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高村光太郎ジオラマ制作日誌(其の6)「苦節1年、遂に完成」 ![]() 北鎌倉の皆様、当ブログの読者の皆様、いかがお過ごしですか?品川の石井彰英(まほろば楽団団長)です。 ![]() 2017年6月に着手したジオラマも2018年5月には大体完成しました。大きさは180cmx120cm.私が制作したジオラマでは最大のサイズです。 ![]() 右に写っているのは北山公路さん。花巻Machicoco誌の編集長。お父様が以前、市長をなさっていました。旧花巻市街は昭和20年の空襲でほとんど全焼しています。資料が乏しくジオラマ制作では本当に苦労しました。わざわざ上京して下さり、建物の配置等の指示を出して下さりました。 光太郎記念館よりの依頼でDVDを制作しておりましたが、5月より音楽及びナレーションの録音に入りました。仲間たちには光太郎と智恵子の世界観を表現する音楽の作曲を依頼しました。 ![]() ![]() 6月中旬、光太郎記念館企画 高橋卓也さんが上京。ジオラマ搬出の打ち合わせをしました。その際に展示スペースの照明、ケース、DVD&スライドショーの館内上映等について話し合いました。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 高村光太郎記念館作成のチラシ ![]() ![]() 7月3日 DVD完成。権利問題の関係から、今回のジオラマとDVDの著作権は高村光太郎記念館に管理して頂く事にしました。したがって今回はYou Tubeでの配信はできません。商品となりますが、利益目的で制作したDVDではありませんので価格を低額にする事、及び通販システムを確立する事をお願いしました。後日、記念館のホームページに詳細が記載されます。 後程、野口代表と北鎌倉の皆様に映像をご覧頂ける手段を相談します。 7月7日―8日 ジオラマメインテナンス及び補修の為、午前10時 花巻到着。新花巻駅に光太郎記念館館長高橋邦広さんと読売新聞の浅水記者が出迎えてくれました。車で30分の記念館に直行。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 宿泊した花巻温泉より見えた登録有形文化財 旧松雲閣別館(旅館)。朝もやの中、非常に幻想的でした。 ![]() 高村光太郎は仏師、彫刻家 高村光雲(代表作西郷隆盛像 上野恩賜公園等)の長男として1883年、東京に生まれました。東京芸大を卒業後、ニューヨーク、ロンドン、パリに留学。超エリートだったように思います。また古い日本美術界にも反発した反骨の漢でもありました。後に宮澤賢治を世に出したように多くの人たちに慕われバランス感覚に富んだプロデューサーとしての才能もあったように思います。しかし、一家が離散し寂しく苦しかった智恵子、自分の油絵の才能に限界を感じていた智恵子を救えなかった。そんな経緯から智恵子が統合失調症を患ったのかはわかりません。 しかし、光太郎自身は自分を猛烈に責めたと思います。また戦争を賛美した文章を発表し多くの若者を死に追いやった。そんな心情から宮澤賢治の実家の勧めを受け入れて花巻に疎開したように思えてなりません。高村光太郎が7年間、一人で住んでいた人里離れた山小屋、その厳しい自然環境、寂しさ、私たちでは到底耐えられません。この山小屋で光太郎は亡くなった若者の為に祈り、そして亡き智恵子との愛を再度、育んだように思います。 ![]() ![]() 光太郎作詞の花巻商店街のCMソングです。良いなあ、このユーモア!偉大な芸術家だった高村光太郎ですが、花巻の人々の人情に触れて本当に優しい人になっていったように思います。 ![]() ![]() 光太郎の山小屋から数百メートルのところにあった山口小学校にて。(昭和24年)学芸会でサンタクロースの衣装を着て子供たちと踊り、皆にお菓子を配りました。私の大好きな写真です。DVDには、このシーンのファンタジー映像をつくって挿入しました。 昭和27年、青森県から十和田湖畔の智恵子をモデルにした「乙女の像」の制作を高村光太郎は依頼されました。この制作の為に光太郎は東京に戻りました。 ![]() 私は馬齢を重ねて生きてきました。しかし、昨年の夏にジオラマ制作の話を頂いてから年末までの期間は誰にも会わず、外出もせず、制作に没頭しました。夜、寝ていると「頑張れよ!」と光太郎の甲高い声が聞こえるような気がしました。その度にアトリエに戻りジオラマの構想を何度も練り直しました。光太郎と智恵子に褒められないまでも叱られない程度のジオラマが完成したと自負しています。 北鎌倉のジオラマを制作した際、小津安二郎と原節子が今も仲良く北鎌倉で暮らしている事を願いつつ制作しました。今回も智恵子を一人きりにしてはいけない、茶屋 智恵ちゃんを作り光太郎の山小屋の側に配置しました。 ![]() 長い間の私の戯言にお付き合い下さりありがとうございました。これから暑くなります。ご自愛のほどをよろしくお願いいたします。
by kitakamayunet
| 2018-07-12 09:02
| 鎌倉の美しい里山継承PJ
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タイトル : 岩手日日新聞が高村光太郎ジオラマ報道7・14
高村光太郎ジオラマ制作日誌(其の7)「終章の1章手前」 7月16日、「まほろば楽団」の石井彰英団長から「高村光太郎ジオラマに関しての新聞報道が始まりました。よろしければご友人にご紹介ください。DVDの発売は今月末の予定だそうです」のメールが入ったので、ブログに掲載する。 光太郎が見た情景再現 きょうから企画展 「花巻電鉄」との関わり紹介 【岩手日日新聞7/14(土) 16:15配信】 花巻ゆかりの詩人で彫刻家の高村光太郎(1883~1956年)と運行されていた路面電車の「花巻電鉄」の...... more
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