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ユダヤ難民と北海道を救った功労者 ![]() ![]() 5月21日、円覚寺塔頭の龍隠庵でユダヤ難民と北海道を救った樋口季一郎旧陸軍中将の顕彰碑の除幕式が行われた。除幕式には顕彰碑建立に中心的な役割を果たした樋口季一郎顕彰会の共同代表の吉野稜威雄(いつお)・元平塚市長、島村良行・日本会議湘南西支部長、里見脩・元大妻女子大教授の三人と、樋口旧陸軍中将の孫の玉村郁夫・元三井住友海上特別顧問ら約130人が参列した。
![]() ![]() ![]() 昨年、太田周文・龍隠庵住職に顕彰碑建立の計画を聞かされるまで、恥ずかしながらわたしは樋口旧陸軍中将のことをまったく知らなかった。ネットで検索して、「こんな素晴らしい先人がいたのだ」と驚いた。同時にわたしたちが受けた戦後の歴史教育の在り方に大きな疑問を持った。太田住職は「お題目を唱だけでは平和は守れない。樋口旧陸軍中将の功績を一人でも多くの人に知ってもらいたい」と話している。 ![]() 陸軍中将・樋口季一郎の知られざる功績 ~ 2万人のユダヤ人を救った武士道精神 (https://www.chichi.co.jp/web/20220212_higuchi_kiichiro/) もう一人の「東洋のシンドラー」: 2万人のユダヤ人を救い、北海道を守った樋口季一郎陸軍中将 (https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g01097/)
関係者はともかく、樋口旧陸軍中将の功績を知っている人はあまりいないのではないかと思う。長くなるが除幕式の時の吉野元平塚市長の挨拶を紹介したい。樋口旧陸軍中将の功績を伝えるために顕彰碑建立を思い立った理由が良く理解できると思う。 ご挨拶 吉野稜威雄(いつお)元平塚市長 ![]() …次々と樋口中将関係の本を読み、その功績に深い感銘を受けました。陸軍軍人のなかにもこのような柔軟な発想、固定観念に囚われない思考が出来、文化や歴史にも造詣が深い人が居たのだ。それは大きな驚きでした。そして、次に浮かんだのは、何故このような国土を他国の侵略から守った偉大な軍人の功績が知られていないのか、伝えられてこなかったのか、という強い疑問でした。北海道の少なくとも半分を領有しようというソ連の目論見を阻止した実績は大きい。樋口中将がいなかったらわが国は間違いなく分断されていたでしょう。また終戦後にも関わらず、侵略された北海道は蹂躙され、どれだけ多くの方達が戦火の犠牲になったことでしょうか。
(2021年)の年が明けてから、島村良行氏から、これは他人事ではない。我々が自分たちの課題として顕彰碑を建てようという提案があり、動き出しました。なんと一年後にはロシアによるウクライナ侵攻が突発的に始まりました。この現実は平和であり続けることがいかに困難なことかをあらためて私たち日本国民に教えてくれたと思います。
鎌倉の円覚寺は(鎌倉幕府の)執権、北条時宗公が元寇の役で戦死した日本の武士ならず蒙古軍の戦死者も併せて慰霊するために建てられた寺です。その中の塔頭、龍隠庵に樋口中将を顕彰する石碑が建立できる運びになったことは私たちにとって誇りであり、大変な感激を覚えております。私たち有志一同の志を理解し、惜しまずに多大な協力をして頂いた太田周文和尚に心からの感謝、御礼を申し上げます。
作業開始以来二年有余、様々な課題が持ち上がりましたが、その都度、不思議に幸運に恵まれ、解決されていったのは人の力を超える大きな後押しがあったとしか考えられないものがあります。またこの事業を進めていく過程で共に行動した仲間が今までは知らなかった面で色々とつながりがあることを知り縁の深さに驚いたものでした。私たちは大きな力に見守れている。それが実感でした。
…今日は落成のお祝いの日ですが新たな出発の日でもあります。樋口中将から学ぶものは多いと思います。二一世紀、その難しい時代を乗り越えるためには借り物の考え方から脱却して自らが情報に敏感であり、自らが分析をして、自らが考えをまとめて行く。そういう国民でありたいと思います。その第一歩が始まります。
太田住職と平塚市長を務めた吉野・顕彰会共同代表は、太田住職の実家が平塚市のお隣の大磯町とあってかねてからの知り合いだった。龍隠庵は、由緒のある円覚寺の塔頭だが、歴史の変遷の中で、移転を繰り返し、現在の場所に落ち着いた。師の足立大進前円覚寺管長から“命”を受けた太田住職が龍隠庵の再興に向けて、尽力している。足立前管長は太田住職を「今時珍しい坊さんらしい坊さんだ」と評し、絶大な信頼を寄せていた。顕彰碑の建立地が龍隠庵となったのは、吉野・顕彰会共同代表と太田住職の「阿吽の呼吸」で決まったと言っていいだろう。 太田住職 ![]() 龍隠庵の境内は段々になっており、顕彰碑は一番上の段にあるスペースに建立された。この場所には太平洋戦争で大切な存在(恋人)を失った人が、ご縁を感じて寄進した平和観音が安置されている。恋人は学徒出陣で太平洋の藻屑と消えた。平和観音は、太平洋の方向をじっと見詰めている。その眼は慈愛の中に深い悲しみをたたえているように見える。ちなみに仏師は「とげぬき地蔵尊高岩寺」の新しい「洗い観音」の制作者である彫刻家の八柳尚樹さんだ。太田住職はこのエリアを「平和ゾーン」と位置付けた。
![]() 除幕式では太田住職らによって平和観音に般若心経、観音経、回向文が奉納された ![]() ![]() ![]() 吉野・顕彰会共同代表の挨拶に「作業開始以来二年有余、様々な課題が持ち上がりました」とあるが、その中の一つが昨年9月24日の龍隠庵の裏山の)枯れた楢(ナラ)の根の下の表土が崩落し、境内が土砂で埋まった。このため、この年の11月に予定されていた顕彰碑建立は翌年の2月以降への先送りを余儀なくされた。
北鎌倉湧水ネットワークと龍隠庵のご縁は2009年6月7日、「ガイドブックに載らない北鎌倉の神々」の取り扱いを太田住職が了承してくれた時から始まった。以来、龍隠庵再興の一助になればと考え、時々、裏山の手入れのお手伝いをしている、境内に堆積した表土の撤去作業にも一日にでも早く顕彰碑が建立されることを願ってささやか協力をした。新たに誕生した「平和ゾーン」から平和の祈りが発信されると同時に、「平和ゾーン」の創設が龍隠庵再興のおおきなステップとなることを期待している。
産経新聞(2023・5・18) ![]() 神奈川新聞(2023・5・25) ![]()
by kitakamayunet
| 2023-05-30 13:33
| 現代に生きる禅の精神
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