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宴会は鯉屋旅館で:野口初太郎翁頌徳碑建立地で花見② 無残にも伐採された初太郎桜の切り株(2021・9.20) 満開の初太郎桜(2016・3・3) 秋のお彼岸入りした9月20日、墓参りのために帰省した。これは毎年、春と秋のお彼岸の時のわたしの“恒例行事”だ。帰省した時に最初に立ち寄るのが、大利根用水旧笹川揚水機場跡地だ。ここには大利根用水の父野口初太郎翁頌徳碑が建立地されており、初太郎の自叙(http://www.kitakama-yusui.net/7/7mumei.html)の出版を機に、2009年3月、記念樹として河津桜を植樹した。そして記念樹を初太郎桜と命名した。
大利根用水旧笹川揚水機場跡地に到着して、わが目を疑った。春のお彼岸の時に、元気に出迎えてくれた初太郎桜が消えてしまっていたのだ。急ぎ足で植樹した場所にいくと、初太郎桜は無残にもチェンソーで伐倒されていた。下刈りの時に刈り払い機で誤伐されたものではない。直径15センチを超えている。刈り払い機では歯が立たないほど大きく成長している。 誤伐ではない。“確信犯”だと思った。何らかの伐らざるを得ない事情でやむなく伐ったのか、あるいは悪意を持って伐ったのかのどちらかだと考えた。大きなショックを受けた。切実に理由を知りたいと思った。そこで、翌日、植樹した場所の近くにある大利根用水旧笹川揚水機場を訪れた。
職員に顛末を話した。職員は「赴任したばかりで事情が分からない」とのことだったが、千葉県と千葉県大利根用水土地改良区に電話を入れてくれた。その結果、大利根用水土地改良区が。野口初太郎翁頌徳碑建立地の周りをきれいにしようとして伐ってしまったことが分かった。
初太郎桜は静岡県の河津桜のメッカである河津町から、直接、購入してきた河津桜の苗木のうちの1本だ。千葉県と大利根用水土地改良区の了解を得て、故郷の無名詩人レヴィンこと高木昌宣さんの父親・高木利昌さんを中核とした「大利根用水の父・野口初太郎の志を継ぐ会」のメンバーと一緒に、初太郎の想いを忘れないでほしい、「水の里東庄」を「水と桜と文化薫る東庄」にしたいと願って植樹した。
植樹後の下刈りを含めた管理は、北鎌倉に住んでいるわたしにはできないので、高木利昌さんがしてくれていた。そのお陰で植樹してから数年後に花が咲き始めた。
植樹してから8年後の2017年3月、初太郎桜を含めた河津桜が、花見ができるほどに成長したので、花見をした。花見参加者は「大利根用水の父・野口初太郎の志を継ぐ会」のメンバーに加え、夢工房の片桐務代表、シンガーソングライターの盧佳世さん、ギター奏者の矢野 敏広さんの合計11人。参加者は、4年後の2021年、2度目の花見をしようと誓い合った。
予定していた2度目の花見は今年だ。しかし、その夢はかなわなかった。理由は新型コロナ感染拡大と昨年、高木利昌さんがなくなってしまったからだ。新型コロナ感染拡大が終息したとしても、肝心要の初太郎桜が伐られてしまったので今後、花見をすることもできない。ただただ、残念としか言いようがない。
わたしから連絡を受けて、切り株を見に行った高木利昌さんの奥さんの初枝さんが「記念樹は、野口初太郎翁頌徳碑と位置的なバランスがとてもよかったのに。なんで伐られなければならないのと初太郎桜泣いているように思えました」と電話口で涙ぐんでいた。
わたしは今年7月で73歳になった。再び初太郎桜2世を植樹する気持ちはない。「気持ちはない」というよりも「できない」というのが正確だ。年齢的な問題もあるし、記念樹を育ててくれていた高木利昌さんが亡くなった今では、植樹しても、初代の初太郎桜のように花を咲かせるまで育てることは不可能だ。下草に呑み込まれて「枯れ死」してしまう運命が待っているだけである。今は、伐採された初代初太郎桜記にひこばえが出て、復活するのを祈るのみだ。
by kitakamayunet
| 2021-09-27 17:14
| 無名人からの伝言
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Tracked
from 北鎌倉湧水ネットワーク
at 2021-12-04 18:29
タイトル : 記念樹の初太郎桜復活、大利根土地改良区に感謝12・4
大ショック!記念樹の初太郎桜が伐られた9・20 12月4日、千葉県大利根改良区から涙が出るほど嬉しい便りが届いた。大利根用水の父野口初太郎翁頌徳碑が建立されている大利根用水旧笹川揚水機場跡地に11月30日、2代目の初太郎桜を植樹してくれたというのだ。 初太郎の自叙伝「無名人からの伝言」(http://www.kitakama-yusui.net/7/7mumei.html)の出版を機に、2009年3月、記念樹として河津桜を植樹した。そして記念樹を初太郎桜と命名した。ところが秋のお彼岸入りした9月20...... more
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