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詳報、松尾市長、緑の洞門の開削撤回を全員協で明言せず 北鎌倉湧水ネットワークは、7月27日までに同月8日開催された緑の洞門に関する文化財専門委員会の直前の7月5日に、円覚寺塔中の雲頂庵(殿谷一成住職)で開催された会合で、緑の洞門に「文化財的な価値がある」との判断が出た場合でも、「開削という従来方針通りで行きたい」と、鎌倉市が出席者に約束するという常軌を逸した内容が書き込まれてある回覧文書を入手した。 この会合のタイトルは「駅裏トンネル安全対策工事の状況を聞く会」で、回覧文書によれば、雲頂庵が鎌倉市と住民に呼びかけて開催した。参加者は鎌倉市が松尾崇市長と職員2人、住民は鎌倉市・山ノ内下町下町内会住民。状況を聞く会がどういう性格の会議なのかは明確でない。ただ、松尾市長と職員2人は私的な立場で出席したわけではなく、公務として出席したのであろう。 参加者の「文化庁から文化財的な価値があるとの判断が出た場合、突っぱねられのか」との露骨な開削工事完遂要求に対し、鎌倉市は「開削という従来方針通りで行きたい」と、その後開催される予定の文化財専門委員会を無視するかのような約束をしている。公務として出席しての発言ならばその意味と責任は重い。 「文化財専門委員会のメンバーは何名か。公正にやって欲しい」という文化財専門委の人選への圧力とも受け取れる発言もあった。この不可思議な会合の様子を想像してみた。まるで、プロジェクトが思い通りに進行せずに、怒りを露にしている上司に、部下が必死になって言い訳をしているシーンを連想させる。問題はなぜ、鎌倉市が雲頂庵に対して、こんなことをする必要があるのかだ。両者の間に抜き差しならない関係があるのではないかと勘ぐられて仕方がないだろう。 文化庁は「完全な原型をとどめていなくても尾根の一部でも残っていれば文化財的な価値がある」として掘削再考を求めた。そして7月8日の鎌倉市文化財専門委員会の結論は「緑の洞門を含む尾根は『円覚寺境内絵図』に描かれた結界として文化財的な価値を有する場所であり、国指定史跡への追加指定を図っていくべきである」だった。 こうして経緯を踏まえての7月23日の鎌倉市議会の全員協議会が開催された。全員協に出席した市議の「開削は中止ということですね」という再三の追求に、松尾市長は「はい」とは言わなかった。さらに都市整備部長からは開削についても含みを残すような答弁も出ていたという。 わたしはこの回覧文書は、7月23日の鎌倉市議会の全員協議会で「開削は中止」を明言しなかった松尾崇市長の不可解な対応の理由を解明する重要な手掛かりになると思うのだが、読者の皆さんのお考えはいかがなものか。 【回覧全文】 平成28年7月7日 「駅裏トンネル安全対策工事の状況を聞く会」の報告 開催日時:7月5日(火) 15時30分から16時40分 会 場:雲頂庵…雲頂庵が鎌倉市と住民に呼びかけて開催したもの 市出席者:松尾市長ほか2名 1・市長からの現状説明 (1)県の急傾斜地工事の許可待ちであったが、6月に認可が下りたので、工事はいつでも可能となった (2)しかし、文化庁から、トンネルのある尾根の文化財的価値について、市において外部の専門家による委員会を設置して、再検討すべきであるとの指導http://kitakamayu.exblog.jp/25727565/があった。文化庁には、鎌倉市の考え方を説明した。 →文化庁との折衝経緯は、資料1「北鎌倉トンネルが所在する尾根の文化的価値について参照」 (3)こうした動きを受けて、市議会から意見書(資料2議案5号)が提出され、かつ市長に対して3つの要求が決議(資料3議案第6号)された。なお、議案5号は全会一致、議案6号は賛成多数であった。 (4)市としても、北鎌倉駅の改札(ホーム)を通してもらえないか、との要望を行っているが、JR側の理解を得られていない。今後も継続して要望する。 2・質疑応答 Q・文化財的な価値とは何か。 A・文化庁は、トンネルにも価値があるということではなくて、完全な原型を留めていなくても、尾根の一部でも残っていれば、文化財的な価値があるとの見解 →境界の尾根は、重要文化財「円覚寺の境内絵図」(資料4)ご参照 Q・文化財的な価値の評価は、いつ頃までに出るのか。 A・7月8日(金)に市の文化財専門委員会を開催する予定であり、その席に外部の専門家を招き、意見を聴く。委員会には、極力早く意見を出すように要請する。当日結論が出ない場合は、もう1回を想定し、3~4ヶ月とは考えていない。 →結論が長引く可能性がある場合は、落石防止工事を施し、早急にトンネルの通行が出来る措置を講じるよう要望する意見が多数あった。 Q・文化財専門委員会のメンバーは何名か。公正にやって欲しい。 A・メンバーは10名。それに文化庁の指導に従い外部専門家を2名加える。 Q・文化庁から文化財的な価値があるとの判断が出た場合、突っぱねられのか。 A・鎌倉の考え方を主張していく。開削という従来方針通りで行きたい。 以上。 雲頂庵は、もともとは建長寺の塔中で、江戸時代に円覚寺の塔中になった。「円覚寺の境内絵図」に描かれている結界外の「塔」が現在の雲頂庵だ。 【雲頂菴沿革】(雲頂菴公式HPより転載) 雲頂菴は、もとは禅宗では五山、十刹に次ぐ寺格「諸山」に列せられていた大崎山 長勝寺の塔頭でした。長勝寺は1296年、大覚禅師 蘭渓道隆の法嗣 仏燈国師約翁徳倹により創建され、その後、二世 空山円印が開山塔頭として雲頂菴を興しました。開基は、長勝寺、雲頂菴ともつまびらかではありません。鎌倉幕府の滅亡、南北朝の混乱、室町幕府の成立など激動の時代にもよく寺勢を保ってきましたが、永享の乱(1438年)によりすっかり衰え、かろうじて命脈を維持していたところ、文明年間の1460年前後から、主の関東管領 上杉氏をおさえて台頭してきた長尾氏 ― 長尾尾張守 忠景・顕忠父子 ―が後ろ盾となって(中興開基)再び寺勢を盛り返し、戦国の乱世の時代に大檀那 長尾氏の厚い外護のもと寺勢を保ち、円覚寺において中心的な役割を果たしました。その後、江戸時代に入って円覚寺の塔頭に列せられ、今日に至っています。 ※ 現在、長勝寺は存在しません。 円覚寺塔中 雲頂庵(鎌倉の寺小事典(かまくら春秋社) 山号大機山。空山円印の塔所。円印は関東十刹のひとつだった長勝寺の開山で建長寺開山の蘭渓道隆の法嗣。長勝寺は永享の乱(永享十年、1438年)の頃廃絶となった。長勝寺の開山塔だった雲頂庵もまた配された。が、のち関東管領上杉家の家宰長尾忠景によって再興された。江戸時代に入ってから、円覚寺の塔中に入った。
by kitakamayunet
| 2016-07-27 23:11
| 洞門山宅地開発問題
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Comments(2)
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市民
at 2016-07-28 22:30
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やっぱりこんなことだろうと思った
何言っても信用出来ないんですよね鎌倉市って
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Commented
by
kitakamayunet at 2016-07-28 22:44
未来永劫にこのままではいけないですよね。
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