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般若心経と光合成:循環農法再読⑮ 両親の遺影となつめに入った初孫の遺骨 「ニンジンから宇宙へ よみがえる母なる大地」で赤峰勝人さんは、最愛の長男をわずか1年4か月で亡くし、12年間、長男の生と死の意味を問い続けた。そして一本のニンジンから宇宙を覗くことで、長男の生と死は、肉体の死がどういうことなのかを教えてくれるためだったと理解した。「肉体は光、空気、食べ物が無ければ生き続けることはできない。しかし、魂(心)は目で見ることのできない宇宙エネルギーだから、永遠に無くなることはない。魂(心)は、回っている、循環している」。赤峰さんは確信し、救われた。
赤峰さんの身に起こったことは実は他人事ではない。わたしは約15年前の2006年2月8日、初孫(女児)を亡くした。出産予定日の2日後のことだった。初孫は光を見ることなく、生まれ、逝った。生きていれば高校生だ。最初、どう受け止めていいかまったく分からなかった。「なぜ、初孫は10か月でこの世を去らねばないないのか。理不尽だ」。精神が混乱した。
1週間後の2月15日、円覚寺の涅槃会を見学させてもらった。眼前で、厳かに執り行われる涅槃会を見て、「生きとし生けるもの全ては、大いなる生命体と、『縁』という『糸』でつながっている。その『糸』が切れたとき、大いなる生命体から切り離され、闇と無音の世界(涅槃)を漂うことになる。そして、新しい縁が結ばれたときに、蘇る」と思った。これはその後の経緯を辿ると、漠然たる思いであって、赤峰さんのような確信ではなかった。
わたしの一日は朝起きて手洗い、洗顔、口すすぎをした後、両親の遺影、なつめ(茶道において抹茶を入れておく容器)に入った初孫の前で座禅を組み、お経を唱えることから始まる。わたし73歳。父享年69歳。母享年95歳。命日と誕生日がいっしょになってしまった初孫。両親、初孫は実在しないが、一緒にいる気持ちになる。
最近、朝のお勤めをしていると初孫が「ジージ、わたしは今回はこの世で生きる準備ができなかった。ジージは残りの人生、自分の役割を果たし、悔いなく生きてね。そして光の世界で再会しようね」と語りかけているような気がしてならない。
「人は仏心の中に生まれ、仏心の中で生き、仏心の中で息を引き取る。死ぬということは終わりではなくて仏心の世界に還っていくことなのです。そして、仏心は生き通しであるともいいます。仏心は死んでなくなることはないのです」。これは横田南嶺円覚寺派管長の自著の「禅の名僧に学ぶ生き方の知恵」の一節だ。
横田南嶺円覚寺派管長を後継者に指名した足立大進前円覚寺派管長(故人)は円覚寺夏期講座で「目には見えないが宇宙いっぱいに広がる命の根源がある。そこから気が生じ、人間の命の中に流れ込んでくる。ご縁お陰をいただいて命が存在している。これを鈴木大拙は霊性ととらえた」と話された。
「宇宙エネルギー」、「仏心」、「霊性」は同じ意味だと思う。2006年2月15日、円覚寺の涅槃会を見学させてもらった時の「思い」が、「確信」となるように、これからも強い覚悟を持って毎朝、坐禅を組み、お経を読む。そして循環農法を実践いていく。
(「ニンジンから宇宙へ」) さらに、私の身にこれまで降りかかったことさえ、理解できたのです。自分の身に何かが起こることは、結局、自分が起こしていることなのです。回り回って自分の犯したことのリスクを自分が背負うだけのことです。それを、誰かのせいや、何かのせいにしていては、いつまでたっても、そこから抜け出せず、それさえも堂々巡りだったのです。人の死も同じことだと思いました。
長男が生まれてきたこと。そしてわずか一年四か月で、世を去ったこと。虫も動物も鳥も植物も、みんな役目があって生まれてくるなら、人間もまた同じではないだろうか。彼はここに生まれてくる必要があったのだと思いました。
生まれて来る必要があった息子が、なぜ一年四か月で帰っていったのか。息子が死んで十二年間、そのことがずっと頭から離れなかったのです。しかし、一本のニンジンから宇宙を覗くことができて、彼が生まれてきた意味が解りました。肉体の死がどういうことなのかを教えてくれるためでした。
肉体は光、空気、食べ物が無ければ生き続けることはできないけれど、魂(心)は目で見ることのできない宇宙エネルギーだから、永遠に無くなることはない。魂(心)は、回っている、循環していること、ということを私に教えてくれたのです。
そして彼は、三年後には再び私の子供として生まれ変わってくれました。そのことを教えられて、長い十二年間の深い悲しみは、ふっきれるように消えてしまいました。長い間、心の隅で抱えていた多くのことが解けて、畑の中で、私は幸せで幸せなりませんでした。涙が後から後からとめどなく出てくるのを止めることはできませんでした。
宇宙の大きな懐に抱かれ、こんなにも愛されていたことを知りました。自分は不幸ものではなかったのです。それに気づけば、自分も、自分と共存するすべてのものを理屈抜きに愛することができるのです。
私が生まれてきたこと、この世でなすべきことが、やっとわかりました。自然の理にかなった、宇宙の法則を壊さない農業。そのために、何度も何度も転びながら、ここに向かっていたのです。
仏心は死ぬことではなく、ずっと生き通しである (「禅の名僧に学ぶ生き方の知恵」横田南嶺著)
白隠禅師の場合は遠くの寺からゴーンと鐘の鳴る音を聴いて、豁念(かつねん)として悟りが開けるのです。悟った時に白隠禅師は一声叫びました。「ああ、巌頭和尚は豆息災」と叫んだというのです。先に巌頭和尚が賊によって首をはねられて殺されたという『江湖風月集』にある話を読んで白隠禅師がひどく失望したという話をしました。
ところが悟りを開いたときに、白隠禅師は「そうではなかった」と知ったのです。「豆息災」というのは「まめで元気なこと」ですから、これは「巌頭和尚は死んでいない、生きていたのだ」と言っているのです。そういう悟りが開けたのです。
これはどういうことでしょうか。悟りの世界をお話しするときに、よく仏心の世界ということをいいます。人は仏心の中に生まれ、仏心の中で生き、仏心の中で息を引き取る。死ぬということは終わりではなくて仏心の世界に還っていくことなのです。そして、仏心は生き通しであるともいいます。仏心は死んでなくなることはないのです。詩人の坂村真民先生はこういう詩を書いています。
わたしは墓のなかにいない (中略) 虫が鳴いていたら それがわたしかも知れぬ 鳥が呼んでいたら それがわたしかも知れぬ 魚が泳いでいたら それがわたしかも知れぬ 花が咲いていたら それがわたしかも知れぬ 蝶が舞うていたら それがわたしかも知れぬ わたしはいたるところに いろいろな姿をして とびまわっているのだ 墓のなかなどに じっとしてはいないことを知っておくれ (『坂村真民全詩集第五巻』より) この坂村真民先生が描いておられるのが仏心の世界というものなのです。「仏心は死ぬことはない、ずっと生き通しなのだ」―これは死という問題についての一つの決着です。
「月影の 至らぬ里は なけれども 眺むる人の 心にぞすむ」(法然) 「目には見えないが宇宙いっぱいに広がる命の根源がある。そこから気が生じ、人間の命の中に流れ込んでくる。ご縁お陰をいただいて命が存在している。これを鈴木大拙は霊性ととらえた。『仏心は生き死にを超え 天地を包みて天心独朗にものぞ』。朝比奈宗源元円覚寺管長は仏心ととらえた。一方、法然は『月影の 至らぬ里は なけれども 眺むる人の 心にぞすむ』と詠んでいる。鈴木大拙は臨終の間際、『何かしてほしいことはあるか』といわれたとき『何もないよ、サンキュー』と答えたという。簡単ではないが、人生の最期は、『ありがとう』の言葉で結びたい」
「ながむる人のこころにぞすむ」 (勝部正雄上人 浄土宗総本山知恩院HPより転載) …法然上人ご在世の時、私の命はどうしていたのでしょうか。ここに至っているいのちが当時なかったとしたならば、私の誕生はなかったこととなります。そうでなく、いつの世も変わりなく親子の関わりの連鎖により、命が伝えられ・育てられ・生かされて今日の私となっています。しかし、この因縁果は、今の私に見えず・感じず・知らず、けれども「いたらぬさとはなけれども」と見放すことなく、守り護って私の脈拍を動かしてくださっているのです…
いのちの理由(Uta-Net https://www.uta-net.com/song/128119/) 作詞:さだまさし 作曲:さだまさし 歌 :岩崎宏美
by kitakamayunet
| 2021-08-05 16:06
| 里山・六国見山と生物多様性
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Tracked
from 北鎌倉湧水ネットワーク
at 2021-08-10 13:34
タイトル : 20年以上も前にSDGsを先取り:循環農法再読⑰
魂(心)は回っている:循環農法再読⑯ 年々、痛めつけられている地球や、崩壊されつつある自然や、病んでいく人たちを前にして、畑の中から外に向かって真実の声を上げ、動き出すことにした―。赤峰勝人さん「このまま行けば、人類も地球も滅んでしまう」との強い危機感から「ニンジンから宇宙へ よみがえる母なる大地」と「循環農法」を出版した。 循環農法の理論書としての「ニンジンから宇宙へ よみがえる母なる大地」の初版が出版されたのは1993年10月10日のことだった。技術書としての「循環農法」の初版の出版は2003年...... more
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