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「祈りの延命十句観音経」(横田南嶺著、春秋社) ![]() ![]() 本書では円覚寺ゆかりの禅僧や深く影響を受けた7人の禅僧(無学祖元、夢窓疎石、正受老人、白隠慧鶴、誠拙周樗、今北洪川、釈宗演)について丁寧かつ分かりやすく書かれており、名僧たちの奥深い知恵に感銘を受けた。中でも「第3講 正受老人 正念相続の一生涯」の「『正受老人一日暮らし』に説かれた教え」には「こういう風に考えればいいのか」と思い、目の前の霧が晴れたような気がした。 「正受老人一日暮らし」は次のように説く。「愚か者が、親孝行ができないというのは、長い一生だと思うからできないのだ。今日一日、今日一日と思えば退屈はしない。一日一日勤めれば、百年千年も勤めることはたやすいものだ」。8年前、長崎に住んでいた義父(当時94歳)と義母(84歳)の二人に北鎌倉に来てもらうことになった。義父は5年前、99歳で亡くなった。92歳になった義母は健在である。わたしは67歳、妻は66歳。老々介護の様相を呈している。狭い家だ。生活のペースが合わないのでそれなりに苦労がある。「一体、いつまでこの状態が続くのかな」。時々、妻がため息をつく。 現在、新著を執筆中の新著は黒子に徹したためまったく表舞台に出ることのなかった超大物相場師に関する内容だ。この超大物相場師は「株式市場は人生修行の場だ。そして投資を成功させるには、守るべき大前提がある。全てに通じる。それは親孝行」だと断言している。まるで禅問答のようで、その意味を理解するのに四苦八苦していた。こうした状況の中で、「正受老人一日暮らし」という教えに出会った。「明日はどうしてこうしてと考えても明日はまだ来ないわけだから、それは相手もないことを苦にするようなもの。今日一日をくらすための勤めを励み努めよ。少々の苦しいことはあっても、今日一日の辛抱だと思えば、耐え忍べる」。確かにそうだ。新著、介護、これからの生き方を考える上で素晴らしいヒントをいただいた。 正受老人一日暮らし(「禅の名僧に学ぶ 生き方の知恵」より転載) 第3講 正受老人 正念相続の一生涯 武家の家(信州松代藩主真田信之の庶子)に生まれたものの出家。生涯自らの寺を持たず、故郷飯山の小さな庵で母と暮らした孝行者。白隠慧鶴を厳しく鍛える一方、酒を愛し、村人に愛された。 そんな厳しい正受老人が一般向けに説いた教えがあります。「正受老人一日暮らし」というものです。 或る人の咄に「吾れ世の人の云うに、『一日暮らしといふを工夫せしより、精神すこやかにして又養生の要を得たり』と。如何となれば一日は千年万歳の初なれば、一日よく暮らすほどのつとめをせば、其の日過ぐるなり。それを翌日はどうしてかうしてと、又あひても無き事を苦にして、しかも翌日に呑まれ、其の日怠りがちなり。つひに朝夕に至れば、又翌日を工夫すれば全體にもちこして、今日の無きものに思ふゆゑ、心氣を遠きにおろそかにしそろ也。兎角翌日の事は命の程も覚束なしと云ふものの、今日のすぎはひを粗末にせよと云ふではなし。今日一日暮す時の勤めをはげみつとむべし。如何程の苦しみにても、一日と思へば堪へ易し。楽しみも亦、一日と思へばふけることもあるまじ。愚かなる者の、親に孝行せぬも、長いと思ふ故也。一日一日を思へば退屈はあるまじ。一日一日とつとむれば、百年千年もつとめやすし。何卒一生と思ふからたいそうなり。一生とは永い事と思へど、後の事やら翌日の事やら、一年乃至百年千年の事やら知る人あるまじ。死を限りと思へば、一生にはだまされやすし。」と。一大事と申すは、今日只今の心也。それをおろそかにして翌日あることなし。総ての人に.遠き事を思ひて謀ることあれども、的面の今を失うに心づかず。 これはある人の言っていることを正受老人が聞いて、「これはいいことだ」と言ったのです。ある人は何を言っていたのかというと、次のようなことを言っていました。 「一日暮らしというのをやってみると非常に精神が健やかで元気になる。どうしてかというと、千年万歳といっても一日がその初めであるから、一日よく暮らせばその日は終わる。それを明日はどうしてこうしてと考えても明日はまだ来ないわけだから、それは相手もないことを苦にするようなもので、翌日に今の自分が飲み込まれて、その日を怠ってしまうことになってしまう。また次の日になれば、その翌日のことを考えてしまい、全体に持ち越してしまって、せっかくの今日をもうないもののように思ってしまう。明日のことばかりにとらわれてしまうと、心が遠くに行ってしまって、今を疎かにしてしまう。 明日はどうなるかわからないから、どうでもいいという人もある。けれどそれはいけない。明日はどうなるかわからないから、今日はきちんとやらなくてはいけない。今日一日をくらすための勤めを励み努めよ。少々の苦しいことはあっても、今日一日の辛抱だと思えば、耐え忍べる。逆に楽しみもまた、今日一日と思えば耽ることもないだろう。愚か者が親孝行ができないというのは、長い一生だと思うからできないのだ。今日一日、今日一日と思えば退屈はしない。一日一日勤めれば、百年千年も勤めることはたやすいものだ。一生と思うから大変なのだ。一生とは永いことと思えるけれど、後のことやら翌日のことやら、二年三年ないし百年千年のことを知っている人はいない。1年先とか2年先とか、死というものを遠く先に設定するから一生を疎かにしてしまうのだ」と。 正受老人は、一瞬一瞬を大切にしましたけれども、それが一般の人にはなかなか難しい。この人の言うように、せめて一日一日と区切って生きればいいじゃないか、と正受老人は言っているのです。 正受老人はこういう歌も示されています。 さしあたることのみ思えば人はただ帰らぬ昨日まだこぬ明日 人はたださしあたることに集中しろ、もう昨日は再び帰ってこないし足はまだ来ない、というわけです。それが「一日暮らし」ということです。
by kitakamayunet
| 2015-12-13 18:00
| BOOK
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