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「市民編集長座談会」でワイドに再スタート!:団塊探偵団 ![]() 帰りなん、いざ古里へ 培ってきたノウハウを投入 レヴィンの詩が導き役に 団塊サミットの提言を実践 いよいよ、団塊の世代がもそもそと動きだしたか―。二〇〇四年の初めに「時代の風」が吹き始めたことを直感した。「ガキ大将先生になるつもりだ。廃校となった小学校をリニューアルし、宿泊可能な研修設備を作った。ここで、若い世代に失敗体験をすることで、いろいろ学んでもらいたい」。こう言い残して、友人の小林正美「樹庵」社長は、定年前に全国大学生協同組合連合会専務理事の要職を捨て、古里の岐阜県へ帰った。 神奈川県・葉山町の工房杢代表の牛嶋保夫さんは「わたしも樹を植えたい、それは木工屋をやっていて、随分と樹を切って生活の糧にしてきた。だから、せいぜい使った分の何分の一かでも樹を植えたい」と考え、国産材の積極活用と植林運動を展開するために「木文化再生友の会」を立ち上げた。 ほぼ同時期に、丹沢を第二の古里と考え、耕作放棄された棚田の復元に汗を流している片桐務・NPO法人自然塾丹沢ドン会専務理事から、シンポジウムの基調講演の講師の依頼があった。シンポジウムのタイトルは「自然を創る、自然を食べる」-週末のら人がつくる食の安全と地域再生-」。 三人はいずれも団塊世代。夢や志を共有できるわたしの大切な友人だ。「二〇〇七年」まで残り三年を切った。定年は他人事でなく、自分自身のことになった。自分本来の居場所探し、言い換えれば自分自身の根っこ探しが必要になったのだ。 後継者不在で、耕作放棄された古里(千葉県香取郡東庄町)の田畑の風景と、中国の漢詩人、陶淵明の永遠の名詩「帰りなんいざ、田園まさに蕪れなんとす。なんぞ帰らざる」が、私の頭の中をぐるぐると交錯した。 かくして「団塊世代よ、帰りなん、いざ古里へ!―セカンドライフの一つの選択肢―」という第一回団塊サミットの構想がごく自然に浮かんで来た。開催場所は北鎌倉・建長寺を想定した。当時、「二〇〇七年問題」は今ほど認知されていなかった。「この会場なら参加したい」との動機付けが必要と判断した。 第一回団塊サミットでわたしは「仕事を通じて培ってきたかけがえのないノウハウがあるはずだ。一つの選択肢として、そのノウハウを会社内部だけでなく古里の活性化のために使ってみてはどうか。古里の定義は、実際の古里に限定するのではなく、第二の古里、あるいはお気に入りの地域、大切に思う場所というふうに拡大して考えたい」と提案した。 なぜ団塊サミットとネーミングしたか。理由は二つ。一つはギャグ。もう一つは、元々個人は一人一人が独立しており、「親分」であるからだ。でも、組織に入れば、格付けされて、「親分」ではなくなる。しかし、リタイアすれば、全員が「親分」に戻る。「親分」同士が、一堂に会し、これからの生き方を話し合おう。そんな思いが込められている。 第一回団塊サミットの志は、小林さんと片桐さんの二人が継いでくれた。小林さんは〇五年に「団塊世代よ、帰りなんいざ『古里』へ!第2回団塊サミットin岐阜『提案から実践への確実な第一歩』」を主催。片桐さんは〇六年、「第3回団塊サミットin丹沢 団塊パワーで地域創造を!団塊世代よ、帰りなん『古里』へ!~一人ひとりの居場所づくりと地域デビュー~」を主催した。 〇七年から団塊サミットは「第四回」と銘打つようなスタイルでの開催は必要がなくなった。理由は日本各地で、それぞれの地域の特長を生かした実践型の団塊サミットの発想を盛り込んだ集まりの開催が確実になったからだ。 例えば「NPOなんでもサポートセンター岐阜」は、団塊世代の地域デビューをサポートする「団塊世代塾」の経験を生かし、〇七年の二月と三月に連続して「団塊世代サミットin岐阜」を開催した。大分、新潟、栃木県からもそれぞれの県での団塊サミットの開催を念頭においた関係者が、丹沢に足を運んだ。 来年七月に定年を迎えるわたし自身は、鎌倉団塊プロジェクト実行委員会の一員として、「二〇〇七年問題」解決に向けて引き続き活動していく。そして三十年以上、メディアの世界で培ってきたそのノウハウのすべてを故郷の再生のために提供する覚悟だ。 古里へはレヴィンが導いてくれた。レヴィンは、交通事故により二十六歳の若さで亡くなった同郷の無名の詩人、高木昌宣さんのハンドルネーム。彼は二百近くの詩やエッセイをホームページに遺していた。遺作が、詩集「レヴィンの系譜」として出版された。私はこの出版のお手伝いし、古里との関係が深まった。レヴィンの遺作には、今の日本に必要なメッセージがぎっしりと詰まっている。そのメッセージとは、他者へのいたわりであり、思いやりだ。おれがおれがというエゴがまん延、日本が壊れようとしている。レヴィンは日本の危機的な状況に警鐘を鳴らしている。 「『レヴィンの系譜』を東庄町の文化財と位置付け、町の活性化に役立たせてはどうか」。古里の関係者に「レヴィン文化財プロジェクト」の立ち上げを提案し、賛同を得た。第一歩が昨年五月、東庄町公民館で開催された「レヴィン追悼コンサートin東庄」だ。今年も五月に「2007・レヴィン文化財プロジェクト『シンポジウム&コンサート』水の里 風ろまん~文化の里・東庄の魅力を再発見~」が東庄町役場で開催され、この場で来年のイベント開催が約束された。「レヴィン文化財プロジェクト」の成就に力を尽くす―。これが「団塊世代よ、帰りなん、いざ古里へ!」という自らの提案に対する答えである。 (北鎌倉湧水ネットワーク代表 野口 稔) *写真説明 ①第1回団塊サミットの受付風景¬=04年12月11日、北鎌倉・建長寺(撮影・島村国治さん) ②2007・レヴィン文化財プロジェクトのシンポジウム「レヴィンが伝えたかったこと」=07年5月13日、千葉県・東庄町役場多目的ホール
by kitakamayunet
| 2007-06-03 18:25
| 団塊探偵団(神奈川新聞)
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