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無名人からの伝言―野口初太郎不屈の人生―(18) 取材ノート(19) 福聚寺で物故者を偲ぶ56回目の法要を取材 使命感があるからこそ、やり遂げることが出来た 課題は施設の維持管理と農業の担い手の確保 ![]() 野口初太郎先生賛歌 荒川 法勝 大地の彼方から大河の流れが響いてくる 森や丘を越えて その流れから総の国の天地が広がる 遠い日の椿の沼の神話 父が語った水の音を 鉄牛禅師の干潟八万石 その語りを受け継いだ人よ ああ 今その水の流れを この目に この耳に この心に伝えた 大利根用水事業の偉大なる父よ 黙々とその身を賭し 生涯を九十九里の利水に捧げた われらの敬愛する野口初太郎技師 失われた大地を蘇らせ 太陽に輝く豊穣な水田とした その穂はきのうの流れを 今日に受け明日に向かう生命のように 永遠に伝えられるであろう 人の世の力強い意志として 聞くがいい その疎水の流れの音を 沃野を渡る爽やか風のままに ふるさとめぐり 史跡をたずねて(干潟土地改良区だより第41号より) 大利根用水事業の功労者 野口初太郎翁頌徳碑 ![]() ![]() ![]() 9月26日、わが故郷の千葉県香取郡東庄町にある福聚寺で開催された千葉県有数の大水田地帯の干潟耕地の開発に関わった多くの人々を偲ぶ法要を取材した。この法要は昭和27年に設立された大利根用水の維持管理とその受益地区の土地改良を担っている千葉県干潟土地改良区の初代理事長の発案によって、スタートし、今年で56回目を迎えた。事前に干潟土地改良区に法要の写真撮影、初太郎の功績、大利根用水の現状と今後の課題をテーマにした菅谷健一理事長へのインタビューをお願いし、快諾を得ていた。 ![]() ![]() ![]() 「昭和に入っても水不足は解消されず、十八カ村の村長がどうしても水が必要との意見で一致した。初太郎は初太郎で、計画の実現に向けて準備を進めていた。昭和八年に再び、大旱魃が発生した。これを契機に大利根用水の構想は具体化し、昭和十年着工した。東城小学校で起工式が行われたが、大反対の集会も開かれた。起工式は地元警察官だけでなく、近隣の警察官も動員された。大事業だっただけに地元の同意を得るのは大変なことで、賛成と反対が相半ばだった。物資も不足、資金も不足していたので筆舌に尽くしがたい難工事だったと思う。使命感があるからこそ、やり遂げることが出来たのではないか」 「反対は運動ではなく闘争だった。利害と政争が絡み、凄まじいものがあった。事業資金は借金に頼らざるを得なかった。賛成する気になった村長も保証人の判を押すとなると逡巡した。家族や親戚から『完成するかどうかわからない事業に手を貸したら、財産を無くしてしまう』と猛反対されたからだ。わたしの祖父は当時、万歳村の村長で初太郎の協力者だった。わたしは小学生で、足繁く通ってきた初太郎の姿を鮮明に覚えている。痩せ型でひげをはやし、地下足袋を履き、足にゲートルを巻いていた」 「大旱魃が発生した昭和十五年に大幹線用水路が完成し、万歳村などの水田に利根川の水が送られた。これを機に、一気に賛成者の数が増え、事業は進展した。昭和二十五年に東幹線水路、翌年の二十六年には西幹線水路が完成した。この間、初太郎は寝食を忘れて指導、監督に当たった。心労は相当なものだったはず。利根川の水を汲み上げるポンプは三台あったが、水路の堤防が決壊してしまう事故が起き、二台しか稼動できなかった。さまざまな障害を乗り越え、昭和四十五年に大利根用水事業は県営から国営になり、平成五年に完成した」 「この夏の台風襲来で一日に二百五十五ミリも雨が降った。これまでそういうケースはなかった。もし、排水機能を備えた新川と大利根用水が完成していなければ干潟耕地は排水できず、冠水してしまい、大きな被害を受けたはず。しかし、排水は順調で、被害は出なかった。これも鉄牛禅師、それに続く物故者のお陰である。このことを銘記し、この地に根付いた歴史・文化を後世に伝えていきたい」 「これからの課題は施設の維持管理と農業の担い手の確保である。施設の老朽化に関しては早め早めに対応していきたい。農業の担い手の確保のために推進しているのが大区画化と米だけでなく野菜も栽培可能な農地作りを柱とした『広域農業基盤緊急基盤整備』だ。大区画化では点在する農地を集落単位に集約し、農業経営の効率化を図りたい。基盤整備に関して、『できなかったらどうするつもりだ』と反対される。しかし、その時は初太郎や祖父のことをお思い浮かべ『必要なものは必要だ。最後の責任はおれが取る。心配するな』と相手を説得する」 「『あんたのお祖父さんはいいことしてくれた』と言われる時、祖父のありがたみを感じる。食料不足の時代が迫っている。この地域は大消費地に近く、気候も温暖だし、道路も整備されている。日本の平均レベルよりも農家の保有する農地の規模が大きい。ここで農業が継続できなければ日本の農業は壊滅してしまうだろう。自信を持って整備促進事業を完成させたい」 *参考(新・田舎人フォーラム・全国水土里ネットホームページより ) 全国 水土里ネットニュース2004/11/10 干拓地生みの親ゆかりの地で続く、新田開発に関わった人々の御霊への法要 土地改良区に縁ある関係者が集まり新田開発に関わった多くの人々の御霊に対し法要を営む 当水土里ネット干潟4000haの管内は、江戸實文年間に干拓によって誕生した耕地である。古くは椿湖(つばきのみずうみ)の新田開発により、干潟耕地生みの親として知られる鉄牛禅師(1628~1700)が、干拓の功績で寄進された福聚寺で過ごし墓地のある終焉の地であることから、当水土里ネット干潟では毎年秋季彼岸になると、歴代管理者理事長等々土地改良区に縁ある関係者が集まり、新田開発に関わった多くの人々の御霊に対し、福聚寺本殿に於いて法要が営まれている。この由来は、千葉県干潟土地改良区昭和27年設立初代理事長の発案によって、昔を偲んで職員を一同に介し、懇親の場を設けたのがそもそもの始まりで、本年で53回目を迎える。 法要が終わった後、干潟土地改良区の事務所で石毛建則事務局長から整備促進事業の資料をいただくとともに大利根用水事業の補足説明を受けた。要旨は次の通りだ。 「コメが実るには稲穂が出るときに水が必要だ。今年は三月から八月まで利根川から七千五百万トンの水をくみ上げた。八月は日照りが続いたけれども豊作だった。もし大利根用水がなかったら収穫は望めなかっただろう。大利根用水には隧道がたくさんあるから、隧道工事に伴う事故も発生した。戦争中の工事で物資が不足し、堤防も用水を持ちこたえられずに決壊した。当時の関係者の苦労が容易に想像できる。幹線水路延長112キロメートルと日本最大級の愛知用水のモデルは両総用水と言われている。『初太郎が言うように、大利根用水は両総用排水の父たる兄たるもの』であるならば、大利根用水の意義は非常に大きい」 ![]() ![]() ![]() 全国 水土里ネットニュース 2004/10/19 水土里ネットの役員、総代、職員による上流ダム群の水源状況を視察 最下流部に位置する干潟土地改良区が、利根川上流ダム群を見学 8月3日、4日、千葉県の水土里ネット干潟主催により、干潟土地改良区役員(理事・監事)、総代、職員による県外視察を実施した。利根川を水源として農業用水(大利根用水)を取水し、最下流部に位置する当改良区にとり、利根川上流ダム群の水源状況については大変関心のあるところであり、強行日程ではあったが、当たり前の様に取水している農業用水が如何に大切な水か、改めて考えて戴くためにも、利根川上流ダム群の水事情と運用並びに利根大堰の概要と維持管理状況について、具に見学・視察研修を行った。併せて、有意義の内に役員総代職員間の懇親も深めることができた ![]() ![]() ![]() ![]() 九十九里の浜からこの日の宿となる実家に向かう途中、干潟八万石の水田地帯の農業道路に車を止めて夕日を眺めていた。その周辺は大区画化が完了していた。農作業をしていたお百姓さんに「田んぼの広さはどれ位?」と聞いたところ「ここは七反だけど一町二反の田んぼもあるよ」という答が返ってきた。本当に広い。まるで北海道にいるような錯覚を覚えた。もし、初太郎が自らの人生をかけて大利根用水事業を完成させなかったら、この大規模で豊穣な水田地帯は存在していない。そう思うと胸が熱くなってきた。「初太郎の思いを多くの人に分かってもらえる本が書けますように」。夕日に向かってそう祈った。 この地に根付いた歴史・文化を後世に伝えていきたい!(干潟耕地と夕陽) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]()
by kitakamayunet
| 2007-09-28 12:16
| 無名人からの伝言
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Comments(3)
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タイトル : 重なり合った初太郎とレヴィン、そして大分も
無名人からの伝言―野口初太郎不屈の人生―(19) いただいた本の序文への寄稿者の名前を見てぎくりとした。本のタイトルは「ニンジンから宇宙へ よみがえる母なる大地」(赤峰勝人著 なずなワールド発行)、寄稿者は「阿部建設株式会社 社長 阿部斐文」。この本は農事組合法人「旭愛農生産組合」(千葉県旭市鎌数1273 電話0479-63-7611)の大松秀雄組合長からいただいた。 いきさつを説明しよう。1月12日、「2008・レヴィン文化財プロジェクト」(文化遺産を生かしてわが町を元気に!-レヴィンと栄邦...... more ![]()
自給率をほとんど持たないこの国。
この広大な農地を決して休耕地としないために、農業、漁業、林業を見直さねばならない時がきたのではないでしょうか。 この地を踏む事ができる事を楽しみにいたしております。
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先人の遺志を多くの人に伝える本を書きたいと思っています。ご協力のほど、よろしくお願いいたします。
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先人の遺志を多くの人に伝える本・期待しています。
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