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一報!緑の洞門の円覚寺側岩盤剥落:8・11 「削られたのは先細った尾根の先端」松島前鎌倉市文化財専門委会長 ![]() 7月8日、緑の洞門を含む尾根の文化財価値を協議するための鎌倉市文化財専門委員会に出席した際、鎌倉市文化財課が提出した資料の中にあった「岩盤面が平らな斜面になっており、自然地形ではなく、比較的新しい人為的な加工による地形である。鉄道施設時に削られた斜面と判断される」という松島義章・前鎌倉市文化財専門委員会会長のコメント(「鎌倉市文化財専門委員会提出資料」)に目が釘付けになった。 *松島前会長プロフィール 1936年長野県生まれ。横浜国立大学学芸学部地学科卒。神奈川県立生命の星・地球博物館名誉館員。理学博士。専門は古生物学、第四紀地質学。主著に『貝が語る縄文海進 南関東、+2℃の世界 有隣新書』 このコメントは北鎌倉湧水ネットワークのブログに掲載した「円覚寺結界「緑の洞門」の原形は残されていた!5・27」の記事を否定し、緑の洞門開削にお墨付きを与えた「尾根は横須賀線の開通と宅地化で削られ、先端が大きく破壊され、結界を示す地形は旧状をとどめていない」という鎌倉市文化財課の主張に沿うとしか受け止められない内容だった。 ただし、7月8日の文化財専門委の結論は「文化財的な価値があるので安全性に配慮しながら保全が望ましい」だった。緑の洞門が削られたのか、そうでないかは主要論点ではなくなった。しかし、ジャーナリストの端くれとしては、何としても事実を知りたい。松島前会長のコメント全体を読み、内容に納得できなかったので、松島前会長とメール、電話でやりとりし、剥落事故のあった翌日の8月12日に、緑の洞門及びその周辺で約1時間半にわたる詳しい説明を受け、真意を確認した。 ![]() ![]() 松島前会長からは8月18日、「先日は、蒸し暑い中を現地で調べることができ、さらに広い範囲を見学でき有難うございました。緑の洞門の入口の岩盤が落盤していたことに驚きました」とのメールをいただいた。横浜国立大学に在籍中は、何度も緑の洞門を含む北鎌倉の地層調査に足を運んだという。松島前会長は現場を大切にする「研究者の鏡」のような方である。 ![]() ![]() 【参考サイト】 ≪史跡を歩く4≫地図があばく行政の“偽証”(円覚寺の結界とまちづくり1) 【鎌倉市文化財専門委員会提出資料】 平成28年7月8日 北鎌倉駅ホームの岩盤斜面について 松島義章・前鎌倉市文化財専門委員会会長、元神奈川県立生命の星地球博物館学芸部長 【1】この地点の地層は、鎌倉市地質図(1986)に示される上総層群浦郷層の凝灰質砂岩層である。横須賀市浦郷付近に分布する本層は、固結度が高く固い岩層となっている。北鎌倉から以西の藤沢市弥勒寺~高谷にかけて分布する本層は、固結度が低く風食などにより層理面(単層と単層の境界面)が目立つ。 【2】岩盤斜面は上部と下部で岩層が異なる。下部は極めて脆いパミスを多く含む凝灰質砂岩層である。このパミスを多く含む層の部分が浸食され、このように小さな穴が連続して開いた状況になっている。 【3】「100年程度の風雨ではこのような小穴群はできない」ということはない。非常に脆い層であるため、数十年でこのような状態にはなる。パミスは多孔質で水分を含むと柔らかくなる。その部分を人が傘などの先でつつくなどにより拡大した可能性も強い。 【4】上部は比較的多くのスコリアを含む凝灰質砂岩層なので、ほとんど浸食されていない。 【5】岩盤面が平らな斜面になっており、自然地形ではなく、比較的新しい人為的な加工による地形である。鉄道施設時に削られた斜面と判断される。 【松島前会長との質疑】 Q1 「パミスは多孔質で水分を含むと柔らかくなる。その部分を人が傘などの先でつつくなどにより拡大した可能性も強い」とありますが、衆人環視の駅のホームで「人が傘などの先でつつく」行為は可能でしょうか。穴は10個以上あり、規則性が見られます。JRの所有地です。このような行為をすれば駅員も黙っていないと思います。多分、器物損壊罪に該当するのではないでしょうか。 回答 パミス(軽石)は、多孔質で水分を含むと柔らかくなる。本地点に分布する浦郷層は、新生代第四紀初頭の約250~240万年前に深海底に堆積した凝灰質砂岩層で、よく発砲した灰白色を帯びたパミスと黒褐色にスコリヤが含まれる。発砲したパミスは風雨にさらされて極めて軟らかくなり,消失し凹みに成りやすい。その凹み部分へ棒や傘の先などでつつくなどにより、より拡大し穴へと進んだものと判断しました。風雨などの自然現象と人の行為が重なり大きく深い穴になっていったものであろう。一方のスコリヤを含む凝灰質砂岩層は、固く締まった地層となっている。 Q2 「岩盤面が平らな斜面」ということで鎌倉市が文化財専門委に提出した写真は「平らな斜面」(添付写真1)を強調したものとなっています。しかし、元の写真(添付写真2)は「平らな斜面」の上はかなり切立っています。この点についてはどのように考えておられますか。 添付写真1 ![]() 添付写真2 ![]() 回答 ホームに岩盤面は平らな斜面となっているのは、鉄道建設に伴う掘削面であり、それより上はかなり急な斜面となっている。これには浦郷層の岩相が関与していると思われる。ホームからの平らな斜面は,パミスを含む凝灰質砂岩層あらなり、比較軟らかい岩相である。急な斜面となっているところはパミスがほとんどなく、スコリヤを含む凝灰質砂岩層となり、固く締まった岩相で急な斜面となっている。これは岩相の固結度によるものと判断しました。 Q3 緑の洞門の先に赤の洞門があります。この入り口付近に緑の洞門に類似した地層(添付写真3)があります。ご感想をお願いいたします。 ![]() 回答 赤の洞門は緑の洞門の北西方に位置し、浦郷層の中でより多量のパミスを多く含む凝灰質砂岩層となり風食がかなり進んでいる。赤の洞門の浦郷層は緑の洞門より上位の層準が分布する。円覚寺山門を入り西側にこの凝灰質砂岩層が露出する。ここではほぼ垂直の崖状に切り取られていて観察できる。 Q4 鎌倉市が文化財専門委に提出した現在の地形図と円覚寺境内絵図を比較すると円覚寺境内絵図の形がそのまま残っているように思えますがいかがお考えでしょうか。(添付写真4) ![]() 回答 円覚寺境内絵図の形が現在もそのまま残っていると思えます。 Q5 「鉄道施設時に削られた斜面と判断される」とのことですが、もし、そうであるならばどうして下り線ホームに岩盤が食い込んでいる(添付写真5)のでしょうか。 ![]() 回答 この地点の線路の基盤岩は浦郷層となる。下り線ホームの岩盤は、緑の洞門をつくる浦郷層より下位層準の浦郷層となっている。線路が建設する以前の尾根は、上り線ホームまで延びていた。そのため線路建設に伴い削り取られた。この尾根が延びていた地点を離れると線路の下の地層は沖積層となる。 【用語説明】 基盤岩 一般には、ある地域において最も古いことが証明されている地層の下位に不整合を挾んで横たわる地殻を構成する複合岩体をいい、主として、先カンプリア時代や古生代の火成岩や変成岩から成る。(石油・天然ガス用語辞典) 浦郷[うらごう]層 堆積[たいせき]:約300~200万年前野島層の基底部にあたります。凝灰[ぎょうかい]質砂礫[されき]岩を主とし軽石[かるいし]が混じっています。貝化石を含む部分があります。三浦半島の北部に分布しています。(三浦半島の地層・地質) 沖積層 約1~2万年前以降に形成された比較的新しい地層を沖積層と呼ぶ。河川等により運ばれた砂や礫、泥等が堆積して形成される層であり、一般に軟弱であることが多い。日本の平野部の大部分は沖積層からなる平野である。沖積層は地下水を豊富に含んだ軟弱地盤であることが多く、沖積層に含まれている地下水やその下部にある洪積層の地下水を大量にくみ上げると、地層内の間隙水圧が低下して未固結泥質層が圧密収縮し、地盤沈下が起こりやすい。また、軟弱地盤特有の自然圧密(建築物の重さによる圧縮など)による沈下も起こりやすい。(EICネット) *JR東日本への質問と回答 質問(2016年5月1日) 北鎌倉駅を利用し、新橋まで通勤している鎌倉在住のサラリーマンです。前から疑問に思っていた北鎌倉駅の下りホームのことをお尋ねしたいと思い、メールいたします。 以下質問です。よろしくお願いいたします。 ①下りホームに岩塊が食い込む格好になっています。この理由を教えてください。 ②横須賀線は当初単線で開通したそうですが、単線は北鎌倉駅の場合、上りホーム側の線路だったのでしょうか。それとも下りホーム側の線路だったのでしょうか。 回答(2016年5月16日) いつもJR東日本ならびにJR東日本ホームページをご利用いただきましてありがとうございます。このたびのご意見につきまして、以下のとおり回答させていただきます。 ①のご質問には、②の回答と重複いたしますが、北鎌倉駅は複線化の後に開業いたしました。開業の際は線路脇にホームとして必要な幅を確保して新設しております。尚、ホームの基本構造は現在も変わっておりません。お客様の申されている箇所は、開業以降に列車編成変更の為のホーム延伸工事等によりホームの幅に差が生じている箇所の事と思われます。岩塊がホームに食い込んでいる訳ではございません。 ②のご質問ですが、お客さまのおっしゃる通り横須賀線は明治22年に大船駅から横須賀駅まで単線で開通いたしました。その後、大正5年に鎌倉駅まで複線へ改修しております。尚、北鎌倉駅は昭和2年に季節限定の仮停車場として営業を開始し、昭和5年に本開業となっております。古い事柄なので詳細な記録は見つかりませんでしたが、周辺楮物の情報を集約しますと現在の下り線が開通当初のルートの可能性が高いです。
by kitakamayunet
| 2016-08-20 06:03
| 洞門山宅地開発問題
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