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高村光太郎 ジオラマ制作日誌(其の2)「光太郎と賢治」 北鎌倉の皆様、当北鎌倉湧水ネットワークブログを訪れて下さる皆様、拙い制作日誌を読んで頂きありがとうございます。品川の石井彰英(まほろば楽団団長)です。多くの叱咤激励のメールが届いております。皆様に喜んで頂けるジオラマを作れるよう頑張ります。 東北新幹線を北上駅で下車(都会育ちの私には異様に思えるほどに人が少ない)、高村光太郎連翹忌代表小山弘明さんの案内で高村光太郎記念館へ向かった。途中、ジオラマの題材になりそうな建築物を見学。初秋の東北の田園の中を車は進む。それにしても、いつになったら記念館に到着するのだろう?!(何と最寄りの新花巻駅から18.5キロ!!)電車もバスも来ていない。唯一のアクセス手段はタクシーのみ。私たちが滞在している間も団体バスのお客さんと地元の人たちが来ただけでした。 ![]() 記念館は高村光太郎が自給自足をしていた山小屋(高村山荘)に隣接して建てられている。リニューアルされたばかりの美しい建物だった。 ![]() 高村光太郎連翹忌代表 小山弘明さん、高村光太郎記念館 高橋卓也さんと。 ![]() 記念館の内部には高村光太郎、智恵子の作品が展示されている。こんな厳粛な場所に私の酔狂ジオラマを飾ってもらって良いのだろうか? ![]() 記念館の隣の食堂兼土産物屋で昼食、蕎麦を食べる。「高村光太郎も大好きだった蕎麦ですよ」と見てきたような事を言う店の主。そう言われると何だか美味しいような気がした。 ![]() 記念館から山小屋に移動。(約200m) ![]() 山荘は想像していたよりも立派な山小屋だなあ!と思っていたら記念館の高橋卓也さんがカギを開けてくれた。中に実際に高村光太郎が暮らしていた山小屋がすっぽりと覆われていた!着ぐるみみたいだ! ![]() 山小屋の中は土間と庵、合わせても八畳程度。 ![]() ![]() 小屋の右側には井戸 ![]() 小屋の右手には更に小さな小屋「月光殿」がある。何と来客用のトイレ! ![]() そして高村光太郎のトレードマーク「光」の文字。 ![]() 新館から200mほど離れた旧館。高村光太郎が大好きだったバッハが一日中流れている。高村光太郎も宮澤賢治と同様に大変な音楽好き。1902年からニューヨーク、ロンドン、パリに留学している。「光太郎はパリでエリックサティ(現代音楽の奇才)に会っていると思います。」(小山弘明さん) ![]() ![]() 1945年4月の空襲で高村光太郎は東京のアトリエを焼失。宮澤賢治の全集を高村光太郎達が出版した経緯から、弟宮澤清六の勧めで花巻に疎開した。8月の空襲で宮澤家も被災。高村光太郎は、花巻市街から遠く離れたこの地に独り移り住んだ。その時、彼は62歳。当時の感覚で言えば老人だろう。その後、7年間ここで自給自足の生活を続けた。隙間だらけ。雨戸もない。当然、サッシもない。あるのは障子だけ。零下20度の冬はどんなに寒かっただろう。 ![]() 障子に記された日時計。記念館の看板に3本の線が入っていた。 「何だかわかりますか?」と記念館の高橋卓也さん。「熊の爪痕ですよ」「熊!!!!」絶句・・・。「高村光太郎も畑仕事をする時は熊よけの鈴を首にぶらさげていたのです」 ![]() 終戦をむかえ、言論、表現の自由が許された。宮澤家、佐藤隆房家 という最高の理解者、スポンサーに恵まれ、さあ、これから芸術活動の再開という時期になぜ高村光太郎は、この過酷な環境に身を置いたのだろう? ![]() 高村山荘のジオラマサンプルです。皆様、是非、高村光太郎記念館を訪れてください。高村光太郎という芸術家、そして厳しく優しい人柄に触れられます。素晴らしい!!高村光太郎ジオラマ制作日誌(其の4 高村光太郎 花巻にて)で再見 !!
by kitakamayunet
| 2017-10-29 16:42
| 鎌倉の美しい里山継承PJ
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