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「『末期がんでも元気に生きる』が話題に」(平尾光司元如水会鎌倉支部長) 相次ぐ団塊世代からの喪中はがき ![]() 現在、この世代が直面している大きな問題の一つが、終末期を迎えた親の介護であろう。親の介護を引き受ければ、必然的に「延命治療」と向き合わざるを得なくなる。 今年も同世代の友人たちから「喪中につき年末年始のご挨拶を失礼させて頂きます」との喪中はがきが次々に届いている。理由は「母春江が96歳で永眠」「母ヤスが94歳で永眠」「義母満知子が93歳で永眠」「義父秀夫が94歳で永眠」…。友人たちはどのような看取りをしたのだろうか。そんな問いかけをしながら、喪中はがきを読む。 基本の基 著者の田中奈保美さんは文庫本のあとがきに「本著は高齢者の終末期に私たちは何を準備し、どう受け止めたらいいのか、その基本の基を記したつもりです」と記した。本著では「延命治療」の現実、問題点が丁寧な取材の積み重ねで分かりやすく説明されている。終末期を迎えた親の介護に苦悩している人たちに、一読を薦めたい。 「かつては食べられなくなれば自然に亡くなっていたお年寄りが、車にガソリンを注入するように管を通して人工的に栄養を補給されながら、おむつをしたまま意識もうろう状態で、家族から遠くはなれた場所でひとり寝たきりで、ときには何年もの日々を送り続けている。…『人間の尊厳を冒していると思わない、きみ』」。フリーライターの田中奈保美さんは、夫の佐藤順さんのこの問いかけから、高齢者の看取りに強い関心をもった。 田中さんは複数の老人福祉施設を取材し、友人と知人への看取りの聞き取りも行った。そして自らが看取り体験した。「その結果見えてきたのは、多くのお年寄りが本人や家族が望まない濃厚な医療を受けて亡くなっている現実であり、さらに家族や友人から離れて、非人間的な亡くなり方をしているという事実だった」 100歳目前の義父が誤嚥性肺炎で入院 本書のテーマ、内容は身につまされるものがある。なぜなら他人事ではないし、今尚、その渦中に在るからだ。約10年前、長崎市内で二人暮らしをしていた義父(当時94歳)と義母(当時84歳)を北鎌倉の自宅でお世話をするようになった。妻には兄と妹がいる。義兄は北九州、義妹が広島在住で、それぞれが事情を抱えていた。義兄は義母の介護があり、義妹は造園業を営む義弟と結婚し、義弟の両親と同居していた。わたしの場合、父は早くに亡くなっている。故郷(千葉県香取郡東庄町)に住む当時84歳の母は、姉が面倒を見てくれていた。当時、自分の親の介護の問題は発生していなかった。 「100歳まで生きたい」と念願していた義父だったが、100歳を目前にした2012年2月末、誤嚥性肺炎を発症し、救急車で最初の病院に搬送された。主治医の見立てでは「残された命は1週間」とのことだった。しかし、強靭な生命力を持っていた義父は、抗生物質が劇的な効果をもたらし、それから8ヶ月間、命の炎を灯し続けた。 ただし、生きながらえることが本人とって幸せだったかどうかは分からない。入院中、多くの時間、義父は顔に酸素マスクを宛がわれていた。栄養補給は点滴によってなされ、導尿カテーテルを膀胱内へ挿入されたままだった。ベッドから転落しないよう、ベルトで腰は縛り付けられていた。両手にはミトン(指を入れる部分が、親指だけが分かれて、他の指は一つにまとめられている手袋)がはめられていた。点滴や酸素マスクを義父が嫌がって、外さないためだ。 延命のための輸血は一回だけに その姿を見て、わたしはこうまでして自分は生きながらえたくないと思った。妻もそう考えた。こんな状態の時に「医術を尽くして一分一秒でも人命を延ばすことを至上命令」(多分)と考えた主治医は「貧血症状が出ている。このままでは命が危ない」と、わたしたちに熱心に輸血を勧めた。義母に意見を求めた。義母は「もうそこまでしなくてもいい」と顔をしかめた。これ以上の延命措置はしない。3人の意見は一致した。その旨、主治医に伝えたが、引き続き、輸血が必要であるとわたしたちに訴えた。とても真面目な女医さんで、悪意があるとはまったく思えなかった。 主治医からそこまで言われると輸血を拒否することは出来なかった。輸血を拒否したことで、もっと生きられたはずの義父の死期を早めたのではないか。きっと将来、このことがわたしたちの心の傷となって残るに違いない。そう、考えたからだ。「1回だけという約束でお願いします」。わたしたち夫婦は主治医に伝えた。輸血によって、義父はしばらく延命した。しかし、延命によって最初に入院した病院の入院期間が3ヶ月を超え、次の病院への転院を余儀なくされた。 2番目の病院でも治療法は最初の病院と同じだった。義父の顔に酸素マスク、両手にミトン、腰にベルト、膀胱内へ導尿カテーテル…。それは痛々しい姿だった。ほどなくしてここでも主治医から輸血の提案があった。「またきたか」。予想はしていたが、今回はすんなり応じる気持ちにはなれなかった。 そこでわたしは「実は最初の病院で『輸血は1回限り』という約束で、輸血してもらいました。こうした経緯を踏まえれば『輸血をお断りします』という結論に至ります。しかし、わたしたちはごくありふれた普通の人間です。命を扱う医師でもないし、悟りの境地に達した宗教家でもありません。人間の命の最終判断を下すことにものすごい戸惑いと抵抗があります」と、自らの率直な気持ちを主治医に伝えた。すると主治医は「お気持ち分かりました。この問題はわたしたち医師のほうで判断しましょう」と語った。主治医は輸血を中止すると同時に高カロリー液の点滴も止め、通常の点滴に戻してくれた。 このことがあってから、義父は2番目の病院で間もなく、息を引き取った。最初の病院で劇的な回復を見せた時、義父はわたしに言った。「野口さん、たった一つのお願いがあります。わたしを自宅につれて帰ってください」。義父のたった一つの願いを叶えてやることができなかった。今でもその言葉が耳に残っている。苦い思い出だ。ただし、一つだけ救いがある。臨終の場面に妻とわたしの長男を立ち合わせることができた。わたしの長男は義父の初孫で、「目に入れても痛くない」という表現がぴったりと当てはまるほど可愛がってくれた。 圧迫骨折繰り返す義母(94歳)は老健でリハビリ中 2015年5月、義母(当時91歳)が腰を圧迫骨折した。義父のお墓を長崎から北鎌倉に移すためョートステイで、介護老人保健施設(老健)に預かってもらった。このとき、部屋のドアのノブをつかみ損ねて転倒してしまった。2017年4月、自宅で再び腰を圧迫骨折した。原因は分からなかった。3週間ほど、病院に入院し、老健でリハビリして、7月に自宅に帰ってきた。 しかし、自宅での生活は長くは続かなかった。8月に入ってから自宅のベッドに上がり損ねてしりもちをついた。「腰が痛い」「腰が痛い」と再三訴えるので、病院へ連れて行って、レントゲンを撮ってもらうと3度目の圧迫骨折だった。レントゲン写真を見ると義母の背骨はいつ壊れても不思議ではないくらいもろいガラス細工のようだった。退院後は再び、老健でリハビリをしている。2回目の圧迫骨折の場合は、リハビリ中に手すりに使って歩くことが出来るようになった。しかし、今回は車椅子を使わないと移動が出来ない状態が続いている。
by kitakamayunet
| 2017-12-18 12:30
| BOOK
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