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無名人からの伝言―野口初太郎不屈の人生―(25) 阿部建設のルーツは大利根用水事業 「創業当初の最も良き体験」と阿部斐文氏 二〇〇八年五月十一日、東庄町公民館大ホール(収容四百人)で開催されたレヴィン文化財プロジェクトの第三弾、盧佳世ライブin東庄vol.3「レヴィンとヒデクニからの伝言」は、四百席満席となり、またまた盛況裡に終わった。コンサート前日、コンサート出演者および関係者がはるばる大分からやってきてくれたのでささやかではあるが心のこもった歓迎会が催された。この時、レヴィンのお父さんから「レヴィンが勤務していた阿部建設は大利根用水に関係していたはず」との情報を得た。 五月三十日、阿部建設に事実関係を電話で確認した。電話に出た阿部建設総務部によると「古い話で関係者が亡くなったりし、当時のことを知る人はほぼ皆無。早急に資料を探し、結果をファックスします」と調査を約束してくれた。調査結果はその日のうちに約束どおりファックスで寄せられた。レヴィンのお父さんの言ったことは間違いなかった。阿部建設のルーツは大利根用水事業であり、創業当時から大利根用水に深く関わっていたのだ。 阿部建設と大利根用水事業の関係については、阿部建設の創業者である阿部斐文さんの自叙伝「死生有命(しせいうめい)」(非売品、平成三年十一月発刊)に詳しく書かれていた。自叙伝のタイトル「死生有命」は「人の生死は天命で、人力ではどうすることもできない」という意味で論語に由来する。「死生有命」によれば阿部建設は義兄である名古谷兼吉氏が代表を務めた名古谷組を継承し、創業した。名古谷氏は義侠心に富んだ性格で、道義を重んじ、人道に反する行為を許さない強固な意志の持ち主であったという。 レヴィンの遺族によれば、レヴィンは大手建設会社に就職も可能だったが、「田舎の長男だから」(レヴィン)という理由で、地元では大手の阿部建設に入社した。 【「死生有命」より】 (名古谷兼吉氏は)丹那、清水トンネルの施工実績を買われ、当時大利根用水事業で難工事を極めていた平山隧道の請負人・潤間四郎八氏に懇請され郷里に帰り、入り口側を請け負い施行に当たった。この隧道は潤間組が当時で八万円(現在なら十億円ぐらいか)ほどの損害を蒙ったというから、いかに難工事だったかを推測することができる。 平山隧道後も引き続き大幹線窪之谷隧道、東幹線大友隧道、西幹線大久保隧道、船戸隧道、桜井隧道を同組の下請けとして施行に当たった。元請け工事では昭和十三年、平山の吉田知三氏が個人で施行した揚水トンネルが最初で、その後昭和十八年より西幹線諸徳寺隧道、清和隧道、鏑木開渠(上部を開け放した水路)、香取郡東部用水改良工事の良文隧道工事を手掛けている。 昭和二十年早々より(名古谷兼吉氏は)健康を害したため、医師の診療を受けるようになり、木内先生、渡辺先生、川口先生の手当てを受けたが、無類の酒好きのため一日たりとも杯を離すことなく病状は悪化し、同年千葉大学付属病院で食道癌の手術後、数時間も待たず死亡したという。 昭和二十三年、建設業を志して以来、組織の充実を考え早晩法人化する計画中だったので、一月二十三日、株式会社阿部組(資本金十九万五千円)として発足し、さらに同年十月阿部建設と名称を変更して、個人企業時代の工事と木材、製材、木工業を継承することになった。設立当時の継続工事は、大利根用水清和隧道切り拡げ巻立工事(請負金額一七一万三千円)、同堀之内隧道切り拡げ巻立工事(請負金額一九六万二千円)、同大利根用水災害復旧工事(請負金額一〇万円)の三件でわたしが三十一歳の時だった。 …大利根用水工事のうち、西幹線の香取郡古城村鏑木地先から万力地先に至る開渠工事延長七二〇メートルは昭和十九年から着工していたが、極度の軟弱地盤のため工事が思うように進まず、採算割れを生じ前請負人が工事を放棄してしまったので、中止されたままだった。しかし、政府の食糧増産施策のもと「一日も早く通水せよ」との至上命令で、昭和二十三年当初、開渠工事の一部を着工することになり、私どもも残り工事の一部の一六〇メートルを、災害復旧工事として一〇四万円で請け負うことになった… …大利根用水路は、干潟八万石を取り囲む丘陵地帯の山裾を通って兼田地先(現・東庄町大久保)で東西幹線に分岐されるよう計画されていた関係で、瑞道によって各開渠に接続されていた…素人のわたしにはこの現場が創業当初の最も良き体験だった。特に用地の交渉や災害時の対人関係で、誠意を持ってことに当たればいかなる難問も解決できると、得がたい確固たる信念を得ることができた。 また、あの難工事がなかったら、一般土木工事は易しいもの、儲かるものと、自分の手腕・力量を過信し、以後の経営に重大な齟齬をきたしたのではないかと思う。「災い転じて福となす」。まさに名言である。この鏑木地先の工事は平山隧道工事と共に、開渠工事としては大利根開渠全線のうち最も難工事といわれた。
by kitakamayunet
| 2008-05-31 12:49
| 無名人からの伝言
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タイトル : 無名人からの伝言―野口初太郎不屈の人生―(27)
無名人からの伝言―野口初太郎不屈の人生―(26) 干ばつの被害に苦しむ当時の農民の興味深い雨乞いの風習が「大利根用水事業史上巻」(【参考資料Ⅱ】雨乞思考)に収録されている。 (九十九里平野にある)大網・山辺・瑞穂・本納など、山武・長生にまたがる八カ町村はかつて旱魃に最も苦しみ、雨乞いに関する奇習をもって昔から知られていたのである。旱魃に対しては、雨乞いよりほかに知らなかったこの地方にも、いまや、貯水池が構築され、もはや、水のことでは、誰も泣き言も恨み言も言わなくなった。従って、恐らく、雨乞いに関す...... more
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