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谷汲山華厳寺から「レヴィン文化財プロジェクト」発進! 話は少し古くなって恐縮である。2005年12月2日に開かれたメンタルヘルス総合研究所の忘年会に歌手の盧佳世さんを誘った。メンタルヘルス総合研究所は、友人の久保田浩也さんが所長をしている。久保田さんは、企業のメンタルヘルス教育の第一人者である。 ▽まだまだ、これからですよ この忘年会には、産業カウンセラーやメンタルヘルスに関心を持っている人たちが多数集まる。私は盧さんの歌には「癒しの効果」があると思っている。久保田さんを含めた忘年会の参加者に盧さんの存在を知ってもらうには、格好の機会だと思った。そして、レヴィンのことも。場所はJR秋葉原駅から徒歩約5分。 「メンタルヘルス総合研究所までの道すがら「こんなにも偶然が重なるなんて。不思議なことって、この世の中に、本当にあるんだね」と盧さんに話し掛けた。 「京介さん、まだまだ、これからですよ」 「気が弱いんだから、怖いこといわないで。もう、勘弁して」 ▽私の19歳の時の写真がレヴィンのお宅に なんとその二日後。彼女の「予言」は的中した。12月4日、千葉県銚子市に住んでいる姉が緊急手術したので、日帰りで見舞いに行った。姉を見舞った後、レヴィン のお宅に立ち寄った。どういう弾みか、青春時代の話題になった。レヴィンのお父さんが言った。 「京介さん、私、あなたの10代の時の写真を持っていますよ」 「えっ、なんで。どんな写真ですか」 「見ますか」 「はい」 写真は私(真ん中)が19歳のときのものだった。バックが京都・渡月橋。一緒に写っているのは私の親友と従兄弟だった。私の親友は京都の大学に在学中だった。従兄弟は、レヴィンのお父さんと無二の親友で、当時、大阪に勤務していた。 詩集「レヴィンの系譜」の出版を私に依頼してきたと前回書いた。京都旅行の記念に撮ったこの写真をレヴィンのお父さんに差し上げたのであろう。 ▽接点は「ウメ」だけではなかった! 一緒に写真を見たお釈迦様(妻)、レヴィンの遺族、全員が19歳の私と今の私は別人だといって、笑い転げてしまった。髪もふさふさし、頬はへこんで、とてもスッキリしている。レヴィンの妹さんにいたっては、写真と私をしげしげと見比べて、「同一人物といわれてもそれでも信用できない」という始末。 レヴィンとの接点は私の母と、レヴィンのお祖母ちゃんの名前が「ウメ」だけだと思っていた。でも、レヴィンのお父さんの青春時代のアルバムの中に私が入っていた。私は全く存じ上げていなかったが、レヴィンのお父さんは私のことを知っていた。さらに、レヴィンのお母さんは、私の甥とは農協の同僚だった。彼女は甥の結婚式、長兄の葬式に参列していた。なんとも不思議な縁でつながっている。 ▽HPのサポート役の名は「こころさん」 続いてさらなるシンクロニシティというべきことが。レヴィンの妹さんが私に聞いた。 「11月の盧佳世コンサート『マウム(こころ)の歌』in浄智寺の時に、私たちのお弁当の手配をル・ポエットにお願いしたのはレヴィンの系譜の中に、ポエトの詩があるからですか?」 「いや、そうじゃない。私が企画した地ビール『北鎌倉の恵み』を最初に置いてくれた店がここだったから。店主の男気への返礼の意味だよ」 レヴィンの妹さんは続けてもう一言。 「レヴィンのHPをサポートしてくれた人のハンドルネームが『こころさん』なんです」 一体どうなっているのか。盧佳世さんのファーストアルバムのタイトルは「マウム(こころ)」である。 ▽シナリオライターは東大社? シンクロニシティの引き金役になっているのはレヴィンである。これは間違いない。でも、もっと強力な「磁石」のようなシナリオライターの存在があるような気がしてならない。シナリオライターは、故郷(千葉県香取郡東庄町)の氏神様の東大社なのではないか。これもまた仮説だが… 東庄町郷土史研究会からの依頼によって、20年に1度の東総地方最大のお祭りといわれる東大社の「神幸祭」について「東庄の郷土史」に寄稿したことがある。冒頭に私と東大社の関係を書いた。 <特別寄稿>まだ見ぬ「神幸祭」に思う ふるさとの山に向かいていうことなし ふるさとの山はありがたきかな 石川啄木 間もなく還暦を迎える。人間の本性には「帰郷本能」が備わっているように思えてならない。その本能は人生という「旅路」が、終わりに近付けば近付くほど強まる…。例えば曹洞宗の開祖で、日本の誇る世界的な思想家でもある、あの偉大な道元禅師。「旅路」の終わりが来たことを悟った道元禅師は、布教活動の拠点の越前を離れ、生まれ故郷の京都に向かった。人は皆、故郷が恋しいのだ。 *まぶたに浮かぶ東大社 誰にでも遠く故郷を離れている時に、必ずまぶたに浮かぶ故郷を象徴するシーンがいくつかあるはずだ。私にとって氏神さまである東大社がその一つだ。娯楽の少なかった子ども時代。東大社の春と秋の例祭の際、境内に出店されていた露店での買い物が、最大級の楽しみだった。 高校時代は自宅から東大社まで、小川に沿って続くあぜ道を、愛犬のシェパードの「クロ」と一緒に何度も何度も走った。雲井岬から眼下に広がる水田地帯を見るのが好きだった。特に初夏。青々とした水田を渡る風が涼やかだった。東大社の豊かな森に貯えられた地下水が時の経過を経て、地表に湧き出て小川と化し、氏子である農家に実りの秋を保証していたのだ。(以下略) ▽どんな人間でも役割がある 10年前に次兄夫婦、親友が相次いで亡くなり、精神的に落ち込んだことがある。帰省し、田んぼを走る道路に立ち止まり、東大社の方を見ていた。すると一陣の風が囁きかけるように吹き抜けた。 「人間は役割を持って生まれてきている。だから、どんな人間でも役割はあるんだよ」。風はそういうふうに囁いていた。死者を弔い、その遺族のささやかな支えになること。自分のやるべきことを自覚した。「どんな人間でも役割がある」という考え方は、その後の私の生き方の核になっている。 ▽痛みが激しい東大社 その東大社だが、帰省し、参拝するたびに気になることがある。屋根は近年、葺き替えたようだが、それ以外の社の痛みが激しいのだ。特に使用されている木材。装飾を施した部分が朽ち果てようとしている。文化財が消えるだけでなく、このままではそれをつくった伝統の技も途絶えてしまう。 「改修の予定はありますか?」。心配のあまり、宮司さんに電話で聞いたことがある。「2010年の『神幸祭』のことで頭が一杯です」。宮司さんは答えた。このとき思った。この「神幸祭」と改修を同時にやってみたらどうなのか。 ▽改修にはナショナル・トラストの手法を導入 「神幸祭」は20年に一度、杜からの恵みに感謝する神事である。改修は伝統の技を伝え、故郷の精神的なよりどころを確認する絶好の機会ともなろう。ただし、氏子だけで東大社の改修を行うには負担が重過ぎる。文化財の保全という視点から、氏子以外の人たちからも浄財を募るナショナル・トラストの手法を導入してはどうか。 私は北鎌倉の台峯緑地の保全のために、NPO法人「北鎌倉の景観を後世に伝える基金」の創設に参加した。コンセプト、規約などのたたき台を作成し、広報戦略にも深く関わった。ナショナル・トラスト運動に関するノウハウはしっかりと蓄積している。 ▽準備は整った! 詩集「レヴィンの系譜」を故郷の文化財に位置付け、故郷の活性化を目指す「レヴィン文化財プロジェクト」の第一歩が、渾身レヴィン追悼コンサート!盧佳世の祈り―故郷再生と交通事故撲滅の願いを込めて―だ。 5月20日に東庄町、6月10日には北鎌倉建長寺で開催する。既にポスター、チラシ、チケットの制作を完了し、ポスター、チラシの掲示や配布を始めた。準備は整った。私は追悼コンサートの場で、「『レヴィン文化財プロジェクト』の次のステップが、レヴィンの系譜の詩碑の建設。その先には東大社の改修がある」と訴えたいと思う。 ▽「マウム(こころ)」に重なるわが思い 盧佳世さんのオリジナル曲の「マウム(こころ)」の歌詞の一節に「やっと見つけた たどり着いた この道 誰にもゆずれない この想い」とある。私はこの部分が好きだ。2005年11月26日、千葉県船橋市の高根台公民館で「団塊の世代よ、帰りなん、いざ故郷へ!」という演題で講演した。 私は講演を「私の居場所、つまり自分の根っ子、自分が本当にやりたいことは『生涯一記者』。私の『団塊世代よ、帰りなん、いざ故郷へ!』の意味は、30年間メディアの世界で培ってきたそのノウハウを故郷の再生のために捧げることであり、具体的には詩集『レヴィンの系譜』を故郷・東庄町の『文化財』にすること」という言葉で締めくくった。マウム(こころ)」の一節は、この締めくくりの言葉と重なる。 ▽「シナリオライター」に心から感謝 「レヴィン文化財プロジェクト」の発想は、さまざまな偶然が重なって生まれた。私自身、仕掛けている気はない。自然なのだ。大いなる存在の導きによって、私は一つの役割を果たしている。レヴィンもまた、一つの役割を果たしている。素直な気持ちで考えている。 レヴィン追悼コンサートの成功に向けて、故郷の関係者は「火の玉」となっている。レヴィンのお陰で、いいご縁をいただいた。「団塊世代よ、帰りなん、いざ故郷へ!」という自らのキャッチコピーが実践できるなんて、夢のような話だ。「シナリオライター」。そう私が思い込んでいる氏神様の東大社に、心から感謝したい。 (了) #
by kitakamayunet
| 2006-04-25 08:36
| シリーズ・団塊世代
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