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落ち葉、チップ使ってジャガイモの種芋植え付け2・11 ![]() 気温の上昇で野菜の成長スピードが速くなっている。4月20日にはジャガイモの開花を確認した。開花したのはレッドムーンとピルカで花の色は紫色だ。とてもきれいだ。いい感じで育っている。本格的に循環資源活用型農法で育てた。どれくらいの収穫量があるのか、楽しみだ。 ![]() 4・19 トマトの苗カバー用替えビニール撤去。保温効果が抜群のようで、頭がビニールで押さえつけられてしまった。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 4・20 ニラを初収穫。つるありインゲンを間引きし、間引いたのを隣の畝に移植した。 ニラ ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() オクラ ![]() バジル ![]() ▲
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| 2018-04-23 15:30
| 野口農園
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②鎌倉すざく社長が見事な枝打ち披露:4・21六国見山定例 ![]() ![]() ![]() いずれもタネを蒔いて育てた安全、安心、美味しい、新鮮な有機・無農薬野菜だ。里山の段々畑を流れる空気は穏やかで人間に優しい。こういう場所で、かつ志を共有する仲間と一緒に食事をすると美味しさが一段と増す。「このスナップエンドウ、甘い」。参加者から感嘆の声が漏れた。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ▲
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| 2018-04-22 09:15
| 鎌倉の美しい里山継承PJ
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①神奈川県所有の竹林整備目的に筍掘り:4・21六国見山定例 ![]() ![]() この日はこれまで洗練された「樵の技」を見せてくれていた「鎌倉すざく」を経営する有限会社ベルウッドの鈴木弘明社長が、この日はツリークライミングの技術を使ったヒノキの見事な枝打ちを披露してくれた。 鈴木社長は鎌倉・湘南、あきる野・日の出町・檜原、三浦・横須賀エリアを活動場所にしている「樵塾」の塾長でもある。 ![]() ![]() ロープを使った赤道沿いの枯れ木の伐採。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() チッパーを使っての枝打ちした枝葉のチップ化。チップは将来畑の堆肥になる。 ![]() ![]() ![]() ▲
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| 2018-04-22 08:57
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嬉しい!お土産は手掘りの初筍3・31六国見山花見(下) ![]() ![]() ![]() ![]() 筍は成長が早い。生えた筍をそのままにしておくとあっという間にせっかく整備した竹林が“満員電車”のようになってしまう。掘った筍は近くに借りている畑で焼いてあくを抜いて、醤油をたらして食べた。掘りたてだから出来る芸当だ。えぐみが全くない。参加者から「柔らかくて美味しい。こんな筍、食べたことがない」との声が挙がった。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ▲
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| 2018-04-21 20:42
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4・14第11回山の恵みに乾杯!で「北鎌倉の恵み」など販売 雑味なくクリアで上品、蜜源はヤマザクラ ![]() ![]() ![]() ![]() 蜂蜜を提供してくれたのはechonica養蜂園(神奈川県鎌倉市材木座)。昨年12月、神奈川県のみつばち転飼許可を得て、ミツバチの巣箱は一般市民が立ち入ることの出来ない個人の所有地に置かれている。echonica養蜂園によればヤマザクラの蜂蜜は「高品質。現在巣箱は2箱だが、将来的には5箱程度置きたい」としている。今後の展開が楽しみだ。 ◇朝礼の様子 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ◇La Muga(ラ ムガ)(カマクラキコリス出展) ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 昭和60年代以降は、土地の開発がより進み、自然環境が激変しました。野山では少なくなった花を求めてミツバチが農地へ行けば、農薬との接点が多くなり、影響を受けざるを得ません。 その農地での耕作状態も大きく変化し、昭和45年頃に比べ、かつての主要な蜜源の栽培面積は、レンゲは約11%に、ナタネは約5%にまで激減しました。安価なはちみつの輸入が急増し、国産はちみつの価格が低迷する中、養蜂家の高齢化が進み、昭和60年には飼育戸数が9,499戸でしたが、平成17年には4,790戸まで落ち込みました。 近年では、はちみつの国内流通量約41千トンのうち、国産はちみつの生産量は約2.8千トンにとどまっており、はちみつの国内自給率は7%程度です。 最近では、国産の農産物が見直されるとともに、国産はちみつの価格が上昇傾向にあることや、自然との接点が希薄になっている都市部での養蜂が注目されたことから、ミツバチへの関心が高まり、飼育戸数は増加傾向にありますが、一方で蜜源植物の植栽面積は、引き続き減少しており、蜂場の確保に関するトラブルが急増しています。 また、生食の消費量が世界一のイチゴ栽培をはじめ、メロンなどの農産物の花粉交配でのミツバチの重要性はますます増しています。 平成24年(2012)には、養蜂の環境が大きく変化したことを受けて養蜂振興法が改正され、平成25年(2013)1月1日から施行されています。大きな改正点は、蜂群の適正な管理と配置、養蜂の届け出義務対象者の拡大、蜜源植物の確保です。 新しい環境保全、生態系保全のうねりの中でミツバチの重要性は、これからも、一層増していくことになるでしょう。 ▲
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| 2018-04-17 07:04
| 鎌倉の美しい里山継承PJ
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トマト、ナス、ピーマンの苗など4日連続植え付け4・9~12 ![]() 4月16日、早世タマネギを2個初収穫した。同時にマダーボール(ラグビー型小玉スイカ)の苗4本、モロヘイヤの苗2ポット、ゴーヤの苗2本、レタスの苗5本を植えた。時期が早いのでマダーボール、モロヘイヤ、ゴーヤの苗にはいずれにも防寒対策をした。レタスには防虫ネットを張った。 タマネギ ![]() マダーボール ![]() ![]() モロヘイヤ ![]() ![]() ゴーヤ ![]() ![]() レタス ![]() ![]() ▲
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| 2018-04-16 17:01
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ボクシングはモンキー(いんちき)ビジネス? 村田判定負け 4月15日、横浜アリーナで行われたプロボクシング・ダブル世界タイトルマッチの結果についてのコメントが16日朝、ボクシングに造詣の深い石井彰英・まほろば楽団リーダーから届いた。ボクシングに興味のある人に参考になると思うので本ブログに掲載する。 野口稔様 おはようございます。 大谷が渡米して活躍し始めてから朝夜がひっくり返った生活になってしまいました。高村光太郎ジオラマは、ほぼ完成。後日、レポートを送信致します。 世界ミドル級は大変に長い歴史があり、多くの華やかのボクサーを輩出してきました。また、悲劇的な事故が多発しており、「呪われたミドル」とも言われてきました。 ![]() モンソンのプロモーターは*アランドロンでした。ハンサムで粋で多くの女優達との恋の遍歴がありました。モンソンは女性二人を殺しており、有罪判決を受けて刑務所に収監されておりました。しかし、さすがにアルゼンチン。昼の外出は自由でした。(夜、刑務所のベッドで寝れば良い)バーで泥酔。自分の運転するベンツで事故を起こし他界しました。殺人者の身分でありながら国葬となりました。 *アランドロン フランスの映画俳優。…大の格闘技好きであり、ドロン自ら格闘技の興行を主催したこともある。また、同じフランス人のK-1トップファイタージェロム・レ・バンナとは友人であり、映画で共演したこともある。(ウィキペディアより) 村田には、こんな末路だけは辿ってほしくないですね。ゴロフキンも力が落ちています。ボブアラムプロモーターに頑張ってもらいましょう。 比嘉は若き日のロベルトデユランを彷彿させるパンチャーでした。以前から具志堅会長にSフライ級への転向を希望していました。転級すると挑戦者の安いファイトマネーで試合をしなければなりません。具志堅会長はチャンピオンとして稼げるファイトマネーに目がくらんだのです。 試合期間が2か月半とは、あまりに無謀です。昨夜の試合も1Rから比嘉の脚は藁になっており、半病人でした。下手すれば事故も起きます。多額の違約金を払っても選手を保護する会長としては絶対に試合を中止すべきでした。 一方で、F原田、大場政夫の減量は比嘉よりも過酷でした。彼らの自己管理能力は執念の領域でした。そして栄養士等によるジムの全面的なバックアップがありました。 結果として守銭奴、具志堅が比嘉の無限の可能性を皆無にしてしまいました。心身ともにダメージの残る敗戦です。カムバックするならばジムを移籍すべきです。 ボクシング、徒然なるままに・・・ またメール致します。 石井 ▲
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| 2018-04-16 09:07
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スナップエンドウ初収穫&つるありインゲン発芽4・11 トマトにには苗カバー用替えビニールを初使用 ![]() 4月9日から12日まで連日、畑に行き、夏から秋にかけて収穫する野菜の種蒔きや苗の植え付けをした。野菜にはそれぞれに発芽温度や生育温度があるので時期的には少し、早い。それを分かりながら種蒔きや苗の植え付をしたのは、家の中でじっとしているのが辛かったからだ。3月30日に母を失った。しっかりとお別れをしたつもりだったが心が落ち着かない。 【4月9日 バジルとオクラの種蒔き】 例年は園芸店で苗を買って育ててきた。今年は種蒔きからチャレンジだ。 ![]() ![]() 【4月10日 近江生姜の種生姜植え付け】 母のお通夜、葬儀・告別式で帰省した際、故郷の園芸店で購入した。量は1キロ、約1300円。鎌倉及びその周辺で買うより4割程度安い。循環資源活用型農業を志向している。土壌改良を目的に間伐材が原料の炭を使い、黒マルチは使わず、チップを撒いた。肥料は豚糞を1週間前に入れておいた。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 本数はナス8本(うち2本は長ナス)、ピーマン8本(うち赤と黄色のカラーピーマン各1本).トウガラシ2本、青トウガラシ2本。支柱は畑の周辺に生えているプラスチック製ではなくアズマネザサ。トマトなどと同様に黒マルチは使わず、チップを撒いた。保温対策として故郷の姉からもらってきた不織布をかけた。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ▲
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| 2018-04-13 21:27
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スナップエンドウも開花、本格的な春到来を実感3・15 ![]() 4月11日、スナップエンドウを初収穫した。さっそく、茹でてマヨネーズをつかていただいた。柔らか、そして甘く、とても美味しかった。そしてつるありインゲンも発芽していていた。その上、ソラマメも小さな鞘が出来ていた。いよいよ季節は初夏だ。 ![]() ![]() ![]() つるありインゲン ![]() ![]() ソラマメのも小さな鞘。収穫できるようになったら、畑で採りたてを炭火で焼いて食べよう。美味しさが増すこと間違いなしだろう。 ![]() ![]() 知人の畑のソラマメはアブラムシの襲撃にあって、悲惨な状態だ。わたしはシルバーマルチとシルバーテープを使って、アブラムシの襲撃を免れた。 ![]() ![]() ![]() この日は普通の形をしたキャベツを収穫した。初収穫のキャベツは尖がっていた。 ![]() ▲
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| 2018-04-12 16:37
| 野口農園
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親の介護と並ぶ団塊世代の共通の悩み:お墓移転① 母性の塊、我が子を守るためにしっかりと生き抜く ![]() 【西行法師】 ねがはくは 花のもとにて 春死なむ その如月(きさらぎ)の 望月(もちづき)のころ 『新古今集』雑下。西行の作中特に有名な歌だが、『新古今集』完成の中途で切り出し(削除)措置を受け、異本にのみ残された。「如月の望月のころ」は二月十五日(満月)をいう。太陽暦では三月末に当たる。西行の熱愛した桜の花盛りの時期に当たるが、また釈迦入滅の日でもある。出家の身として、とりわけその日に死にたいという願いをこめた歌だが、驚いたことに、彼は願った通り、河内の弘川寺で、建久元年二月十六日に没した。(大岡信ことば館より) 鎌倉一のヤマザクラの名所である六国見山のヤマザクラが満開になった3月30日の午後、故郷(千葉県香取郡東庄町)に住む姉から母の訃報が届いた。母は関東大震災の発生した大正12年、お釈迦さまの命日である2月15日に下総台地の農家に生まれた。そして、農家に嫁ぎ、農婦として一生を終えた。享年95歳。 平凡な農婦だったが、母の人生は戦争に翻弄された波瀾の人生だった。最初の夫が戦死した。母は5歳の娘を嫁ぎ先に残し、病気で奥さんに先立たれたわたしの父と再婚した。多分、この時、母が24歳で父が41歳。歳の差17歳。父には姑と先妻の子どもが5人いた。昭和23年、わたしが生まれた。 戦争がなければわたしは存在しなかった。父方から見ればわたしは6人兄弟の末っ子。母の残してきた娘も入ればわたしは7人兄弟の末っ子。父と母が揃っているという観点からは長男であり、一人っ子だ。姑は母に厳しかったが、幸い、異母兄・姉が優しい人たちで、母とわたしを大事にしてくれた。 昨年8月末、母は誤嚥性肺炎で入院した。余命は2ヶ月とのことだった。しかし、強い生命力で3月30日まで生きた。「ひ孫が大学卒業するのを見届けるまでは死ねない」。母はこの一念で命の炎を燃やし続けた。そして、ひ孫の大学卒業を見届け、帰らぬ人となった。 わたしは母を思う時、決まって幼い日の二つの光景が蘇る。その一つ。母の実家の縁側で手前に腰掛けていた母がうつむきながら涙を流していた。それを小さな女の子がちょこんと正座し、じっと見つめていた。 わたしは二人から少し、離れて「母はなぜ泣いているのか、小さな女の子は一体、誰なのか」、そんな疑問を懐きながら、庭の地面にいたずら書きをしていた。今思えば、小さな女の子は最初の嫁ぎ先に残してきた娘だった。母と娘は母の実家でしか会うことができなかった。母は儘ならぬ人生を嘆き、そいて泣いた。 もう一つが畑の中を走るおんぼろ道を、母がわたしを背負って病院へ向かって歩いている光景だ。自宅から病院までの距離は約4キロで、途中に二つの坂がある。当時のわたしは小学一年生。健康優良児で生まれた。しかし、小学校に入る前の年に、遊んでいて腹部を強打し、内出血を起こした。 季節はビワが実るころ。リヤカーで運ばれた病院のベッドで血反吐を吐いた。その中にビワの実が入っていた。この時から数年前、腹部を強打した時期になると腹が痛み、食事をとれなかった。がりがりに痩せ、付けられたあだ名が「青びょうたん」。体育の時間は見学が多かった。 人生は時として思いがけないことが起きる。母が最初の嫁ぎ先に残してきた娘・勝子と父の長男の仁が結婚した。後々聞いたことだが、母が再婚の際、父に仁と勝子の結婚を条件にした結果だという。こどもの意思がある。親が決めたところでそうなるとは限らない。でも、母が望んだ通りになった。 10年前に長崎で二人暮らしをしていた妻の両親を預かることにした。義兄と義妹にそれぞれに事情があって妻の両親を引き取ることは出来なかった。妻の両親を預かる決断はさほど難しくはなかった。理由は衰えの目立った母の介護を姉の勝子が引き受けてくれていたからだ。 仁は16年前に亡くなっている。兄嫁が血のつながっている勝子でなければ決断は容易ではなかったと思う。妻の両親を引き受けてからは、母を安心させること、母の世話をしてくれている姉への感謝の気持ちを持って10年間、毎月1回帰省した。 帰省して北鎌倉へ帰る際、「また、来月来るよ」と言うと母はにっこりと頷いた。亡くなる6日前の3月24日に帰省した。誤嚥性肺炎を再再発して少し息苦しそうだった。「誰だか分かる?」。母に問いかけると「稔」と母は答えた。妻の両親を引き受けることで親孝行ができた。 梅の花が咲く季節に生まれた母の名は梅。西行法師が望んだように「その如月の望月のころ」に亡くなった。母性の塊のような女性だった梅は、我が子を守るためにしっかりと生き抜いた。わたしは今年7月28に古希(70歳)を迎える。これまでに楽しいこと、辛いこと、色々なことがあった。でも、はっきり言おう。「梅さん、わたしを産んでくれてありがとう」。合掌。 ![]() 写真は2008年10月5日に故郷の千葉県香取郡東庄町笹川の鯉屋旅館で開催した「無名人からの伝言―大利根用水に賭けた野口初太郎不屈の人生―」の出版会に参加した母とわたし。 ![]() 【参考】 *身につまされた「枯れるように死にたい」 (田中奈保美著、新潮文庫)より転載 今度は母(94歳)が誤嚥性肺炎を発症して入院 2017年8月19日、丸太に挟まれて右手薬指を骨折してしまった。土曜日だったので救急病院で応急措置をしてもらった。その翌日、姉から「母が誤嚥性肺炎で入院した」との連絡があった。すぐに駆けつけたかったが、翌日の21日の月曜日に本格的な骨折の処置をしてもらう必要があった。シーネ(添え木)で右手薬指を固定してもらった。危なっかしい車の運転で故郷へ向った。母は昨年3月、脳に血栓ができ、寝たきり状態になってしまった。老健や特別養護老人ホーム(特養)に入らず、自宅で姉が介護していた。姉は誤嚥しないよう朝昼晩おかゆを作った。自力で排泄行為ができないので、必要に応じて大人用おむつの交換をした。お風呂には週2回、老健で入れてもらった。医師が月1回往診してくれた。姉75歳、母94歳。完璧な「老々介護」の世界である。 「俺だけど分かる」。母に呼びかけた。「稔だね。分かるよ」。母はかすれるような声で呼びかけに反応した。小柄(最大身長149センチ)な母が一段と小さくなっていた。「命が尽きようとしている。まだ意識のあるときにわたしの二人の息子に引き合わせよう」。そう考えて、長男(43歳)と次男(40歳)に母の状態を連絡した。ほとんど声を出すことなく眠るようにベッドに横たわっていた母だったが、長男が見舞った時は「大きくなったね」、次男の時は「いい男になったね」と、はっきりと言葉を口にした。よほど嬉しかったのであろう。 腕の静脈への通常の点滴を選択 月が替わった9月、「一人では心許ない。一緒に立ち会ってほしい」という姉からの電話で、母の主治医と今後の治療方針を巡る話し合いの場に同席した。主治医は①腕の静脈への通常の点滴②中心静脈(大腿静脈、内頚静脈、鎖骨下静脈などの太い静脈)への点滴③大腸がんなどの検査の実施④胃ろうの取り付け(口などからの食物・水分の補給が困難な場合、胃壁と腹壁に穴をあけてチューブを取り付け、外から直接胃に栄養剤などを注入する治療法)-の四つの治療法を提案した。 「母はもう十分生きてくれた。苦痛を与えたくないので、過度な延命治療は望まない」。姉とわたしの思いは一緒だった。躊躇なく主治医へ腕の静脈への通常の点滴の継続をお願いした。通常の点滴も延命治療の一つだが、これを「止めてください」とは言えなかった。やはり、母には少しでも長く生きていて欲しいとの気持ちがある。それと寝たきり状態になった母が「どうしてこんな惨めな状態になってしまったのかな。世話(介護)をしてくれている勝子(姉)に申し訳ない。でも、死にたくないな」とポツリと言ったことを覚えていたからだ。 主治医は「腕の静脈への通常の点滴だけならば寿命は1~2ヶ月で尽きる」と言った。この通りなら母は10月末までに帰らぬ旅に旅立っているはずだった。しかし、義父同様に母は強靭な生命力を持ち合わせているようだ。今日(2017年12月18日)現在、母は存命している。現在、病院に併設された療養型病棟に移された。少しは口から食べ物が入るようになった。命の不思議を感じる。 ▲
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| 2018-04-12 08:21
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