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群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」に、日航ジャンボ機が墜落してから20年がたった。直接取材したわけではないが、この事故には思い出がある。 ▽すぐに帰ってきてくれ 当時、私は経済部に在籍していたが、組合の賃金対策部長に選ばれ、経済記者の仕事から離れ、組合の仕事に専従していた。組合のメンバーも交代で夏休みを取った。そういう季節だった。 私も夏休みを取り、8月9日から11日までの2泊3日の日程で、小学3年生になった次男を連れ、那須高原のテニス合宿に参加した。10日の午前中、テニスコートで、親子対決をしている最中に、「会社から、電話が入っています」というアナウンスがあった。 ■この当時の私。若かった… 20年はまさに一瞬である! ![]() 電話の主は経済部長だった。 「三光汽船の破綻が、秒読みになった。君の日銀記者クラブ時代に培った人脈を生かし、夜回りをしてくれないか」 「えっ、そう言われても。今、夏休み中で、息子と那須高原のテニス合宿に参加しています。スーツ、ネクタイの用意など何にもできていないんですよ」 「事情は分るが、何分にも緊急事態なので、すぐに帰ってきてくれ」 第一級の経済事件である。止むを得ない。妻に「帰宅する時間の余裕がないので、横浜駅までスーツとネクタイ、仕事用のバックを持ってきてほしい」と電話した。次男には「悪いけど仕事ができたので、これから帰らなければいけなくなった。ご免」。横浜駅のトイレでスーツに着替え、次男を妻に預け、そのまま仕事に向かった。そして、三光汽船のメーンバンク関係者を積極的に取材した。 ▽因果は巡る 三光汽船の決着がついた12日の夕方、日銀記者クラブでテレビを見ていた。すると、テレビの画面下にテロップが。「日航ジャンボ機が行方不明に」。正確にはこうでなかったかもしれないが、要は満員の乗客を乗せたジャンボ機が、墜落したということを匂わせる速報だった。 「これで、三光汽船の朝刊1面トップはなくなった」。記者クラブのメンバーから、一斉に落胆のため息が漏れた。関係者のことを考えれば、不謹慎なことは、この上ないと承知の上。記者クラブのメンバーはみんな、連日、猛暑の中、徹夜状態で取材活動を続けた。それにしても新聞記者とは、因果な商売だ。このとき、つくづくそう思った。 日銀記者クラブを担当する前は、運輸省を担当していた。日航の当時の内部事情にも詳しい。日航の社長は、このジャンボ機墜落事故の責任を取って辞任した。実はこの社長は、この事故の前に発生した機長による「羽田沖事故」当時の社長だった。この事故は「逆噴射」という「流行語」まで生み出した。引責辞任を迫る声が強かったが、居残った。まさに、因果は巡る。 ▽虫とりはできなかったのでとても残念 ![]() ジャンボ機墜落事故から3年後。次男が小学校6年生になった時に作った「成長のアルバム」を見せもらった。 第4章…現在(9才から10歳) …さて、もとの話にもどして、なす高原は、とまりがけで行ったのですがぼくとお父さんと二人だけで行きました。本当は二はく三日だったのでしたが、お父さんの仕事によって一ぱく二かになってしまいました。2日めの夜に虫とりをしようと思ったけれど二日めにかえってしまうので虫とりはできなかったのでとても残念です… 三光汽船の破綻は、金融の自由化と国際化の幕開けを象徴する経済事件だった。以後、過去の成功体験に酔いしれていた日本経済は、真の意味で実力を試されることになる。せっかくの夏休み、虫とりを楽しみにしていた次男には悪いことをしてしまったが、経済記者としては貴重な体験をさせてもらった。 一方で、これだけの大惨事を引き起こしたのに、日航の運航、整備ミスによるトラブルが止まらない。 11日朝にも、日航の710便(ボーイング777―300ER型、乗客・乗員114人)の胴体中央の下部から板状のグラスファイバー製部品(縦40センチ、横2メートル)が脱落していることが分った。これは一体、どういうことなのだろう。トップの「首」が、交代するだけでは、解決不能な根深い問題がはらんでいるに違いない。 ◎御巣鷹の尾根に慰霊登山 ジャンボ機墜落事故20年 520人が犠牲となった1985年の日航ジャンボ機墜落事故から丸20年を迎えた12日、遺族らは墜落現場となった群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」に慰霊登山をした。 早朝から雨が降り、もやが立ち込める中、遺族らはレインコートを着て、ぬかるんだ山道をゆっくりと標高1、565メートルの尾根へ。「安全の鐘」を鳴らし「昇魂之碑」に手を合わせ、犠牲者の冥福と空の安全を祈った。 日航の社長は混乱を避けるため13回忌の97年以来、12日の登山を避けていたが、今年は新町敏行社長が命日としては8年ぶりに現場を訪れた。(共同通信社HPより)
by kitakamayunet
| 2005-08-12 09:46
| 唯我独尊(コラム)
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