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あの岡本太郎が絶賛した万冶の石仏:信州秋の旅③ ![]() 大規模な山岳ルートである立山黒部アルペンルート(長野県の扇沢駅~富山県の立山駅)は、自然保護のため、普通の自動車の乗り入れは禁止されている。扇沢駅の大駐車場にマイカーを止めて関電トンネルトロリーバスに乗車し、黒部ダムに着いた。 ![]() ![]() 天気予報は雲マークと雨傘マークが表示されていたが、願ってもない秋晴れとなった。黒部ダムからは立山(最高峰の大汝山=おおなんじやま、3,015m、主峰の雄山=おやま、3,003m、富士ノ折立=ふじのおりたて、2,999m)の雄姿が鮮明に見えた。 ![]() 山肌を彩る紅葉と緑、そしてバックの青空の素晴らしさに息をのんだ。ダムからの放水によって虹が発生し、紅葉と虹を同時に眺めるというとても贅沢な体験もした。 ![]() 立山は富士山、白山とともに日本三霊山の一つとされ、古来、山岳信仰の山として、神聖視され崇められてきた。立山の主峰である雄山の山頂に雄山神社本宮が小さく見えた。山に神様が宿る―。古来の人々はそう考えた。なるほどと思った。 ![]() *雄山神社(おやまじんじゃ) 富山県中新川郡立山町にある神社である。霊峰立山を神体とし、立山の神として伊邪那岐神(立山権現雄山神・本地阿弥陀如来)・天手力雄神(太刀尾天神剱岳神・本地不動明王)の二神を祀る。神仏習合の時代には仏教色の強い神社であり、立山修験の源であった。また、元明天皇や後醍醐天皇の勅願所でもあった。旧称立山権現・雄山権現。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)。 *山岳信仰(さんがくしんこう) 山を神聖視し崇拝の対象とする信仰。自然崇拝の一種で、狩猟民族などの山岳と関係の深い民族が山岳地とそれに付帯する自然環境に対して抱く畏敬の念、雄大さや厳しい自然環境に圧倒され恐れ敬う感情などから発展した宗教形態であると思われる。山岳地に霊的な力があると信じ、自らの生活を律するために山の持つ圧倒感を利用する形態が見出される。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』) *黒部峡谷 黒部峡谷は、北アルプスのほぼ中央の鷲羽山に源を発し、長さ86km、標高差3000mを流れ下る黒部川の上・中流域に、切り立った深いV字峡を形成する大峡谷です。 昭和9年(1934年)12月、中部山岳国立公園に指定されました。峡谷は、立山・剱岳・薬師岳などの立山連峰と、白馬岳・五竜岳・鹿島槍ヶ岳などの後立山連峰の間に、黒部川の浸食によって深く刻み込まれ、八千八谷といわれる多くの渓流を合わせながら、黒部川扇状地を経て日本海に注ぎます。(黒部峡谷鉄道公式HP) *黒部ダムオフィシャルサイトwww.kurobe-dam.com ![]() ▲
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| 2009-10-31 19:52
| 式年東大社銚子御神幸祭
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「同窓さはら」が「無名人からの伝言」出版を祝う会を紹介 ![]() ![]() ![]() ![]() 二つ目は、故郷の活性化。この場所に河津桜を植えることがきっかけとなって、将来、大利根用水路や利根川沿い、あるいは東庄町の公的施設などにも植樹が広がれば、観光資源の一つになって、東庄町や利根川流域の賑わいに役立つかもしれない。 ![]() *遂に野口初太郎所縁の場所に河津桜を植樹 http://kitakamayu.exblog.jp/11186220/ **「無名人からの伝言―大利根用水に賭けた野口初太郎不屈の人生―」http://kitakamayu.exblog.jp/9153025/ ![]() 還暦を過ぎると、どいうわけか若い時よりも故郷や母校のことが気になる。今年の7月には故郷の隣町で「東大社神幸祭は大いなる文化遺産」というタイトルで、講演させたもらった。故郷との距離が近くなっているような気がして、本当に嬉しい。 *7・11銚子雑学塾講義の参加者は100人突破、過去最高 http://kitakamayu.exblog.jp/11934679/ ▲
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| 2009-10-28 18:35
| 講演・寄稿・メディア
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諏訪大社の御柱には縄文と弥生の記憶が…:信州秋の旅② ![]() 諏訪大社下社春宮(下諏訪町)の境内にある案内板から歩いて約5分の距離に、地元では阿弥陀様と呼ばれている「万治の石仏」が鎮座されていた。名前の由来は石仏に「万治3年(1660年)11月1日」と「願主明誉浄光・心誉廣春」と刻まれているため。この石仏を見た瞬間、異次元の世界に迷い込んだような錯覚を持った。参拝しながら、言葉では表現できない不思議な感覚を十分過ぎるほど味わった。 ![]() ![]() ![]() 「有史以前、長野県内には縄文時代の遺跡が多数分布し、この時代の中心地のひとつであった。とくに小県郡長和町の和田峠は(石器の材料として、広く流通していた)黒曜石の代表的な産地であった。続く弥生文化は、まず東海地方から長野県南西部へと伝わり、その後日本海側の北陸地方から北部へと伝わったと考えられている。この2ルートでの波及が原因かは不明であるが、中野市の柳沢遺跡からは、東日本では唯一となる一緒に埋葬された銅鐸と銅戈が出土している(銅鐸と銅戈が一緒に出土したのは日本全国でも数例しかなく、また大阪湾型と九州型の銅戈が混在していることも極めて稀なケース)」(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』) 偶然立ち寄った東京国立博物館に展示されていた火焔型縄文土器の芸術性の高さに衝撃を受けたことがきっかけで、岡本太郎は、縄文文化の再評価に努めた。「忘れられた日本人のヴァイタリティ(活力)を発見した」。そして岡本太郎は、「縄文が息づく町」と言って、下諏訪をこよなく愛したという。 ![]() 常人の私でさえ、諏訪大社の御柱に、縄文の記憶をうっすらと感じた。並外れて直観力の鋭い芸術家の岡本太郎が、「縄文が息づく町」に鎮座されている胴体と仏頭が、別々に刻まれた「異形の石仏」に、縄文のヴァイタリティを強く意識したとしてもなんら不思議はないだろう。 *参考HP 万治の石仏(http://home.s01.itscom.net/sahara/stone/s_chubu/013_manji/013.htm) ▲
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| 2009-10-27 12:11
| 式年東大社銚子御神幸祭
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第13回如水会鎌倉支部総会(10・11、鎌倉芸術館) 平尾支部長、活動活発化に向けて鎌倉如水サロン開催を提案 「西の隣人(中国)への理解が必要」(河村多摩大学教授) 寺沢さんの奏でるヴァイオリンの音色に至福の時間を共有 ![]() ![]() 10月24日、鎌倉芸術館3階集会室で開催された第14回鎌倉支部総会は37人が出席、和やかな雰囲気の中で、無事に終了した。平尾支部長は、支部活動報告の中で「支部活動の多様化のためには支部総会、ゴルフ会、囲碁同好会以外に鎌倉如水サロンの開催を考えてもいいのではないか」と新たな提案をした。 ![]() 懇親会の席では「第14回支部総会は40年以降卒業者の出席が半数を突破、画期的な支部総会になった」というご発言があった。確かに出席者の卒業年次構成や講演、コンサートの内容などを考えると、第14回総会は、今後、支部総会が先輩、後輩が楽しくかつ有意義に交流できる場となるワンステップになったような気がする。 ![]() ![]() さらに「ポンドと円は2G(中国元・米ドル)の狭間で揺れ動いている。日本は東の隣人(米国)に対しては理解しているが、西の隣人(中国)に対しては、一衣帯水の間柄であるにもかかわらず、全く理解できないでいる。これからの日本の将来を考えれば、中国が心の中で何を考えているかを理解する必要がある」と、中国への理解の必要性を強調した。 ![]() 卓越した技術に支えられた寺沢希美さんの繊細かつ力強いヴァイオリンの演奏は、芸術の秋、会場の鎌倉芸術館に相応しいもので、出席者はその素晴らしい音色に感動しながら、至福の時間を共有した。 ![]() 支部活動を楽しく、有意義にするためにインターネットの効果的な活用を模索してきたが、如水会本部の公式HPを利用したメーリングリストへの登録者がアクティブ会員の約半分の72人になった。支部総会の出欠回答に関して、メールのみでOKと回答された会員が50名に達した。まとまった人数となったので、有益な情報交換を通じて、支部活動活発化や通信経費削減に役立つと思われる。 第14回如水会鎌倉支部総会 1.日 時:平成21年10月24日(土) 2.場 所:鎌倉芸術館 3階集会室 3.予定時間 ◇受付開始:11時30分 ◇総会開始:12時00~12時30分 ◇支部活動報告(支部長 平尾光司) ◇記念講演:12時30分~13時30分 「金融危機後のロンドン風景」 講 師:河村幹夫・多摩大学教授(昭和33年経卒 三菱商事元取締役) ◇ヴァイオリン・ミニコンサート:13時30分~14時00分 出 演:寺沢希美さん(桐朋学園音楽学部、英国王立音楽院卒) ◇懇親会:14時10分~15時30分4.会 費:5,000円(同伴の奥様は3,000円) ![]() ![]() ![]() ▲
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| 2009-10-25 17:44
| 交遊録
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「吾妻はや」詠嘆の地・熊野神社を参拝(信州秋の旅①) 御柱は結界であり、トーテムポール? 諏訪大社の氏子の皆さんの熱意と創意工夫に敬服 ![]() ![]() 御柱祭では7年に1度の寅と申の年に宝殿を新築し、社殿の四隅にあるモミの大木(上社本宮・前宮、下社秋宮・春宮各4本、計16本)を建て替える。山中から御柱として切り出した大木(長さ約17m、直径1m余り、重さ10トン超)を長野県諏訪地方の各地区の氏子の分担で、4箇所の各宮まで曳行する。下社山出しの木落としはとりわけ有名で、死傷者が出ることもある。 御柱祭の起源は定かではないが、平安時代以前のようだ。諏訪大社は、五穀豊穣、狩猟・風・水・農耕の神として古くから信仰されているため、それらを祈願するものであったと推測されている。 下社秋宮ー春宮―上社本宮―前宮の順番で参拝した。御柱には初めて対面したが、雲をつくような巨大さに圧倒されると同時に、これを山から切り出して人力だけで各宮まで曳行する行為に驚嘆した。諏訪地方の6市町村21万人の氏子がこぞって参加するそうだが、氏子をそこまで駆り立てる原動力は、一体何か。深く考えさせられた。 ![]() 上社本宮の一之御柱横の立札に「御神徳の更新を祈る氏子の魂を結集した」との説明があったが、御柱の意味についてはネット検索したら①伊勢神宮のように本殿を何年かおきに建て替えることがあるが、諏訪大社は本殿がないため、柱だけを建て替えることにした②先祖の霊を祀るために立てた柱=トーテムポール③聖域と外の世界を区別する結界―の三つの説があるという。 「古事記」によれば、葦原中国(出雲)の国譲りを迫る建御雷神と戦った大国主の息子の建御名方神は建御雷神に敗れ、諏訪湖まで追いつめられた。建御雷神が建御名方神を殺そうとしたとき、建御名方神は「もうこの地から出ないから殺さないでくれ」と言い、服従した。 一方、『諏訪大明神絵詞』などに残された伝承では、建御名方神は諏訪地方の外から来訪した神であり、土着の洩矢神を降して諏訪の祭神になったとされている。このとき洩矢神は鉄輪を、建御名方神は藤蔓を持って闘ったとされ、これは製鉄技術の対決をあらわしているのではないか、という説がある」(「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 御柱を前にして自分の体内のDNAのありようのヒントが得られたような気がした。それとこれだけの祭を継続させている諏訪大社の氏子の皆さんの熱意と、そのための創意工夫に頭が下がった。東大社の神幸祭成功の一助のために、情報発信と奉賛のノウハウを御柱祭からしっかりと学びたいと思った。 余談だが、建御名方神は建御雷神、経津主神ともに日本三大軍神に数えられている。経津主神はわたしの故郷の千葉県香取郡東庄町に隣接している香取市に鎮座されている香取神宮(http://www.katori-jingu.or.jp/)の祭神であり、建御雷神は利根川を挟んだ茨城県に鎮座されている鹿島神宮(http://www.bokuden.or.jp/~kashimaj/)の祭神である。 春宮 ![]() 秋宮 ![]() ![]() ![]() 洩矢神&ミシャグジ ミシャグジは、古来より日本に伝わるが、謂れのよくわからない神である。ミシャグチ、シャグジなどとも呼ばれ、御左口、赤口など多くの漢字が当てられる。ミシャグジ信仰は東日本の広域に渡って分布しており主に石や樹木を依代とする神で蛇の姿をしているとも言われている。 その信仰形態や神性は多様で地域によって差異がありその土地の神や他の神の神性が習合されている場合がある。信仰の分布域と重なる縄文時代の遺跡からミシャグジ神の御神体となっている物や依代とされている物と同じ物が出土している事等からこの信仰が縄文時代から存在していたと考えられている。 諏訪地方では特に諏訪の蛇神であるソソウ神と習合されたためか白蛇の姿をしているともいわれており、建御名方神や洩矢神(モレヤ神)と同一視されることもある。また御社宮司、御左口など多くの漢字があてられる。 この神を祀っていた守屋神社(もりやじんじゃ)では、神官に憑依して宣託を下す神とされた。また1年毎に八歳の男児が神を降ろす神官に選ばれ、任期を終えた神官が次の神官が決まると同時に人身御供として殺されるという「一年神主」の伝承も残る。[要検証]マタギ等の山人たちにも信仰されていたと言われる。(「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」) 諏訪大社 諏訪市の上社本宮、茅野市の前宮、下諏訪町の春宮、秋宮の4社から成り立っている。 歴史は古く、延喜式神明帳(西暦927)にもその名が載っている。 御柱神は建御名方命、八坂刀売命のご夫妻で祀られている。 古事記の国譲りの場面で、大国主命の息子として最後まで抵抗し、諏訪の地まで逃げてきて、幽閉された神である。 諏訪湖は一面の葦の原、此所を開拓した神として崇められている。 鎌倉武士たちには戦神としても尊敬を集める。 全国1万社の総本社である。 諏訪大社は、信濃国諏訪の地に鎮座のこと。「古事記」に明らかで、我が国最古の神社の一つであり、古来諏訪大明神・諏訪南宮大明神・諏訪南宮正一位法性大明神などと称した。 祭神建御方命は、大国主命の第二子で、兄事代主命と共に大国主命を助けて、国土経営の大任に当たられた。 この地の農耕・機織をすすめられた。 昔は狩猟の神・農業の神として神格を有したが、神功皇后三韓征伐に神威を顕現、文永弘安の役に外敵を退けられた。 由来国家鎮護の守護神として。 歴代武門・武将の崇敬篤く、鎌倉幕府は社領を寄進し、武田信玄は社殿を造営・祭祀を復興し、江戸幕府はまた社領1500石を奉献し、神徳を仰いだ。 大正五年官幣大社に列せられた。 現在は神社本庁別表神社。 (諏訪地方観光連盟 御柱祭情報センターHPより) ▲
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| 2009-10-22 16:06
| 式年東大社銚子御神幸祭
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富津は弟橘媛の衣が流れ着いた「布流津(ふるつ)」に由来 10月13日から15日にかけて、式年東大社銚子御神幸(http://kitakamayu.exblog.jp/11530274)の事前取材の一環として、信州における日本武尊の東征伝説関連地を訪れた。紅葉の美しい時期でもある。紅葉狩りも兼ねた。結果をシリーズでお伝えしたい。 ![]() ![]() ![]() 高崎市や前橋市の町並みが一望できる境内には、「日本武尊『吾嬬者耶(あづまはや)』詠嘆の地」と大きく書かれた案内が掲示してあった。日本書紀によれば、日本武尊は雲海から海を連想し、神奈川県の走水で入水した弟橘媛をしのんで、『吾嬬者耶(あづまはや)』とうたった。 ![]() ![]() 7月11日に銚子市青少年文化会館中ホールで開催された銚子雑学塾主催の講演会(演題:「東大社神幸祭は大いなる文化遺産」(http://kitakamayu.exblog.jp/11934679/)の講師を務めた際、神奈川県の久里浜港からフェリーで、千葉県の金谷港に渡った。日本武尊の時代の船は、長さが20~30メートル、20人から30人乗りと想定されている。これに対し、東京湾フェリーが運航している3隻のフェリーは、長さ80メートル弱、570~580人乗り。総トン数は約2800トンから約3500トン。バス16台、乗用車110台、トラック36台を搭載することが出来る。船の大きさや性能が全く違うから、比較の仕様がないが、それでも浦賀水道を渡るイメージを少しでもいいから感じ取りたかった。 7月11日は前夜から強風が吹き荒れていた。午前6時過ぎに東京湾フェリーに電話で確認したら「現在は運行しているが、これ以上強くなると運休する」とのことだった。運休するかどうかの判断は、基本が風速18メートル。これに風向き、うねりなどを考慮し、決定するという。 ![]() デッキで写真を撮ろうと思ったが、船が大きく揺れて、立っていることが出来ない。やむなく客室に入った。最前席に座ると猛烈な風によって生じた高い波が、フェリーの船首にぶち当たり、砕け散った波しぶきで客室から前の視界は失われた。船体は波に持ち上げられた後、海底にすうーっと引き込まれる。胃がむかついてくる。 30年以上前の悪い記憶が蘇った。長崎市に住んでいた時、義父に連れられて、五島列島近くまで小さな漁船で、釣りに行ったときのことだ。漁船に乗っての海釣りは初体験だった。ひどい船酔いをした。釣り場までは片道4時間近くかかったと思う。しかし、今回は乗船時間が約40分と短かったので、何とか持ちこたえることができた。 久里浜港に近い走水と、金谷港に近い富津岬は直線距離で6~7キロメートルしかないが、現在でも海が荒れると渡海は大変である。日本武尊の時代の走水からの渡海は、まさに命がけだった。「こんな小さな海、跳び越えてでも渡れる」との日本武尊の不用意な一言が海神の怒りを招き、海が荒れた。このピンチを救ったのが東征に同行していた尊の后の弟橘姫(おとたちばなひめ)で、海に身を投げることで嵐を静め、一行は無事に上総に渡ることができた。 「明確な地図を持たない昔は、峠を制することはその先の地域を制する為に欠かせぬ要素だった分けです。つまり峠は軍事的な要所だった分けです。ましてそこに日本武尊(大和朝廷の東征の使者)が勧請した神が祀られているとなれば、両国ともに手中に収め、その神徳を戴きたいと思うのはごく当然であったとも思われます」(熊野神社公式HP)。碓氷峠で弟橘媛をしのんで、『吾嬬者耶(あづまはや)』とうたったという伝説が生まれても不思議ではない。 【ご参考】 ヤマトタケルの侵攻ルート 「日本武尊は、伊勢や尾張地方で東征のための緒準備を整え、(20人から30人程が乗れる当時としては大型の船を作らせ、50艙から100艙の)大船団と1千人以上の兵員を引き連れ表日本の沿岸沿い(黒潮ルート)に北上し、穀倉地帯を狙って逐次侵攻した。そして日高見(常陸上)の国から内陸に入り、上野を支配していた豊城(トヨキ)命の一族の援助を得て信濃国を征服し、東国征伐を完成した…日本武尊は、圧倒的に優勢な武力を準備し、蝦夷を屈服させた。軍事面で屈服させた後、日本武尊の採った政策は農業生産力の向上だったと推定される。今まで東国で使われていた2~3人乗りの丸木舟に変わって、10人以上が乗れる大型の船を作らせ、漁業を飛躍的に向上させた。蝦夷に高度の技術を提供し、その見返りに米や兵を要求したはずである」(「房総の神話・伝承からみた古代日本の謎」 図書刊行会、金田弘之著) 古墳時代の船 「縄文時代の船はいずれも独木船(まるきぶね、くり船)である。長さ5~7メートル、幅50センチ程度の小さなもので、きっすいも30センチ程度しかないだろうと考える。古墳時代になると、ずっと大型の船が出土してくる。同じくり船でも、縄文時代は単材だったが、3材も4材もたてにつないだ20~30メートル級の船が出現する。船の形も、船首と船尾をそり上げたゴンドラ船が一般化し、くり船の両脇に波よけの舷側板をとりつけた半構造造船になる」(「邪馬台国」朝日新聞学芸部 朝日文庫) 熊野神社の祭神 新宮殿 速玉男命 (はやたまのおのみこと) 「心の健康の守護神」 本宮殿 伊邪那美命(いざなぎのみこと) 「諸神の産みの神・祖先神」 日本武尊 (やまとたけるのみこと) 「当神社の創設者」 那智殿 事解男命 (ことさかのおのみこと) 「人生の難題解決の神」 碓氷峠 碓氷峠(うすいとうげ)は、群馬県安中市松井田町と長野県北佐久郡軽井沢町との境にある日本の峠である。標高は約960m。「碓井峠」「碓水峠」は誤表記。信濃川水系と利根川水系とを分ける中央分水嶺である。峠の長野県側に降った雨は日本海へ、群馬県側に降った雨は太平洋へ流れる。気象学的にも、碓氷峠は関東地方と中部地方の境界にあたる。日中、関東地方南岸では大規模な海風(太平洋海風)が生じて、およそ秒速5mほどで大気が内陸に向かって進む。一方で中部地方内陸部では上空に低圧部が現れ、谷から山頂に向かう風が生まれる。午前中は碓氷峠にこれら2つの流れが両側から向かってきて、峠では風が真上に向かって平衡状態となる。午後になると地表面の温度が高くなって双方の勢いが増すが、関東地方からの流れがより強くなるため南東風が吹き、関東地方の大気が中部地方に流入する経路となる。なお夜間には海風が支配的となって南東風が続く]。また、山を登る空気は気圧が低くなるとともに膨張して温度が下がり、飽和した水蒸気が霧となるため、関東平野から碓氷峠を登って流れ込む南東風が原因となって軽井沢では年間130日以上も霧が発生している。古来より坂東と信濃国をつなぐ道として使われてきたが、難所としても有名であった。この碓氷坂および駿河・相模国境の足柄坂より東の地域を坂東と呼んだ。『日本書紀』景行紀には、日本武尊(ヤマトタケル)が坂東平定から帰還する際に碓氷坂(碓日坂)にて、安房沖で入水した妻の弟橘媛をしのんで「吾妻(あづま)はや」とうたったとある。なお『古事記』ではこれが足柄坂だったとされ、どちらが正しいかという論争が存在する。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』) ▲
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| 2009-10-21 11:03
| 式年東大社銚子御神幸祭
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「鎌人いち場」に北鎌倉の神々パネルデビュー、販売は12冊 ![]() ![]() ![]() ![]() となると自分たちの持ち運び可能なテーブルと椅子が必要になる。そこで、「第1回鎌人いち場」に出展した際、他の出展者がどのような“装備”をしているかを観察し、コールマンピクニックベンチセットに狙いを定め、ネットで購入した。 ![]() テーブルは約90x57x70cm(高さ)、椅子は93x27x39.5cmで重さは約9.9kg。ケースの外側がそのままベンチになる。少し重いが持ち運びが可能だ。テーブルは30kg、椅子は140kgの重さに耐えられる。しっかりしたつくりで、「なかなかの優れもの」というのが仲間一致した評価だ。 ![]() さて、「北鎌倉の神々」の売れ行きだが販売は3冊で、1冊は大学と街とのコラボレーションを模索しているという学生に進呈した。3冊しか売れなかったのは今回はちょっとした行き違いがあった。本来ならば「鎌人いち場」の主催者近くの情報発信エリアに陣取るべきだったが、普通の商品の販売エリアに臨時販売所を構えてしまった。 ![]() ![]() しかも、臨時販売所の場所も一番端っこで、場所と商品が完全なミスマッチ。次回は情報発信エリアで、「北鎌倉の神々」を販売する方針だ。「北鎌倉の神々」の販売は芳しくなかったが、潮風に当たりながら仲間と冷たいビールを飲み、本当に楽しい一日を過ごすことができた。満足である。 ![]() ![]() ▲
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| 2009-10-19 19:03
| ガイドブック・プロジェクト
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鎌倉市による洞門山の一部宅地開発認可は容認できない! 市は業者からの訴訟も受けて立つ覚悟で保全交渉継続を! 全面保全に向けて募金活動を本格的にスタートへ 二人の鎌倉市長候補者、洞門山保全に理解示す ![]() ![]() 北鎌倉・洞門山を守る会( 坂田庄次代表)は10月11日、山ノ内公会堂で全体会議を開いた。議題は①洞門山平地部分に対し鎌倉市が宅地造成許可を下したことに対する守る会の対応②現在「凍結」されている洞門山緑地部分に対し業者が「早急に開発許可」を下ろすよう市に 迫っている件③(10月25日に市長選が行われ)新しい鎌倉市長が誕生するという新たな局面の中で、「守る会」の今後の対応④洞門山保全の募金活動開始について―など。 この日の全体会議には、3連休の谷間、しかも急な全体会議召集にもかかわらず、30人を超える住民が参加した。 また、鎌倉市長選が間近に迫っている情勢を考慮、市長選に出馬を表明している松尾たかし氏(http://www.matsuonet.com/)と、渡辺光子氏(http://www.watanabemitsuko.net/)をお招きし、会議を傍聴してもらった上で、市長に当選した場合、洞門山保全問題へどうのようなスタンスで取り組むかについて、その考えを聞いた。(両候補者の氏名の表記はアイウエオ順) ![]() ![]() 論議の結果、守る会は洞門山全面保全の方針堅持を全会一致で再確認した。会議の雰囲気としては、鎌倉市には洞門山全面保全に向けて、業者からの訴訟も受けて立つ覚悟で事業者との交渉継続を望む声が、圧倒的に多かった。 さらに鎌倉市の全面保全に向けた交渉をサポートする意味などを込めて守る会は「宅地開発計画のある『洞門山』の保全の重要性を広く伝え、市民の連携により、鎌倉市による買収を確実にする。また浄財を集め、それを洞門山の継続的保全並びrに鎌倉市の緑地保全に資するため、『鎌倉市緑地保全基金』に寄付金として提供する」との趣旨で、募金活動を本格的にスタートさせることを決めた。募金活動は活動規定の細部を詰め、できるだけ早い時期にを開始する。 全体会議終了後、二人の市長候補者に傍聴結果を踏まえ、発言してもらったが、両候補者は揃って鎌倉市の将来にとって、景観保全が重要だとのを認識を示し、洞門山保全問題へ全力で取り組むとのことだった。 松尾たかし氏(http://www.matsuonet.com/) ![]() 渡辺光子氏(http://www.watanabemitsuko.net/) ![]() *【10・1要望書】 平成21年10月1日 鎌倉市長 石 渡 徳 一 様 北鎌倉・洞門山を守る会 代表 坂 田 庄 次 (仮称)『鎌倉市山ノ内計画』の一部認可に対する見解 市当局には、『(仮称)鎌倉市山ノ内計画』として提出されている宅地開発計画から洞門山を保全するため、地権者との難しい買収交渉を推進していただいております。 その交渉の過程で、「既宅地を含む洞門山一部山域の分離開発が浮上している」とのお話を聞き、当会は9月7日、要望書を提出し分離開発に対する懸念を表明しました。 要望書では、この分離開発が山域の段階的開発に道を開くものであるなら到底容認できないこと、またどうしても宅地域の拡大が避けられない場合でも、現状景観と違和感のない形状・規模とすることを、具体的対処事項を例示し要望しました。 しかし、このたび市が認可した計画は、当会の要望は全く考慮されていないといってよいものであり、遺憾ながらこのような計画での認可を当会は容認することはできません。 また事業者の計画では下記問題点も明白になっています。市当局には、事業者に対して再度正確な現況把握を行い、法の精神、企業の社会的責任において計画の見直しを行うようをご指導いただきたくお願いいたします。 記 (1)計画図が不正確である このような計画では正確な地形把握は不可欠である。本計画図はコンターライン(等高線)を引きなおし修正されたものとしているが、まだ現況とは整合しておらず計画の前提条件が不確かなものとなっており、基本計画レベルの見直しが必要である。 (2)風致地区条例の許可要件に適合していない 計画されている宅地面積280㎡の内85㎡は山域を切り崩して造成する。 また現状においても道路より高い計画地に2.21mもの盛土を行うため、計画地北端での擁壁の高さは4m近くにもなる。 風致地区である善応寺ガ谷の中心的な場所におけるこのような大幅な地形の変更は、風致地区条例の許可要件にある、「建築物・工作物の位置、規模、形態及び意匠の周辺の風致と調和すること」を満足しないことは明らかである。また近隣住民は環境の変化により多大な迷惑をこうむる。 尚、この切り土、盛土については周辺風致との調和の点から次のようなことを検討すべきである。 ガレージ内部高さを2.3m→2.0m、土被りを1.15m→0.3mとすることにより盛土高さを1.15m減ずることが出来る。ガレージを2箇所とする場合は道路に勾配があるため高い位置のガレージはその分、土盛高さは高くなるがそれに合わせて全体の宅盤レベル嵩上げするのではなく、宅盤レベルを切替える。 (3)切り崩し部分の上部に対するに影響を無視している 洞門山は安定した構造の山ではない。生えている樹木もその根は浅い。この規模の切り崩しを行えば、土壌は乾燥化が進み連鎖的な地すべりや倒木により、周辺山域まで現状が維持できなきなる恐れがある。敷地境界ぎりぎりまでの切り崩しを避け自然域を残し、敷地外に対する影響を抑えるべきである。宅地内に自然地形、既存の樹木等、現在ある貴重な自然資産を取り込むことは、周辺風致との調和の維持と高価値住宅地の造成を両立させることである。 以上 ▲
by kitakamayunet
| 2009-10-12 11:26
| 洞門山宅地開発問題
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いよいよ本格的自治会デビュー:09高野台夏祭り(7・18) ![]() 10月10日、小坂地区スポーツ振興会(高野台、大船、山ノ内、小袋谷、市場、谷ノ前の各自治会で構成)主催の平成21年度市民運動会が、秋晴れの空の下、自宅近くの小阪小学校の校庭で開催された。これまでは参加したことはなかったが、今年から高野台自治会の役員となったので、妻と二人で参加した。 ![]() ![]() 運動会に出かけたのは2人の息子達が小学校の時以来だから、約25年ぶりだった。各地区とも種目参加者を募ったり、準備が大変なようだ。しかし、人と人との関係が希薄化している時代を考えると、こういう催しはあってのいいのかなと思った。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ▲
by kitakamayunet
| 2009-10-12 10:12
| シリーズ・団塊世代
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![]() ![]() ![]() ![]() この期間中は北鎌倉匠の市・展(http://kitakamayu.exblog.jp/12493443/)とも重なる。多くの皆さんに鎌倉に訪れてもらい、明き深まる古都の魅力を堪能してほしいと思う。 発表会のプレゼンでは、個人的には11/15(日) に建長寺・龍王殿で開催される 「横笛と琵琶の演奏会」に興味を持った。 横笛と琵琶の演奏会 出演:鯉沼廣行(横笛) 坂本真理(篠笛) 首藤久美子(琵琶) 日程 11/15(日) 時間 第1部13:30~15:00 第2部16:30~18:00 会場 建長寺・龍王殿 料金 全席自由 3,500円 (未就学児入場不可) 問合せ 湘南リビング新聞社 0466-27-7411 担当:事業部 大貫花恵 10:00~17:00(土日祝休み) 「第四回鎌倉芸術祭」 日 時:10月3日~12月7日 主 催: (財)鎌倉市芸術文化振興財団 鎌倉芸術祭実行委員会 鎌倉市制70周年記念 鎌倉市制70周年記念特別協賛: 鎌倉市 鎌倉市教育委員会 特別協賛: (株)鎌倉ケーブルコミュニケーションズ 協 賛 : 三菱電機(株) 大塚製薬(株) (株)資生堂 (有)studio acca 鎌倉商工会議所 鎌倉市商店街連合会 問い合わせ: 鎌倉芸術祭 事務局 Tel 0467-23-7477(西御門サローネ内) E-mail: info@kamakura-geijutsusai.com 9月25日に浄智寺で開催されたメディア向けの発表会の模様 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ▲
by kitakamayunet
| 2009-10-08 21:47
| イベント案内
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