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石井彰英団長の高村光太郎ジオラマ制作日誌(其の一) 北鎌倉の皆様、そして当ブログを訪れて下さった皆様、高村光太郎ジオラマ制作日誌(其の一)を読んで下さりありがとうございました。品川の石井彰英(まほろば楽団団長)です。大井町ジオラマDVDは先日、地元 大井第一小学校同窓会で上映されました。校長室で校長先生から高村光太郎ジオラマ制作の激励を頂きました。その日、品川ケーブルTVのインタビューを受けましたので近日中に放映されると思います。先日、湧水ネットワーク野口代表よりテニスプレイヤー ラファエル・ナダルのコメントは禅の世界に通じると記されたメールがきました。様々な芸術家やアスリートの内なる精神世界を思い浮かべました。 …内にコスモスを持つものは世界の何処の辺遠に居ても常に一地方的の存在から脱する。内にコスモスを持たない者はどんな文化の中心にいても常に一地方的の存在として存在する。岩手県花巻の詩人宮沢賢治は稀に見る此のコスモスの所持者であった。彼の謂うところのイーハトヴはすなわち彼の内の一宇宙をとしての此の世界全般のことであった… これは高村光太郎が宮澤賢治の禅を評したコメントです。宮澤賢治という天才をこれほど的確に表現した文章は稀なのではないでしょうか・・高村光太郎と宮澤賢治は一度だけ面識があります。1926年(大正15年)に音楽の事で上京した宮澤賢治が高村光太郎のアトリエを訪ねています。以下、高村光太郎のコメントです。 宮沢さんは、写真で見る通りのあの外套を着てゐられたから、冬だつたでせう。夕方暗くなる頃突然訪ねて来られました。僕は何か手をはなせぬ仕事をしかけてゐたし、時刻が悪いものだから、明日の午後明るい中に来ていただくやうにお話したら、次にまた来るとそのまま帰つて行かれました。 あの時、玄関口で一寸お会ひしただけで、あと会えないでしまひました。また来られるといふので、心待ちに待つてゐたのですが…。口数のすくない方でしたが、意外な感がしたほど背が高く、がつしりしてゐて、とても元気でした この時に高村光太郎は既に高名な芸術家でした。一方、宮澤賢治は「春と修羅」等2冊を発表しただけでしたが、高村光太郎の友人だった草野心平が、この本を高村光太郎に勧めました。この本に感銘を受けたようです。 ![]() 羅須地人協会の宮澤賢治像。彼は大変な音楽ファンで、東北で2番目にレコードを買っていたほどのマニアだったそうです。この写真もベートーベンのポーズを真似して撮影してもらったとか・・宮澤賢治は案外、子供っぽい人だったようですね。 ![]() 宮澤賢治は1933年に結核で亡くなりました。(享年37歳)死の床で「ウナギや卵で精をつけたら?」という家族の申し出を「生き物を食らう事はできない」と頑なに断りました。敬虔な仏教徒としての宮澤賢治の一面です。その際に賢治は弟の清六氏に「私が亡くなった後、作品を本にしたいという人があれば本にしてほしい」と頼みました。
草野心平、高村光太郎が中心となって東京で宮澤賢治の追悼会が行われました。その席に清六氏が鞄いっぱいの賢治の原稿を携えて参加しました。高村光太郎は、その原稿の中に「雨にも負けず・・」が記された手帳を発見しました。 膨大な遺稿と心を打つ文章に皆が大いに感銘を受け、さっそく宮澤賢治全集の刊行に全力を尽くします。この全集の題字は高村光太郎によって記されました。 ![]() 1936年に羅須地人協会のあった場所に建てられた、「雨ニモマケズ」の詩碑も高村光太郎の書によるものです。
岩手の山々は、こんなに静寂で深淵なのか!今も山中には精霊が居るのではないか? 夜、山に寝ころべば銀河鉄道が見えるのではないか?この過酷な美しい自然が宮澤賢治の礎になったのかと感じました。
花巻の人たちは今も、そしてこれからも宮澤賢治を愛しています。どこの売店に入っても宮澤賢治関連のグッズが売られている。そして宮澤家がとんでもない資産家であると言う事がわかりました。
父親政治郎さんによれば「自分が仏教を知らなかったら、(布教活動をしなかったら)三井、住友くらいの財産はつくれただろう」。また花巻を案内して下さった小山弘明さんによると花巻から釜石(約80キロ)までの街道の両側は全て宮澤家が所有していたそうです。 ![]() 宮澤賢治の実家「宮澤商會」のジオラマサンプルです。金物、建材、自動車部品等を扱っていたそうです。
宮澤賢治・・・ザ スーパースター!!
高村光太郎制作日誌(其の3 高村光太郎花巻へ)にて再見・・・
by kitakamayunet
| 2017-10-18 18:08
| 鎌倉の美しい里山継承PJ
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