カテゴリ
全体 花の里山六国見山(設立25周年企画) プロフィール 会則 里山再生は究極のSDGs 速報 講演・寄稿・メディア シリーズ・団塊世代 春夏秋冬 レヴィン文化財プロジェクト 無名人からの伝言 式年東大社銚子御神幸祭 シリーズ「里山ってなんだ!」 鎌倉の美しい里山継承PJ 東庄と鎌倉 鎌倉の世界遺産登録 ガイドブック・プロジェクト 東日本大震災 鎌倉団塊プロジェクト 団塊探偵団(神奈川新聞) 唯我独尊(コラム) 現代に生きる禅の精神 野口農園 交遊録 台峯&マンション問題 インターネット新聞JANJAN Yahoo!セカンドライフ 大船観音前マンション建設 洞門山宅地開発問題 北鎌倉テニスコート築造問題 北鎌倉の恵みプロジェクト 個性派ショップの優れもの BOOK mixi入口 イベント案内 北鎌倉匠の市・展 イベント月別一覧 リンク 北鎌倉グルメ散策 北鎌倉でお買い物 男の料理教室 璃史写真館(非公開) 発見!体験!もう一つの鎌倉 六国見山日照権伐採 「元治苑」にマンション建設 璃史&七緒(非公開) 里山・六国見山と生物多様性 未分類 タグ
六国見山
里山再生
有機無農薬栽培
循環資源
循環農法
円覚寺裏山
北鎌倉
円覚寺
鎌倉アジサイ同好会
まちむら交流きこう
里山
森林・山村多面的機能発揮対策交付金
間伐材
夫婦桜
新型コロナウイルス
ヤマザクラ
地ビール
日本さくらの会
台風15号と19号
ヒノキの器
以前の記事
お気に入りブログ
最新のコメント
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
無名人からの伝言―野口初太郎不屈の人生―(15) 取材ノート(16) 【千葉県時代】(2) <関東大震災> *関東大震災 一九二三年(大正十二年)九月一日の午前十一時五十八分四十四秒に、伊豆大島、相模湾を震源として発生した直下型の大地震(関東地震)による災害。東京都・神奈川県・千葉県・静岡県の南関東地方の広い範囲に大きな被害をもたらした。約百九十万人が被災、十万五千人が死亡(あるいは行方不明)した。地震の揺れによる建物倒壊などの圧死があったが、強風を伴なった火災による死傷者が多くを占めた。 大正十二年九月一日の正午に近いころ、強い地震があった。わたしは家にいたが外出して山の上から見たら東京湾をまたいで東京、横浜方面から火の手が上がるのが見えたが、どこか不明で大火災らしく思われた。そのうちに空から紙片が飛んできた。それは家計簿の一片であるが東京からであることが判明した。鶴舞台から見ているとだんだん大きく広がり、黒雲がこの台地を覆うようになってきた。そうしているうちに東京全市が火の海になったと聞いた。家には病気の妻と二人の幼児がおり、心配ではあるが東京の妻の実家はいかになりしや、急行せねばならぬと近所の酒店、米屋、家主などに留守を頼み自転車で出かけることにした。 まず県の許可を得るべく千葉へ行った。県庁に着いたら庁内は全部野外に疎開していた。ほとんど人気がなく、天井や礎など亀裂があり、深閑としていた。野外の耕地課の集まりに出会い、事情を話し、許可を得んとしたら「東京へ行っても混乱しており、駄目だ。出かけないでくれ」と同意されなかった。しかし、「よいところに来てくれた。今県は東京へ食料の米を送らねばならないので画策中である。東京行きは止めて米買いをやってくれ」と言われた。 とんでもないことになった。東京の父や母のことも心配だが公人であるわたしは私情を捨てねばならぬと東京行きを断念した。そして市原郡山間部と長生郡方面の買出しを引き受けてそのまま自転車で長生郡茂原町まで引き返すことにした。途中、一般の人も目の色を変え、右往左往していた。長生郡役所へ行き米穀の係りや農協関係者と打ち合わせをして農家を駆け回ることにした。 一方、朝鮮人が謀反を起こして大殺劇を演じ、他数の人が殺されたとか、郡内でも朝鮮人が暴動を起こし、どこそこで人が殺されるなどいうデマが飛んだ。人心は恐々としていたが、自分の家は見回ることができないまま、米の買い上げに奔走した。東京では握り飯一つが何円だとか言って、農科の者は強気に出ていた。それなのに代金後払いで買おうとするのであるから、農家へ当たっても困難で、価格は定めずに高価になったらその時の相場で支払うからと説得して買い上げを行い、どんどん東京へ送った。 数日過ぎ、一応静かになってから出京して父母の家へ行ってみたら幸い家は焼け残っていて皆も無事だったので安心した。父母はこのような場合、第一番に駆けつけるべきわたしが来なかったので、わたしの家の方が災害を受けたのではないかと心配していたという。市内にはまだ焼け爛れた死体がそのまま転がしてあるのを見て驚いた。 鶴舞町は丘陵地帯で地震の被害は少なかったが牛久をはじめ養老川沿岸は沖積層の軟弱な地盤であるため軒並み倒壊していた。わたしはその後ある期間を経て、安房郡内の震災被害状況調査のため十数日、同郡内の各地を自転車で駆け回ったが、住宅はもちろん田畑の隆起陥没がいたるところで起きており、いまさらながら被害の大きさに驚いた。視察状況は県の方へ報告したがお陰で房州一円を見物したことになった。幸い実家の銚子方面は住家の壁の亀裂ができたくらいのことで大きな被害がなかったのは幸いである。
by kitakamayunet
| 2007-09-07 23:31
| 無名人からの伝言
|
Trackback(1)
|
Comments(0)
![]()
タイトル : 無名人からの伝言―野口初太郎不屈の人生―(17)
無名人からの伝言―野口初太郎不屈の人生―(16) 取材ノート(17) 【千葉県時代】(3) 干潟耕地改良工事の大命下る 薬石効なく妻すず子が永眠 大正十三年度(?)より政府は食料増産の目的で用排水幹線改良事業の補助規則を設定した。本県は県下十河川の改良工事を計画したが、そのうちの干潟耕地の排水幹線の新川は他の二、三の河川とともに初年度に選ばれた。わたしが前の基本調査を行った関係からか、着工前十数日間、干潟地区へ派遣され、関係十数カ町村にわたって新川改修によって得られる利益の程度を調査した。...... more
|
ファン申請 |
||