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無名人からの伝言―野口初太郎不屈の人生―(12) 取材ノート(13) 【東京府時代】 初任地は忘れられない人生、第二の出発地点に 勇気の裏付けに放浪時代の柔道鍛錬 主任技師の忠告を受け、土木学の習得を決心 東京市区改正局工務課への採用決定 身分は臨時職とはいえ、初太郎は東京府内務部土木課に就職、遂に念願の自立を果たした。最初の赴任先は、東京府土木課八王子区管内の南多摩郡日野町多摩川堤防復旧工事現場だった。在籍期間は約1年。短期では会ったが初太郎にとっては人生、第二の出発地点となる忘れられない土地となる。 赴任した夜、旅館で歓迎のための酒席が設けられた。しかし、ここで“寒い”思いをする。酒癖の悪い工事場の主任技師が、初太郎を土木課が送り込んだ工事の監視役を兼ねたスパイと思い込み、さんざん当り散らした。「わたしは丁稚奉公時代時代を除いて初めて一人旅に出たのであるが、初めからこのような場面にぶつかり、また寒気も強かったので震え上がっていた」 それから数日後、旅館暮らしを止めて、玉川亭という鮎料理屋の二階の部屋に下宿することになった。玉川亭は多摩川の渡船場にあり、工事現場からは約千メートル離れていた。玉川亭の男主人は労働者の顔役で砂利採取業を営んでおり、ほとんど玉川亭には寄り付かなかった。男主人の義母でお徳さんという名の五十代の女将がいた。男勝りで侠気の持ち主だった。初太郎はこの女将に気に入られ、息子のように愛された。「鮎漁の時期には朝晩鮎料理ばかりで、お汁にまで鮎が入っていた」 仕事の中身は水害で崩壊した堤防の復旧工事の監督。三、四人の同僚と四、五十人の労働者がいた。ある時、工事の施工量の縮小に伴って、十数人の労働者を解雇した。解雇された労働者十数人が怒って、事務所を集団で襲撃し、職員に暴行を加えそうな雲行きになった。人里から離れており、付近に人家はない。「職員は事務所に閉じ込められ、青くなって震えていた。わたしは勇気を振るい、救援を玉川亭に求めんと一人、事務所を脱出した。松林の山道を歩いて玉川亭の方向に急いだ。背後から労働者が二、三人付いてきたが、玉川亭に着くころには追跡者も消えていた」 女将に報告したら、玉川亭の使用人が現場に行き、労働者を説得して解散させた。そのうち警官も到着し、騒動は一人の負傷者を出さずに無事に決着した。「自分にこの勇気を出させたのはもちろん、玉川亭の後ろ盾もあったが、(放浪時代の)柔道鍛錬の賜物であると考える」。人生、無駄なことはない。その後大雨で多摩川が大増水した際、工事場の保護のために舟で見回っている最中に、誤って川の中に振り落とされて死に直面することもあったが、徐々に仕事に慣れていった。 赴任の夜の酒席で初太郎を震え上がらせた主任技師は、普段は好人物で、初太郎を信頼して大変、可愛がってくれた。その主任技師が北海道へ転勤することになった。主任技師は「北海道は住みよいところだ。君も来たらどうか。希望しないで内地に残るならば、このままではもったいない。土木の学校に入って勉強したほうがいい」と懇ろに忠告した。大志を抱いて初太郎は上京した。しかし、まず食うための職に就かねばならないと考え、と土木課に籍を置いている。しかし、このままでは、勉学が不可能だ。主任技師の忠告が心に染みた。初太郎は土木学の習得を決心した。 女将にこの決心を伝えた。女将は大賛成し、懇意にしている当時の政友会の重鎮で、政界の名物男かつ三多磨の大親分である森久保作蔵に、初太郎の支援を要請した。作蔵は快諾し、さっそく当時、東京市助役だった原田十衛に紹介状を書いてくれた。東京・青山の原田邸を訪ね、事情を説明したら、間もなく東京市の市区改正局工務課への採用が決まった。「東京府には在職約一カ年だったが、わたしにとっては忘れられない思い出が多い期間だった」 依頼工事雇ヲ免ス 明治四十二年二月四日 東京府内務部土木課
by kitakamayunet
| 2007-08-30 12:31
| 無名人からの伝言
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