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北鎌倉はかつて、建長寺と円覚寺の門前町として栄えた。このことが現在の街並みや、日々の暮らしにも色濃く反映され、それが北鎌倉らしさを「演出」している。門前町・北鎌倉の礎を築いたのが、荒井茂さんが会長をしている荒井石材店のご先祖様だ。ご先祖様は、鎌倉時代後半、円覚寺の開山、無学祖元禅師が中国から日本に渡ってきたときに同行してきた。この時のメンバーは約10人で、臨済禅の教えと一緒に中国の先進的な文化や技術を日本に持ち込んだ。以来、ご先祖様は植木屋を営む一方で、円覚寺の行者(あんじゃ、禅寺で種々の雑用を勤める者)として、代々北鎌倉で暮らしてきた。父親の代となって分家し、石材業を営むようになった。円覚寺の墓地を作ったり、境内の石垣の工事を請け負うなど今なお、円覚寺との絆は深い。荒井石材店の場所は、円覚寺や東慶寺のすぐ近くの鎌倉街道沿いにある。 【荒井石材店】 住所 鎌倉市山ノ内397 電話 0467-22-5346 歴代の円覚寺の管長さんに喜んでもらえていることが一番嬉しい 荒井茂さんが、石材業の道に入ったのは13歳の時だ。この道一筋で早、半世紀が過ぎた。モットーは「お客様に気に入ってもらえるよう、とことん努力する」。根気が要るし、かつ地味な仕事だ。「仕事の喜びは」と聞くと、すかさず次の答えが返ってきた。「先祖代々やってきたことが、歴代の円覚寺の管長さんに喜んでもらえている。このことが一番嬉しい」。「行者の血」が、脈々と流れているようだ。そういうわけで、円覚寺を含めたお寺絡みの催し物には欠かせない北鎌倉の「顔」となっている。例えば八雲神社の例大祭、円覚寺の除夜の鐘と盆踊り。そして、北鎌倉の匠の市では、地ビール「北鎌倉の恵み」など、シリーズ商品の上得意客でもある。 神仏習合の世界を堪能!山ノ内八雲神社例大祭7・23(上) 会者定離、でもまた来年!山ノ内八雲神社例大祭7・23(下) ![]() ![]() 円覚寺の除夜の鐘は77組目!いい年になりそうな予感が ![]() ![]() 腹に響いた太鼓の音:夏の風物詩「06・円覚寺盆踊り大会」 ![]() 【門前町・北鎌倉】(北鎌倉まちづくり協議会HPより抜粋) 木村彦三郎氏の労作『鎌倉の門前町調査報告 その二 山ノ内門前町関係』より 『後北条氏の滅亡後関東の領主になった徳川氏は、寺社領の整備を行い、各地に分散していた寺社領を、その寺社に近いところに寄せる方針をとった。山ノ内の大部分が円覚寺領となり、建長寺は小町と十二所に寺領をもち、東慶寺は十二所、二階堂に寺領を有ち、浄智寺は山ノ内に寺領をもつようになった。(5) 山ノ内は、建長寺、円覚寺の門前が南北に貫かれた道の両側に発達し、東慶寺、浄智寺の門前に僅かの領民が住んでいた。したがって、山ノ内の門前町は円覚寺、建長寺に集中していたといってもよい。そのなかで円覚寺の寺領は山ノ内全域にわたるが、円覚寺門前は上町から下町までの高持百姓七十数軒と店借、地借二十軒ほど、小作百姓十軒ほどから成り、建長寺門前には寺領百姓はないが、居屋敷をもち建長寺の御用を達す三十数軒があり、山ノ内はこれらを合せた住民から成っていた…(6) 十三世紀校半に建長寺の創建からはじまり、臨済禅の大伽藍が、山ノ内に相ついで建てられ、その建設に従事した諸職人や、寺院の経営に参加した俗人、半俗人、たとえば行者、目代、門番のような人たちは、境内に住まず門前に所帯をはったといわれている。そうした人たちの子孫が現在でも建長寺や円覚寺門前に住んでいる。(6) …円覚寺領の百姓の密度は、零細ともいえる。この数字だけで円覚寺領民を量ることはできない。円覚寺領民は円覚寺門前町という、町場的な経済に支えられている点が、前記の純農村型とはちがっている。…住民構成から見ると、円覚寺創設以来の工匠、行者をはじめ、寺役人(目代とよばれる)、典医(寺抱えの医者)など、寺から直接扶持をもらって生活している家や、紺屋、鍛冶、木挽、石工、桶屋、佛師、畳屋、塗職、屋根職、武具などの諸職人。紙屋、糸屋、扇屋、釘屋、炭屋、板屋、ろうそく屋などの商人。酒屋、醤油屋、糀屋、餅屋、菓子屋、油屋、豆腐屋などの食料品。湯屋、旅篭、小料理店などの接客業、質商(四軒もあった)、金融業などがあったことが、記録からうかがえる。このように円覚寺門前町は、領民が兼業としてなり立つ仕組みによって支えられていた。鎌倉のうちでもこれほど、商人、諸職人、接客業、質屋などが集まっていた村は、江戸時代にはなかった。(11-12)。』
by kitakamayunet
| 2006-11-07 17:26
| 個性派ショップの優れもの
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