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勇壮、華麗に利根川に御輿がお浜降り①東大社桜井神幸祭 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 神輿のお浜降りは当然のことながら、午前10時半、開催予定の御産宮の神事は最低限、見物したかった。朝7時に北鎌倉の自宅を出て、午前10時すぎに会場の桜井浜に到着した。余裕で御産宮の神事に間に合った。 ![]() ![]() ![]() 「第54回東大社式年銚子大神幸祭」-総(ふさの)国の原風景-出版の際、顔見知りになったCATV 銚子テレビ放送の記者が取材に来ていて声を掛けられた。 「総(ふさの)国の原風景の売れ具合はどうです。20年毎の開催は伝承という点からは年月的に限界なんですね。弥勒三番叟の立烏帽子に「東」の紋復活なんかもその例ですよね。『口伝』ではうまく伝わりませんよ」「確かにその通りですね」。「総(ふさの)国の原風景」を出版した大きな目的は、東大社式年銚子大神幸祭の正当な歴史が改竄されようとする動きを封じるためだった。苦労はしたが「総(ふさの)国の原風景」を出版して良かったとしみじみ思った。 「東」の紋復活:第54回東大社式年銚子大神幸祭 ![]() 「東」の紋が取り外された第53回東大社式年銚子大神幸祭 ![]() <「第54回東大社式年銚子大神幸祭」-総(ふさの)国の原風景-より> 弥勒三番叟の立烏帽子に「東」の紋復活 今回の神幸祭では、歴史の真実を曲げることはできない実例を確認した。弥勒三番叟の供奉者の立烏帽子に、桜花の中に「東」の字を表した紋が復活したのだ。前回の神幸祭にこの紋はなかった。高嶋捷邑東大社常任理事によると「前回、『東』の紋がなかったのは雷神社の役員が、『雷神社の氏子が東大社を意味する『東』の紋は罷りならん』と取り外しを要求したため。しかし、何百年も『東』の紋を付けて芸を演じてきた倉橋地区の氏子の間に『本来、倉橋地区は東大社の氏子で、雷神社の氏子ではなかった。歴史に則って演じるべきで、現在が雷神社の氏子だからといって、取り外す必要はない』と、元に戻そうという機運が高まり、復活した。歴史を重んじる倉橋地区の皆さんの英断に感謝したい」 【資料7】「雷神社(ライジンジャ)由緒」の「東大社・豊玉姫神社が『香取地方の神』であるのに対し、雷神社は御神幸先の銚子を含む地元『うなかみ』地方(香取の一部も海上郡に含まれていた時代があった)の神であるから、倉橋の三番叟を氏子に持つ当社が加わっているのは、他の2社とは別の意味合いがあるようである。尚、三番叟以外にも芸能披露も行われるが、これは東大社の氏子区民によるもので、時代的にも新しく、三番叟とは別の位置付けにあり、同列では考えられない」という記述が、奥歯に物が挟まったような言い方で、何を主張したいのかはっきりしなかった。 しかし、このもやもやは高嶋東大社常任理事の説明と、【資料19】の房総の祭事を読むことで氷解した。房総の祭事は①倉橋地区は、東大社との縁極めて深く、古く氏子であったとの伝えがある②倉橋弥勒三番叟の立烏帽子は、歴史的に「東」の紋を付けていた③弥勒三番叟は途切れそうになったが、倉橋地区の皆さんの伝統芸能再興への熱い思いが結実し、現在に至っている-と書いている。 東大社あっての神幸祭と書いたが、東総地区全体の発展を考えれば、豊玉姫神社と雷神社の協力があっての神幸祭ともいえる。正しい歴史認識に基づき、継続に向けた運用面の工夫を3社には期待したい。「東大社を主軸として豊玉姫・雷神社両輪として一致協力の神事を願っている」という大木銚子雑学塾塾長の願いは、わたしの願いでもある。 【資料19】房総の祭事(千葉県神社庁特殊神事編纂委員会、千葉県神社庁発行) 式年大神幸(おおみゆき・銚子みゆき) 神社名 東大社 弥勒三番叟(伝承地 海上郡海上町倉橋) 二〇年毎に行われる東大社式年銚子大神幸の際、露払として行列の最先頭を進み、これを舞うことによって、沿道を清め、大漁、豊作をもたらすものといわれる。現在(千葉)県指定無形文化財。 倉橋地区は、東大社との縁極めて深く、古く氏子であったと伝え、昭和五年度の大神幸にも、古例によって供奉奉仕した。二五年度は終戦後の事情で、歌舞の奉仕は無く、ただ、代表者が礼装で供奉した。しかしこのままではせっかくの伝統が絶え、今後の式年神幸の奉仕も不可能になる。われわれ経験者の現存中に是非再興しようということで、昭和五年度の奉仕者が発起し、協力一致、しばしば寄り合っては記録を調べ、記憶を呼び起こし、遂に正確な手振りを復元した。 昭和四五年度の大神幸にも、前々回、即ち四〇年前の供奉者が、再び顔を揃えて供奉奉仕し、行く先々で喝采を博した。その後倉橋弥勒三番叟保存会が設けられ、地区在住の概ね一八歳から二五歳までの長男が参加(服喪中は関わらない)、伝統を継承して、熱心に保存発展につとめ、既に二〇余名が演技を修得している。服装は、浄衣袴に立烏帽子(えぼし、桜花の中に東の字を表した紋を付ける)をかぶり、白足袋に草履をはき、御弊と金扇を持つ。楽器は大皮鼓、小皮鼓、摺り鉦を用い、舞士、音頭士等一五名ほどで編成される。
by kitakamayunet
| 2016-04-11 17:20
| 式年東大社銚子御神幸祭
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