわたしと同じねずみ年で、60歳違う。 4月20日に「団塊サミットスペシャルin建長寺 団塊世代よ、帰りなんいざ地域、故郷へ―あれから10年、これから10年―」を開催する。入院中、「あれから10年、これから10年」をじっくり考えることが出来た。 病気による入院はしないにこしたことはない。しかし、後ろ向きにとらえるのではなく、前向きに考えることも必要ではないかと思った。流されて生きている日常だ。根源的な問題をしばし噛み締める時間は、とても貴重だとつくづく思った。宗教都市鎌倉で迎える人生終盤戦をメリハリつけて全うしたい。 *退院3日後の3月28日、気分一新のために鎌倉市の東部・十二所の明王院の護摩法要に参加した。こういう場がすぐ近くにあるというのは宗教都市・鎌倉のありがたさだ。
by kitakamayunet
| 2014-04-09 07:47
| 唯我独尊(コラム)
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