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シリーズ「鎌倉・江の島七福神巡り」⑩弁財天(江島神社) ●毘沙門天(武勇の神で、仏教の守護神。別名「多聞天」。知恵の神でもある) 日蓮宗の龍口寺は藤沢市に建立されており、龍口寺に祀られている毘沙門天は、藤沢七福神巡りのコースに組み込まれている。しかし、鎌倉に縁の深い日蓮との関係を考えると、「日蓮上人四大法難随一 霊跡本山 龍口寺」は、絶対に外せない。そこで4日後の12日、龍口寺に参拝した。 日蓮上人四大法難とは、鎌倉松葉谷草庵焼き討ち・伊豆流罪・小松原の襲撃・龍ノ口首の座に続く3年にわたる佐渡遠流を指す。龍口寺で購入した「龍口寺縁起」に、法難のことが詳しく記述されている。紹介しよう。 【「龍口寺縁起」】 鎌倉時代の後期、日本中は内乱が続き、民衆は飢餓に苦しみ、疫病が蔓延して、まさに生き地獄のような悲惨な状況下にあった。日蓮聖人は、この惨状を救わんとして、「立正安国論」を撰述、幕府に奏上し、法華経による国家の平和を願い、民衆救済の方法を提起した。 幕府はこの「立正安国論」を理解しえず、政策の中傷と誤解し、文永8年(1271)9月12日、鎌倉松葉谷の草庵で日蓮聖人を捕らえ、市中引回しのうえ、この地龍の口刑場に連行したのである。当時の龍の口刑場は、罪人すべてを斬首に処した処刑場であった。 翌13日子丑の刻(午前1時前後)、日蓮聖人を土牢から引き出し、敷皮石の上に座らせ、斬首の準備を整えた。この時日蓮聖人は、法華経の行者として、法華経に命を捧げることはむしろ喜びであると、泰然自若として題目を大音声で唱え、首の座についたという。 日蓮聖人の手紙には、このとき江ノ島の方から満月のような光りものが飛び来たって斬首の役人は目が眩み、おののき、倒れたと記されている。いずれにせよ、幕府の使者が到着して、刑は中止されたのである。龍の口刑場へ連行され、処刑中止となった人物は日蓮聖人以外、だれも知られていない。誠に尊いことである。 日蓮聖人入滅後、直弟子日法上人が延元2年(1337)に一堂を建立、自作の日蓮聖人像と首の座の敷皮石を安置したのがこの寺のはじまりである。爾来連綿と法灯を継承し、日蓮聖人四大法難中屈指の霊跡と称され今日に至る。当山では毎年9月11,12,13日を龍口法難会と定め、講中の万灯数十基、参詣者数十万人が参集し大法要が営まれる。12日の夕刻から13日払暁にかけて、毎年近在講中の万灯数十基、参詣人数十万人が参加、門前には夜店が立ち並び、いまでも大変なにぎわいである。(以下略) ▽「南無妙法蓮華経」はとてもリズミカル 毘沙門天は、大本堂の中央の壇上に安置された日蓮聖人の木像の左脇下に祀られている。敷皮石がすぐ近くに安置されている。大本堂に入り、毘沙門天に参拝しようと思ったら、お坊さんが檀家の依頼で、お経を上げようとするところだった。檀家の後ろに正座し、お経を聞くことにした。随所に「南無妙法蓮華経」「南無妙法蓮華経」「南無妙法蓮華経」が入る。とてもリズミカルだ。円覚寺の暁天坐禅会で教えたもらった四弘誓願文も読まれた。宗派を問わず、大事なお経なのだとあらためて思った。心の中で一緒に唱えた。 【四弘誓願文】 <安立行菩薩>衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)「生きとし生けるものを救うことを願う」 <浄行菩薩>煩悩無尽誓願断(ぼんのうむじんせいがんだん)「すべての煩悩を断つことを願う」 <無辺行菩薩>法門無量誓願学(ほうもんむりょうせいがんがく)「仏の教えをすべて学ぶことを願う」 <上行菩薩>仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう)「無上の悟りを得ることを願う」 *四弘誓願文は四大菩薩の誓い 上行菩薩、無辺行菩薩、浄行菩薩、安立行菩薩は法華経の「従地湧出品(じゅうじゆじゅっぽん)第十五」に登場する四大菩薩だ。大乗仏教では、悟りを求める人や求道者を菩薩といい、菩薩は修行を始めるに当たって、四つの誓いを立てる。それを四弘誓願文といい、四大菩薩は、菩薩としての四つの誓いを代表している。 ▽尊敬の念と親近感 宮沢賢治が亡くなるまで敬慕し続けたという日蓮は、鎌倉時代の1222年2月(承久4年)、安房の国(千葉県)の漁師の子として生まれた。私も千葉県生まれ(下総の国)。小学校の時の、修学旅行先が千葉県鴨川市だった。日蓮ゆかりの日蓮宗の総本山・誕生寺、鯛の浦、清澄寺、根回り17.5メートル、幹回り14メートル、高さ47メートルと巨大な「清澄の大杉」(「千年杉」)などを見学した。その記憶はかすかではあるが残っている。日蓮に対しては、偉大なる宗教家への尊敬の念と同時に、「郷土の先輩」としての親近感を持っている。 日蓮は12歳の時、安房清澄寺の導善(どうぜん)に入門。ものごとを徹底的に突き詰める性格だったといわれる。奈良時代に全盛期を迎えた南都六宗(律宗、法相宗、華厳宗、三論宗、倶舎宗、成実宗)、平安時代に興った天台宗、真言宗、鎌倉時代の浄土宗、臨済宗のすべてを学び、それぞれを比較対照した。その結果、真実の仏法は「法華経」であるとの確信に辿り着き、32歳の時に自分の宗派「日蓮宗」を立てた。 *鯛の浦 日蓮上人が誕生した時、鯛の浦には無数のタイが群れ集った。この奇跡を目にあたりにして以来、鯛の浦地区では、タイを日蓮のお使いとして信仰し、手厚く保護してきた。 #
by kitakamayunet
| 2006-01-30 00:46
| 現代に生きる禅の精神
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