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2年に一度の東大社桜井神幸祭、嵐ついて挙行:12・4・14 4月12日、2年に一度、私の故郷(千葉県香取郡東庄町)の氏神様である東大社の神輿が利根川へお浜降りをする「東大社桜井神幸祭~桜井浜のお浜降り~」に参加した。神幸のコースは東大社→御手洗盃の井→敷薦(すくも)塚→桜井御産宮→桜井浜。20年に一度、外川海岸に神幸する「式年銚子大神幸祭」を、「おおみゆき」「銚子みゆき」と呼ぶのに対し、桜井神幸祭は「桜井みゆき」とも呼ばれている。 同日の午前8時すぎに北鎌倉の自宅を出発した。当初は午前5時すぎに出発し、午前9時からの東大社の御輿出発の神事に立ち会う予定だった。しかし、3月末に腸閉塞で入院し、かつ、4月20日に団塊サミットスペシャルin建長寺を控えているため、無理を避けた。 自宅から故郷までの距離は約170キロ。渋滞がなければ車で3時間弱。ルートは大別して2つある。一つは磯子インターで首都高速湾岸線に乗り、東関東自動車道を使い、佐原香取インターチェンジで降りる。 二つ目が東京湾アクアライン(とうきょうわんアクアライン)・東京湾アクアライン連絡道(とうきょうわんアクアラインれんらくどう)経由のルート。神奈川県川崎市から東京湾を横断して千葉県木更津市から圏央道を利用し、横芝光町で降りる。所要時間は大差ない。車の通行量が少ないので、最近はこちらのルートを使うケースが多い。 一方が交通事故などで渋滞した場合、もう一方を利用できるのでとても便利だった。ところがこの日は両方のルートで交通事故が発生し、渋滞にはまってしまった。最初はアクアラインを選択したが、ほとんど動かない。そこで第1のルートに切り替えた。 桜井浜到着は正午頃になってしまった。このため午前11時すぎに予定されていた桜井御産宮の神事には参加できなかった。飯田篤永東大社宮司に遅れた理由を説明すると、神事に奉納された「神饌」(しんせん、神への供物として用いられる飲食物の総称)の紅白のお菓子をいただいた。桜の花びらの上に東大社を示す「東」の文字が刻まれている。 このお菓子はもともと大秀堂菓子舗 (〒289-0624 千葉県香取郡東庄町小南1019)が作っていたが、店じまいすることになった。それを聞いた東庄町の布施菓子店(〒2890611 千葉県香取郡東庄町新宿815)が「絶対作るのをやめてはいけない」と菓子の版木を譲り受けた。なんかとっても嬉しい話を聞いた。 2年前の桜井神幸祭は嵐の中で挙行された。気温も低く、寒さに震えながらカメラが雨でぬれないように注意して桜井神幸祭の流れを追った。今回は青空が広がり、多くの観客が勇壮かつ華麗な東大社の御輿が利根川に浜降り姿を見守った。観客の中には中学時代の同級生の姿もあった。 氏子のお孫さんたちによる浦安の舞(うらやすのまい)の奉納。 神事舞の一つで、940年(昭和15)の皇紀二千六百年祝典の際に作られたもの。上代の手振りをしのぶ、荘重典雅な女舞。 <「第54回東大社式年銚子大神幸祭」-総(ふさの)国の原風景-より> 【御産宮】「第二の聖地」の浜鳥居は神秘的 桜井の浜は利根川の河岸に沿って広がる。隊列は金幣を奉げ持って御産宮に向かう飯田宮司一行と、浜鳥居を目指す神輿との二手に分かれた。御産宮は水田より一段高くなった方形の小さな林の中にポツンと鎮座している。神輿を担いで入れるほど、水田の畦道は広くないので二手に分かれた。御産宮は可愛らしい石づくりの祠(ほこら)で、祭神は東大社と同じ玉依姫命。鎮座地の階段状の地形は水位の低下によってもたらされ、この地域が利根川と霞ヶ浦等が一体となった「香取の海」の海底であったことを物語る。 桜井の浜は第4章で詳しく紹介しているが、東大社の祭神の上陸地、あるいは生誕地と伝えられている。玉依姫命の夫の鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)の生誕地との言い伝えもある。さらに、御産宮には子産石(こうみいし)が神宝として祀られていたが、江戸時代に襲来した台風で、社殿が破損されたため、近くの菅原道真公をお祀りする菅原大神に移したというという伝承も存在する。外川海岸を「第一の聖地」とするなら、桜井の浜は「第二の聖地」といっていい。 御産宮での祭典では伝統に従って、地元の崇敬者から蕗(ふき)の黄粉あえと「オモク」(蒸炊した玄米)が捧げられた。蕗の黄粉あえが捧げられる理由は「東庄の郷土史」によると「里伝では、海神の姫がお産のおりに、柔らかい蕗の葉を敷き、そこで座産が行われたとされ、又、蕗は、うがやふきあえずのみことの(名前)から二文字取ったとも伝えられる」 桜井の浜に「聖地」伝説が生まれたのは、地理的な条件にあるようだ。東庄町史には「地元の伝承では東大社の社地は元来、宮本ではなく、青馬にある代大神の社地に鎮座していたと伝える。その前方付近から東方に谷地が解析され、その下流がベキノ川(またはさわら川)となって東流し、諸持から宮原と桜井の境界を流れて利根川に合流する。江戸時代にはこの川の用水は『王子水』と呼ばれていた。御産宮はこの小河川の河口近くの右岸の段丘上に現存する」とある。 御産宮の祭典後、宮司一行は御産宮から500メートル離れた桜井町公園の東南端に建立されている浜鳥居に向かった。宮司の到着を待って神輿は、3度浜鳥居をくぐった。この日以前にも事前取材で何度か浜鳥居を訪れていたが、実に神秘的である。玉依姫命の実家である“竜宮城”への入口ではないかとの妄想に駆られる。利根川の水をたっぷり含んだ空気のせいなのだろうか。水中にいるような錯覚を覚える。この桜井の浜には2年に一度、東大社の神輿だけの神幸がある。式年銚子大神幸祭を「おおみゆき」「銚子みゆき」と呼ぶのに対し「桜井みゆき」と呼ぶ。
by kitakamayunet
| 2014-04-16 07:34
| 式年東大社銚子御神幸祭
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Tracked
from 北鎌倉湧水ネットワーク
at 2014-07-05 12:34
タイトル : 里の民と海の民のコラボ夕日が出迎え②東大社桜井神幸祭
勇壮、華麗に利根川に御輿がお浜降り①東大社桜井神幸祭 2年前の「東大社桜井神幸祭~桜井浜のお浜降り~」、4年前の20年に一度の 「式年銚子大神幸祭」の時は、お浜降りしてきた神輿は、ものすごい嵐の中を東大社に帰還した。しかし、好天に恵まれた今回は夕日が出迎えてくれた。(今回のお浜降りは4月12日だった。時間が経ってしまったが、記録として残したいので掲載する) 伝説によれば、東大社の祭神の玉依毘売命(タマヨリビメノミコト=海神の娘君・神武天皇御母君)の故郷は銚子市の外川海岸。このため、東...... more
Tracked
from 北鎌倉湧水ネットワーク
at 2016-04-11 17:19
タイトル : 日帰りで4・9東大社桜井神幸祭~桜井浜のお浜降り~へ
勇壮、華麗に利根川に御輿がお浜降り①東大社桜井神幸祭 4月9日、2年に一度の私の故郷(千葉県香取郡東庄町)の氏神様である東大社の神輿が利根川へお浜降りをする「東大社桜井神幸祭~桜井浜のお浜降り~」を見物した。前々回と前回は泊まりがけだったが、今回は事情があって日帰り見物となった。20年に一度、東大社の神輿が外川海岸に神幸する「式年銚子大神幸祭」を「おおみゆき」「銚子みゆき」と呼ぶのに対し、桜井神幸祭は「桜井みゆき」と呼んでいる。 神輿のお浜降りは当然のことながら、午前10時半、開催予...... more
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