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親の介護と並ぶ団塊世代の共通の悩み:お墓移転① 母性の塊、我が子を守るためにしっかりと生き抜く ![]() 【西行法師】 ねがはくは 花のもとにて 春死なむ その如月(きさらぎ)の 望月(もちづき)のころ 『新古今集』雑下。西行の作中特に有名な歌だが、『新古今集』完成の中途で切り出し(削除)措置を受け、異本にのみ残された。「如月の望月のころ」は二月十五日(満月)をいう。太陽暦では三月末に当たる。西行の熱愛した桜の花盛りの時期に当たるが、また釈迦入滅の日でもある。出家の身として、とりわけその日に死にたいという願いをこめた歌だが、驚いたことに、彼は願った通り、河内の弘川寺で、建久元年二月十六日に没した。(大岡信ことば館より) 鎌倉一のヤマザクラの名所である六国見山のヤマザクラが満開になった3月30日の午後、故郷(千葉県香取郡東庄町)に住む姉から母の訃報が届いた。母は関東大震災の発生した大正12年、お釈迦さまの命日である2月15日に下総台地の農家に生まれた。そして、農家に嫁ぎ、農婦として一生を終えた。享年95歳。 平凡な農婦だったが、母の人生は戦争に翻弄された波瀾の人生だった。最初の夫が戦死した。母は5歳の娘を嫁ぎ先に残し、病気で奥さんに先立たれたわたしの父と再婚した。多分、この時、母が24歳で父が41歳。歳の差17歳。父には姑と先妻の子どもが5人いた。昭和23年、わたしが生まれた。 戦争がなければわたしは存在しなかった。父方から見ればわたしは6人兄弟の末っ子。母の残してきた娘も入ればわたしは7人兄弟の末っ子。父と母が揃っているという観点からは長男であり、一人っ子だ。姑は母に厳しかったが、幸い、異母兄・姉が優しい人たちで、母とわたしを大事にしてくれた。 昨年8月末、母は誤嚥性肺炎で入院した。余命は2ヶ月とのことだった。しかし、強い生命力で3月30日まで生きた。「ひ孫が大学卒業するのを見届けるまでは死ねない」。母はこの一念で命の炎を燃やし続けた。そして、ひ孫の大学卒業を見届け、帰らぬ人となった。 わたしは母を思う時、決まって幼い日の二つの光景が蘇る。その一つ。母の実家の縁側で手前に腰掛けていた母がうつむきながら涙を流していた。それを小さな女の子がちょこんと正座し、じっと見つめていた。 わたしは二人から少し、離れて「母はなぜ泣いているのか、小さな女の子は一体、誰なのか」、そんな疑問を懐きながら、庭の地面にいたずら書きをしていた。今思えば、小さな女の子は最初の嫁ぎ先に残してきた娘だった。母と娘は母の実家でしか会うことができなかった。母は儘ならぬ人生を嘆き、そいて泣いた。 もう一つが畑の中を走るおんぼろ道を、母がわたしを背負って病院へ向かって歩いている光景だ。自宅から病院までの距離は約4キロで、途中に二つの坂がある。当時のわたしは小学一年生。健康優良児で生まれた。しかし、小学校に入る前の年に、遊んでいて腹部を強打し、内出血を起こした。 季節はビワが実るころ。リヤカーで運ばれた病院のベッドで血反吐を吐いた。その中にビワの実が入っていた。この時から数年前、腹部を強打した時期になると腹が痛み、食事をとれなかった。がりがりに痩せ、付けられたあだ名が「青びょうたん」。体育の時間は見学が多かった。 人生は時として思いがけないことが起きる。母が最初の嫁ぎ先に残してきた娘・勝子と父の長男の仁が結婚した。後々聞いたことだが、母が再婚の際、父に仁と勝子の結婚を条件にした結果だという。こどもの意思がある。親が決めたところでそうなるとは限らない。でも、母が望んだ通りになった。 10年前に長崎で二人暮らしをしていた妻の両親を預かることにした。義兄と義妹にそれぞれに事情があって妻の両親を引き取ることは出来なかった。妻の両親を預かる決断はさほど難しくはなかった。理由は衰えの目立った母の介護を姉の勝子が引き受けてくれていたからだ。 仁は16年前に亡くなっている。兄嫁が血のつながっている勝子でなければ決断は容易ではなかったと思う。妻の両親を引き受けてからは、母を安心させること、母の世話をしてくれている姉への感謝の気持ちを持って10年間、毎月1回帰省した。 帰省して北鎌倉へ帰る際、「また、来月来るよ」と言うと母はにっこりと頷いた。亡くなる6日前の3月24日に帰省した。誤嚥性肺炎を再再発して少し息苦しそうだった。「誰だか分かる?」。母に問いかけると「稔」と母は答えた。妻の両親を引き受けることで親孝行ができた。 梅の花が咲く季節に生まれた母の名は梅。西行法師が望んだように「その如月の望月のころ」に亡くなった。母性の塊のような女性だった梅は、我が子を守るためにしっかりと生き抜いた。わたしは今年7月28に古希(70歳)を迎える。これまでに楽しいこと、辛いこと、色々なことがあった。でも、はっきり言おう。「梅さん、わたしを産んでくれてありがとう」。合掌。 ![]() 写真は2008年10月5日に故郷の千葉県香取郡東庄町笹川の鯉屋旅館で開催した「無名人からの伝言―大利根用水に賭けた野口初太郎不屈の人生―」の出版会に参加した母とわたし。 ![]() 【参考】 *身につまされた「枯れるように死にたい」 (田中奈保美著、新潮文庫)より転載 今度は母(94歳)が誤嚥性肺炎を発症して入院 2017年8月19日、丸太に挟まれて右手薬指を骨折してしまった。土曜日だったので救急病院で応急措置をしてもらった。その翌日、姉から「母が誤嚥性肺炎で入院した」との連絡があった。すぐに駆けつけたかったが、翌日の21日の月曜日に本格的な骨折の処置をしてもらう必要があった。シーネ(添え木)で右手薬指を固定してもらった。危なっかしい車の運転で故郷へ向った。母は昨年3月、脳に血栓ができ、寝たきり状態になってしまった。老健や特別養護老人ホーム(特養)に入らず、自宅で姉が介護していた。姉は誤嚥しないよう朝昼晩おかゆを作った。自力で排泄行為ができないので、必要に応じて大人用おむつの交換をした。お風呂には週2回、老健で入れてもらった。医師が月1回往診してくれた。姉75歳、母94歳。完璧な「老々介護」の世界である。 「俺だけど分かる」。母に呼びかけた。「稔だね。分かるよ」。母はかすれるような声で呼びかけに反応した。小柄(最大身長149センチ)な母が一段と小さくなっていた。「命が尽きようとしている。まだ意識のあるときにわたしの二人の息子に引き合わせよう」。そう考えて、長男(43歳)と次男(40歳)に母の状態を連絡した。ほとんど声を出すことなく眠るようにベッドに横たわっていた母だったが、長男が見舞った時は「大きくなったね」、次男の時は「いい男になったね」と、はっきりと言葉を口にした。よほど嬉しかったのであろう。 腕の静脈への通常の点滴を選択 月が替わった9月、「一人では心許ない。一緒に立ち会ってほしい」という姉からの電話で、母の主治医と今後の治療方針を巡る話し合いの場に同席した。主治医は①腕の静脈への通常の点滴②中心静脈(大腿静脈、内頚静脈、鎖骨下静脈などの太い静脈)への点滴③大腸がんなどの検査の実施④胃ろうの取り付け(口などからの食物・水分の補給が困難な場合、胃壁と腹壁に穴をあけてチューブを取り付け、外から直接胃に栄養剤などを注入する治療法)-の四つの治療法を提案した。 「母はもう十分生きてくれた。苦痛を与えたくないので、過度な延命治療は望まない」。姉とわたしの思いは一緒だった。躊躇なく主治医へ腕の静脈への通常の点滴の継続をお願いした。通常の点滴も延命治療の一つだが、これを「止めてください」とは言えなかった。やはり、母には少しでも長く生きていて欲しいとの気持ちがある。それと寝たきり状態になった母が「どうしてこんな惨めな状態になってしまったのかな。世話(介護)をしてくれている勝子(姉)に申し訳ない。でも、死にたくないな」とポツリと言ったことを覚えていたからだ。 主治医は「腕の静脈への通常の点滴だけならば寿命は1~2ヶ月で尽きる」と言った。この通りなら母は10月末までに帰らぬ旅に旅立っているはずだった。しかし、義父同様に母は強靭な生命力を持ち合わせているようだ。今日(2017年12月18日)現在、母は存命している。現在、病院に併設された療養型病棟に移された。少しは口から食べ物が入るようになった。命の不思議を感じる。
by kitakamayunet
| 2018-04-12 08:21
| シリーズ・団塊世代
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