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「ガイドブックに載らない北鎌倉の神々」のゲラ第2校到着 4月13日に建長寺で出版記念会開催 北鎌倉をこよなく愛した「映画の神様」 ピックアップ!「ガイドブックに載らない北鎌倉の神々」 (文・野口 稔、写真・島村国治) 映画界の巨匠、故小津安二郎監督は北鎌倉をこよなく愛し、北鎌倉を舞台に数々の名作を世に送り出しました。小津安二郎監督の住まいは、北鎌倉の浄智寺近くの小さなトンネルの先にある閑静な谷戸の中にありました。小津監督は今、円覚寺の墓地で静かに眠っています。お酒が好きだったためか、誕生日で命日となった十二月十二日になると、墓前にはたくさんの日本酒が並びます。 小津監督の姿はまるで「巌」のようだった 二〇〇四年四月三日、浄智寺書院で開催された生誕100年記念企画「小津安二郎と北鎌倉」(北鎌倉まちづくり協議会主催)を取材しました。記念企画の中身は、朝比奈宗泉・浄智寺閑栖(かんせい)、山内静夫・鎌倉ケーブルコミュニケーションズ会長(現鎌倉文学館館長)、兼松熈太郎・日本映画撮影監督協会理事長の三者鼎談で、朝比奈閑栖が山内、兼松両氏から生前の小津監督のエピソードを伺いました。「映画の神様」の人間味溢れる話が聞けて、とても楽しい鼎談でした。当時の取材メモをもとにそのハイライト場面を紹介したいと思います。 究極のオシャレ 朝比奈氏 白いピケ帽、白いワイシャツ、そしてお決まりのズボンと小津さんのファッションはいつも同じでしたね。 山内氏 白いピケ帽をかぶっていたのは、セットの中では、モノが上から落ちたりするので危ないからでしたが、同じような帽子、洋服を二十点から三十点、しかも同じ店に注文して作っていましたね。究極のオシャレだったと思います。出演する俳優さんの衣装も衣装監督と一緒に決めました。映画のセットも自分の好みでした。家の作りなんか全部同じ。担当の美術監督がちょっと変えたら、元通りにしてしまいました。個性が強かったんですね。完全主義者かな。 兼松氏 小津監督の「絵」は静かな世界で、格調が高かったと思います。構図をものすごく大切にされました。カメラは低位置で、俳優の立つ位置、坐る位置も小津さんが決めました。食器などを置く場所のマークを自分で付けました。セットの中の灯籠も含め、絵なんかも全部本物です。灯籠は簡単には、動かせないですよね。「秋日和」の時です。いい移動車があると聞いて。移動車を灯籠動かすために使っちゃいました。 山内氏 女優さんが泣くときは必ず、両手で顔を覆って、泣きます。原節子さんだって、他の女優さんもみんな同じ(笑い)。女性が泣く時は顔を隠す。それが小津さんの考え方だった。町並みに出てくる看板の字も全部自分で書く。美術の人がもってきても、自分で書いてしまう。同じ字で。「俺はこの字が好きだ」といって。頑なに映画をつくっていました。北鎌倉に住んでからは一度も鎌倉ではロケをしていません。何でかな?自分の住んでいる身近な所でロケするなんて、嫌だったのかも。 愛して止まない息子に美味しいものを 朝比奈氏 小津さんの日常のお世話をしていた小川さんという女性がいました。小津さんが亡くなった後、五、六年浄智寺でお預かりました。料理が素晴らしくうまかった。ヒジキや野菜の煮つけは甘からず、辛すぎず。焼き魚なんかも焼き具合が、絶品でしたね。 山内氏 お母さんが小川さんに厳格に仕込んだんです。愛して止まない息子に美味しいものを食べさせようという親心でした。本人はグルメでしたが、口は出さなかったですね。 朝比奈氏 小津さんが住まれていた頃の北鎌倉は田舎でした。 永遠の人生のテーマを追い続けていた 山内氏 鎌倉に住みたがっていました。若い頃は映画界の人と付き合っていましたが、戦後は同業者とはほとんど付き合いませんでした。付き合うのは作家とか画家でした。 兼松氏 映画の世界で、トップの位置を極めた。だから別の世界のトップの人間と付き合って、何かを吸収し、さらにその先を極めたいと思ったのでしょう。すべて一級品じゃないと駄目でしたね。さっき言いましたように、撮影に使う絵は本物だから、撮影が終わるとその絵は白い手袋をして金庫に保管しました。事大主義かもしれないが、そういうことって大事だと思います。実に丁寧に撮り続けました。取り組み方が真剣で真摯でした。亡くなられてから四十年経ちます。約半世紀前の映画です。分かりやすい家庭内の話です。永遠の人生のテーマを追い続けていたのだと思います。先見の明、達見の明があった。だから古びていかない。 山内氏 まったく、古さを感じさせない。自分の背負っているものの重さをきっちりと受け止め、映画のテーマにされていた。 兼松氏 巨匠と呼ばれる映画監督は何人もいました。その中で、私も含めて、スタッフが監督の名を「先生」を付けて呼んでいたのは小津監督だけでした。カメラをのぞく小津監督の姿はまるで「巌(いわお)」のようでした。本当に凄い人でした。 <プロフィール> 山内 静夫(やまのうち・しずお)氏 鎌倉文士・里見とんの四男。作家・有島武郎、画家・有島生馬の甥。昭和二十三年松竹(株)入社。小津安二郎作品のプロデューサーとして、昭和三十一年「早春」から、「東京暮色」、「彼岸花」、「お早よう」、「秋日和」、遺作となった『秋刀魚の味』まで六本を手がける。大船撮影所プロデューサー、取締役、鎌倉ケーブルコミュニケーションズ会長を経て二〇〇四年から鎌倉文学館館長。著書に『谷戸の風』『松竹大船撮影所覚え書』など。 兼松 熈太郎(かねまつ・きたろう)氏 昭和三十二年松竹入社。大船撮影所時代、「小津組」に所属し、山内静夫がプロデュースした小津安二郎作品「彼岸花」「秋日和」の撮影助手を担当した。北鎌倉ウォッチング・「小津安二郎ゆかりの場所を訪ねる」の案内役を務める。現在、北鎌倉の明月谷に在住。日本映画撮影監督協会理事長(代表理事)。 朝比奈 宗泉(あさひな・そうせん)氏 昭和二十五年、早稲田大学政経学部卒業。翌年TBS(現)入社。「兼高かおる世界の旅」などのプロデューサーを経て、一九七九年仏門へ。以降、浄智寺(臨済宗円覚寺派・鎌倉五山の第四位)住職を経て、現在は閑栖。著書に「今日、一途に―鎌倉名刹・浄智寺、老僧の独白譚」(実業之日本社)。父の宗源(そうげん)は元円覚寺管長、息子恵温(えおん)は現在、浄智寺住職・円覚寺教学部長 。 墓前には真っ赤なバラの花 二〇〇七年十二月十二日正午ごろから、山内館長や兼松理事長などの「小津会」のメンバーが、円覚寺の小津監督のお墓参りに次々と姿を見せました。「小津さんは、色は赤が好きでした。マフラーも真っ赤なマフラーを巻いていました。それがよく似合って。だから墓前に供える花も赤、水桶も赤なの」と関係者。墓前には真っ赤なバラの花のそばに日本酒の瓶も並びました。「お酒があればとにかく飲んだ。朝二合飲み、夜には三合。ブランデーも飲んでいたね」「シナリオを書いていた時、日本酒の空瓶が百本並んだんです。一日一本空になって。墓前に供えられたダイヤ菊は蓼科のお酒ですよ」。相当な酒豪だったようです。お酒にまつわる関係者の話は尽きませんでした。 *写真:小津監督のお墓参りをする山内館長 小津監督の自宅は浄智寺の側にあった 「ガイドブックに載らない北鎌倉の神々」出版記念会 ゆっくり、ゆったり大人の北鎌倉 地元在住のおとな探偵団がお宝スポットを一挙公開! 散策、グルメ、工房・ギャラリー情報満載! http://kitakamayu.exblog.jp/8275684/ 日 時 2008年4月13日 16:00~20:00 場 所 北鎌倉・建長寺(北鎌倉駅から徒歩15分、電話 0467-22-0981) プログラム 第一部 寺沢希美ヴァイオリンコンサート(龍王殿=方丈) 16:00~16:20 高井正俊建長寺宗務総長のお話 16:30~17:30 コンサート 第二部 盧佳世と北鎌倉を歌おう! (応供堂) ゲスト 山内英正 18:00~18:30 懇親 18:30~19:30 コンサート 歌:盧佳世 ギター:矢野敏広 19:30~20:00 懇親 *第二部は飲み物(北鎌倉湧水仕込み地ビール「北鎌倉の恵み」など)、食事(建長寺がルーツのけんちん汁など)付です。また、第二部参加者には「ガイドブックに載らない北鎌倉の神々」(定価1000円)を進呈致します。 入場料 第一部2000円 第二部3000円 (建長寺入り口で入場券を提示すれば、拝観料300円は不要です) ●前売り券等のお問い合わせ窓口 TEL&FAX 0467-22-4693 (斎藤方) Eメール saitoh76@mte.biglobe.ne.jp 、YHR00327@nifty.ne.jp 主催 北鎌倉湧水ネットワーク(http://kitakamayu.exblog.jp/) 出演者プロフィール 高井正俊 たかい・せいしゅん 建長寺宗務総長。鎌倉学園理事長。1946年生まれ。55年、宗禅寺で得度、60年、鎌倉建長寺の昭和・平成時代を代表する高僧の湊素堂老師に就き禅修行に入った。40歳で宗禅寺住職。「お寺は人が集まる場所であり、文化の発信基地」が持論で、市民も参加できる「鎌倉禅研究会」を主宰するなど禅の普及に注力中。 寺沢希美 てらさわ・のぞみ 4歳よりヴァイオリンを始める。桐朋学園音楽学部、英国王立音楽院卒業。2001年夏、世界的に著名なザルツブルク音楽祭のコンチェルトソリストコンクール優勝。世界中からオーデションで選ばれて集まった若手ヴァイオリニスト数百名の中から1人選ばれて、ヨーロッパデビューを果たした。 盧佳世 の・かよ シンガーソングライター。川崎市出身。2003年、ソロ歌手として活動を始める。05年11月に1stアルバム「マウム~こころ~」をリリースした。「夢」をあきらめずに「希望」を持ち続ける「勇気」、そして、「マウム」(こころ)を伝えることをモットーに音楽活動を展開中。 矢野敏広 やの・としひろ。北海道出身。ギタリスト。中学時代にフォークソングの洗礼を受け、高校卒業後上京、ライブハウスを中心に活動開始。現在、李政美、趙博のギタリスト・マンドリン奏者として、日本各地、韓国でライブ活動を行う。日本Jazz界伝説のギタリスト、高柳昌行にギターを師事した。確かな技術と柔軟性を持ち合わせる。 山内英正 やまのうち・ひでまさ 1948年、鎌倉市生まれ。68年、伝説のエレキバンド、「井上宗孝とシャープファイブ」に9年間リズムギターとして参加。73年にはアルバム「春の海」にてコロムビアレコードゴールデンディスクLP賞とゴールデンディスクヒット賞を受賞。83年、鎌倉市に「ライブハウス蝶家」をオープンした。 #
by kitakamayunet
| 2008-03-11 21:04
| ガイドブック・プロジェクト
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