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風致公園として6月にも事業認可:台峯を歩く100回記念:中 ![]() ▽「広告塔になって下さい」 ![]() こちらは図々しい。「広告塔になって下さい」とさらに欲張った要望をした。「もう歳なので、そうなることができますかね」となださんは苦笑いをされたが、以後、なださんは北鎌倉台峯トラストの「顔」となり、台峯保全のために奮闘された。 ▽「ひどい目に遭ったことがある」 ![]() そこで川上さんにお願いした。しかし、川上さんは「わたしは嫌だ。昔、この種の運動に関わってひどい目に遭ったことがある」 と拒否された。古い土地柄である。しがらみがあることが理解できた。 ▽「生涯一記者」、自分の生き方はこれだ! しかし、川上克己さんとの縁はこれで切れることはなかった。この間の事情を第3回団塊サミットin丹沢で詳しく話した。下記の文章に登場する「40年近く台峯の自然を撮り続けている市民」が川上さんである。川上さんは昭和13年2月4日生まれ。台に生まれ台に暮らす。15歳から働き、ためたお金でカメラを買う。以来、五十年以上、台峯の暮らしと自然と撮り続けてきた。その写真を機関誌「北鎌倉の風」に提供してくれた。そして、この日晴れて、台峯を歩く100回記念のガイドを務めた。 *第3回団塊サミットin丹沢での発言 ![]() ジャーナリズムの世界に入った自分が本当にやりたかったことは、なんだったのか。一足早い地域デビューは、このことを自らに対し、問い直す機会となった。団体の名称、規約、シンボルマーク、チラシづくり、メディアへの対応、イベントの開催、機関誌の創刊など、台峯トラストの広報担当として、マスコミの世界で培ってきたノウハウをフル投入した。 機関誌第2号で、写真を使用し、台峯緑地にはいかに貴重な生態系が残っているかをアピールしたかった。40年近く台峯の自然を撮り続けている市民がいることを知った。地権者との関係などから、名前を出さないことを条件に、彼は機関誌への写真の掲載を快諾してくれた。 機関誌が完成したので、まっ先に彼に届けた。「お父さん良かったね」。奥さんが労いの言葉をかけると、彼は「嬉しい」と男泣きをした。機関誌の発行部数はわずか2000部。メディアの世界では、ビッグニュースを書けば、一瞬にして何千万人の人々に伝わる。 例え、少数意見でも、大切だと思うことを伝えたくて、ジャーナリストを目指した。機関誌は部数が少なくとも貴重な記録として残され、後生に伝わる。マスメディアの世界だけが、ジャーナリズムの世界ではない。伝えるルート、手段はいくらでもある。『生涯一記者』。自分の生き方はこれだ!この瞬間、そう心に決めた。 ▽総合学習を意識した「北鎌倉の風」第4号 ![]() 「命育む台峯にあそび、まなぶ」という特集を組み、この緑地の自然の素晴らしさと自然と人の暮らしのかかわりの歴史について触れてみた。 編集後記には次のように書いた。参考までに要約を添付する。 ◎願わくは総合学習の副教材に(要旨) 私たちが保全しようとしている台峯緑地は、面積がわずか27ヘクタールしかない「小さな谷戸」である。しかし、この「小さな谷戸」にはかけがえのない多種多様な生きものが、育まれている。ある意味では「小さな宇宙」ともいっていいだろう。 近代文明の目まぐるしい発展によって、私たちはともすれば季節感を喪失してしまった感がある。ところが台峯を訪れることによって「春・夏・秋・冬」という四季の移ろいを、驚くほぼ鮮明に感じ取ることができる。例えば寒風が肌を突き刺す2月。じっと目を凝らさなければ見逃してしまうほどひっそりと花開くウグイスカグラが、真っ先に谷戸の春の訪れを告げてくれる。 「小さな谷戸」は生き物たちを育む場所ではあるが、一方で熾烈な生存競争が繰り広げられる場所でもある。食物連鎖の頂点に立つ猛禽類の「タカ族」の行動を観察するとそれがよく分かる。ノスリの「狩り」は鋭い。100メートル以上の天空から、翼をたたみ、時速100キロもの超スピードで垂直に下降し、獲物をゲットする。「まるで弾丸のよう」。実際にその様を見た人は言う。 北鎌倉台峯トラストのシンボルマークとなっているオオタカが出現すると、山の空気は一変する。生き物たちは一斉に身構え、ざわざわとした緊張が走る。命をかけた熾烈なドラマの幕開けである。後日、オオタカの餌食となったヤマバトの羽の散乱に、その痕跡がとどめられることになる。 第4号は、台峯を歩く際のガイドブックの役割は、十分果たせると思う。さらにいうと欲張り過ぎかもしれないが、教育関係者の皆さんには、この機関誌を総合学習の副教材に活用していただければという淡い期待を持っている。例えそうならなくても、多くの方々が「北鎌倉の風」を手にして、実際に台峯を歩き、台峯の魅力に触れてさえいただければ、編集担当者としては望外の喜びである。 ▽さあ、川上さんのガイドで台峯へ出発だ! 昔は幅90センチメートルくらいの谷戸だった。 ![]() かつては台峯は里山として手入れされていたので、竹やぶがなかった。この先の緑地へ竹を取りに行った。エンドウやインゲンの支柱にするためにね。 ![]() ここから下が茅山だった。 ![]() 北鎌倉女子学園のグランドの上で、「昔はこの辺は段々畑だった」と川上さんは言った。 ![]() ![]() 「この葉っぱはニッキだよ。辛いよ」 ![]() 前は畑、それから先が水田だった。 ![]() ![]() 台峯の象徴ハンノキ ![]() 「棚田が上まで続いていた。夜、ドジョウぶち(わたしの故郷では「ドジョウ叩き」という。灯りをつけて、ドジョウを獲る)をした。この辺はツリガネソウが群生していて奇麗だった」 ![]() この下が水田だった。 ![]() かつては水田だったが、今は乾燥化が進んでいる。 ![]() ウグイスカズラは、台峯緑地の木陰にひっそりと咲いていた。ジッと目を凝らさないと見過ごしてしまうほど小さな野に咲く花である。台峯緑地では、春が来ると最初に咲き、春の訪れを告げてくれる。 ![]()
by kitakamayunet
| 2007-02-23 12:40
| 台峯&マンション問題
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